【愛着障害・うつ・AC】感情体験することが生きること
「そんな辛い記憶は無い方がいいんじゃないですか?」
むかしの逆境体験の記憶が、すっぽり抜け落ちていることがあります。
わざわざ掘り起こさなくてもいいんじゃないの、忘れたままにして置いた方が、今を楽に生きられるんじゃないの。
そう言う人がいました。
あ、そう来るか、と思ったのですが、辛い記憶は無い方がいいとか、記憶とはそういう単純なものでもないのです。
どう説明すれば解ってもらえるのかしら?
記憶の連なりこそが自分の歴史と言えま
す。
生まれた時から最近までのアルバムを開くと、その時代時代の世相、政治、経済、カルチャーなど懐かしく蘇って来るのではないでしょうか?
とくに子ども時代の記憶は、アイデンティティを確かめるうえでの重要な要素だと思うのです。
人生の根幹となるような重要な記憶は、子ども時代にあります。
辛い思い出は無い方がいい、というのは違うのです。
記憶がすっぽり抜け落ちて無いのは、処理しきれないほどの強烈な体験をしているからです。
そのときの体験が圧倒されるように強烈だったり、あるいは過酷すぎて、そのときの感情を感じることが出来なかったからです。
感じきった感情は消えて無くなります。
そして、その時の感情と体験は、ライフヒストリーの一コマとして記憶に残ります。
感じることが出来なかった感情とその時の体験は、記憶として定着されることはなく、無意識の永久凍土のなかに保存されます。
辛い記憶は無い方がいいのではありません。
記憶を失ったら、自分が何者か分からなくなり、生きる喜びも意欲も無くなり、訳もなく生きることが辛くなります。
無意識の底に沈んだ過去の未完了の感情は、 人生の邪魔をしてきます。
たしかに昔の逆境体験を思い出すのはなかなか時間がかかるし、辛い作業なのですが、失われた記憶と感情を根気よく拾い集めて統合していいくプロセスは、自分をとりもどしていくプロセスでもあります。
それは自分を好きになって行くプロセスとも言えます。
やがて本来の自分の全貌の一端が見えてきて、自分はこういう人だったのだなと理解したと、人生をとりもどすことになります。
感情を十分に味わうことが出来なかったとき、自分が分からなくなり、自分の人生を生きることが出来なくなります。
本来の自分や、本来の自分の人生とかけ離れてきます。
だから、感情は侮れないんです。
感情体験をすることが、生きることなんです。
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