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【愛着障害・うつ・AC】言いたいことを、言えてますか?

あなたは言いたいことを言えてますか?

自分の気持ちをきちんと伝えられるには、心の土台が整っていることが必要みたいです。

コミュニケーションに悩んでいたその昔、衝撃を受けたコトバがあります。

「自分が言いたいことを言うのに、少しぐらい人が傷ついたっていいじゃありませんか」

アダルトチルドレンの概念を日本に初めて紹介した西尾和美さんの本のなかのフレーズです。

西尾さんの本を読んだのは、ずいぶん昔で三十年も前ですが、この一文を、ずっと忘れる事ができませんでした。

「自分が言いたいことを言うのに、少しぐらい人が傷ついたっていいじゃありませんか」

なにが衝撃だったかって? このコトバの意味するところとして、他人の気持ちよりも自分の気持ちにフォーカスが当たっていますよね。

私はそもそも、自分が言いたいことを言ったことがあったでしょうか。

母に対等にものを言えなかった私は、他人にも対等にものを言うことは怖くて出来ませんでした。ニ、三年前まで、そうだったんです。

母に愛されなかった人は、母が巨大な存在になって人生を支配してきます。

母に逆らうことは即ち居場所を失うことにもなりかねない私は、他人にとっても自らが快適な環境になることによって、居場所を獲得する権利を得ようとするような、なんというか、卑屈で依存的な性格をしていました。

機嫌をそこなうことは、即ち居場所を失うことを意味していました。それほど母が怖かったのでした。母に代表される全存在、すべての他人が怖かったのでした。

自分の機嫌より、他人の機嫌のほうが常に気になっていたのです。

いま西尾さんのコトバを反すうしてみて、私の上手く行かないコミュニケーションの原点は、母を恐れていたことにあったのだ、と思い至ったのでした。

私は母にとって迷惑な存在なのではないか、と
いう恐怖から、生きることに確信がもてないまま、遠慮がちに生きることしかできなかったのです。

母に愛されないという絶望が、生きる気力を奪ってきたのです。

母というものはそれほど大きな存在として、私の人生にそびえ立っていたのだと思うと同時に、いま、やっと解放される時が来ているのを感じます。

自由になりなさい、自分が生きていくのに、誰にも遠慮しなくていいのです、とそのコトバに背中を押されているような気がしています。

母がこの世で一番こわい存在で、母に主導権を握られていた、そんな自分にさよならする春が来たのだと、やっとその時が来たのだと、いまこころは希望と喜びでふるえています。

私は母に依存しなくても、誰に依存しなくてもいいのです。

難関だったコミュニケーションにも、すこし自信をもてるようになりそうです。


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