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Less is more. 少ない方が多い。
これに当てはまることはいろいろあると思う。

仕事上一番思うのは、子どもの環境、学び。完成度の高いおもちゃが多すぎると、子どもは工夫をしなくなる。与えられたものを使い、飽きたら次のおもちゃへ。おもちゃとも言えないような、木の実や木切れ、貝殻、石ころ、土・・・そんなものが子どもの想像力で何にでもなる。

シンプルだからこそ、子どもは自分の力で遊びを探し出し、そこから子どもたちはたくさんのことを学んでいく。まさしくLess is more.

大人でも同じことがあると思う。

日本では、なんでもある。必要のあるものはなんでも売ってるし、必要のないものもたくさん売ってる。ものに溢れた便利な暮らし。

私が20年以上前に海外に出た時、ものがないことに驚いた。アメリカ、イギリス、どちらも十分な消費社会で、商品は店にあふれてる。いろんな商品がある。でも、日本から出てきた私は、「買いたいものがない・・・」と呆然とした。

そして、当然、日本食材は限られる。味噌、豆腐、納豆、あげ・・・餃子の皮など、手に入らない。または求めるクオリティのものは手に入らない。

でも、欲しい。

ないなら、作るしかない。ものによっては材料さえもないものもある。梅干し作りたくたって、梅そのものが手に入らないから、スモモを使って梅干しもどきを作ってみたり。

美味しい手打ちそばが食べたい。イタリア産「蕎麦粉」で作ってみるけど、そばの種類が違うから日本のそばとは全く別物に仕上がる。

うどんだって、日本でいう「中力粉」というものさえない。イギリスもドイツもアメリカも小麦粉の分類からして全く違う。色々調べて、自分なりのブレンドを工夫してうどんを打つ。はあ。

日本の「スリッパ」も手に入らなかったから作った。MUJIとかない田舎暮らしだったし。

日本ではなんでも売ってるから、売られている商品から選ぶことに終始する。作る必要なんてない。海外では、ないからこそ工夫する。工夫して自分で作るからこその豊かさがある。

人が作ってくれたものに、自分自身を合わせていくのか。それとも、自分の暮らしにぴったりなものを自分で作り出すのか。

こういう暮らしをしていると、このくらいの不便さの方が自分らしくいられていい・・・としみじみと思う。





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