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【愛着障害・うつ・AC】なぜ我慢するのですか?

「自我の確立。それしかないでしょう」

もうすぐ四十歳になろうとするころ飛び込んだ心理の世界で、はじめて受けたセミナーの講師から言われた一言です。

それまでの私は、まるで波間に揺れ動く小舟のようでした。つぎつぎに起こる理不尽な出来事、不本意な人間関係に我慢しつづけているうちに、人生がおかしな方向に流れてしまっていました。もうどうにも立ち行かなくなった時は、人生の半分が過ぎていました。

私の前半生は、いやなことを我慢するばかりで、自分はどうしたいか、など考えたこともありませんでした。

子供時代の親子関係や家庭のなかで我慢してきた私は、大人になってからも我慢をしなければならない状況を引き寄せたり、我慢を強いる人がまわりに現れて、トラウマの再演を繰り返していました。

その頃、まわりに居た人は、私のことを大切にする人は居なかったと、いま振り返って思います。私の優しさにつけ入ってくる狡い人だったと思います。

NOが言えないのは嫌われるのを恐れている、とよく説明されていますが、私の場合はそれとはちょっと違っています。

なぜ、我慢するのか。それは、いやなことを強要されて我慢する人間関係しか教わっでこなかったからです。ほかの人間関係を知らなかったからです。

幸せな人間関係とは、どういうものか、心理セラピーを学び始めてから考えるようになりました。


我慢することに違和感を覚えるようになってから、いやなことを、いやと言えたとき、まわりが変わりました。

苦しい人間関係は去っていき、さっぱり快適になりました。なんで、いままで我慢してきたのか、もっと早くすべきだったと思いました。

それまでは、とりあえずキープしておいた人間関係は少なくなかったのですが、それは友達が居ないよりは居たほうがいいから、というモチベーションからだったみたいです。つまり、一人になるのがどこか怖いという不安があったから、不用な関係まで引きづって、なかなか断ち切ることが出来なかったのでした。

いやと言えるようになってからは、付き合いたくない人とまで付き合わなくなりました。

我慢する、ということが無理になったとき、はじめて解放されて自由を得ることができました。

自分はほんとうは、どうしたいのか。何がいやで、何を望んでいるのか。それに気づくようになるまでに長い時間がかかりました。

これまで、どれほど自分を蔑ろにしてきたのでしょう。自分に申し訳ないことをしました。

いまやっと、自分のほんとうの望みを育てていくスタートラインに立ったところです。

自分を知ること。自分に近づくこと。自分を大切にすること。それは、私にとって遥かな道のりでしたし、これからもまだまだ続いていくのでしょう。


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