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【うつ】いい人をやめたら元気になる

ずっと、いい人を止められなかった。

それは親に愛される自分でいる事を選んだからだ。
愛されない自分は切り捨てて、愛される自分だけで生きようとしたからだ。

それが親との間で身につけたコミュニケーションだったのだから、それ以外のやり方を知らなくても仕方がなかったのだ。

警戒心で一杯で誰にも心を開く事ができずにいた私は、けっきょく誰とも親密になれなかった。
「あなたは腹を割ってくれないからイヤだ」
「はっきり物を言わないから嫌いだ」
と指摘してくれた人もいた。

本当のことを言わない私は周りの人から見ると胡散臭く見えたろうし、面白くなかっただろう。
好かれようとしてやった事は、結果として好かれなかった。       
いい人をやっていた時は報われなかった。


その頃は本当の自分を隠して生きるのは辛かった筈だが、その時はそれが当たり前だった。
本当の自分を押し殺していたから相当な負荷がかかっていたにもかかわらず、その自覚もなかった。

いい人は自分に優しくない。
人には白いところと黒いところがあるし、両方があって全体だ。
なのに、いい人は白いところだけで生きようして、黒いところが有るとは決して認めようとしない。


私は、自分の黒いとこを認められるようになってから楽になった。
あんなに忌み嫌っていた親の悪いところが自分にもあると気づいた時は愕然としたものだ。

両親はパワハラモラハラ気質だったから子供のころから悩まされた。
成人して社会に出てからもハラスメントの被害によく遭って辛い思いをした。

そのとき私は自分のことを真っ白で天使のような清らかな心を持っていると信じていたが、
なんのことはない、自分の黒い部分を切り離して他人に投影して見ているだけだったのである。

意地悪な人は私の一部だ。

へぇー、そこまで言うか、と思われそうだが、カウンセラーやセラピストは自分の事が分かってないと出来ない。

私には黒いところは絶対にないつもりだったが、自分がモラハラしていたという事実に気づいたときは、笑い出しそうになった。

高校時代が一番酷かった。
「言うことがキツい」「皮肉を言う」と級友に嫌がられていたし、
先生にも意地悪をしていたことを思い出した。

よくよく反省すると私は全然「いい人」ではなかった。こんな私は、人の事を悪く言える筋合いではない。

それに気づいた時、何かから解放されたように身軽になった。
という事は私を縛る牢獄があったのだ。
いい人でいなければ愛されない、という恐れに縛られていたのだろう。


白だけで生きて黒を排除するような生き方は神経症的世界観といもので、あまり幸せにはならない。

なぜなら、切り離した自分の影に悩まされて、自分はいい人なのに周りはイヤな人ばかりになってしまって自らを被害者ポジションに固定してしまうからだ。

自分の黒いところを認めると生きやすくなる。本来の自分を抑え込むために余分な所に入れていた力を解放できるから、ずっと楽になるし、元気になる。

私は自分が変わったら、周りに来る人、付き合う人も変わった。

自分のすべてを受け入れた時に幸せは訪れるの
です。

だから、いい人にならなくてもいい。
いい人でなくても愛されるよ。


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