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もう30年くらい、いつも心にある詩がある。
吉野弘さんの祝婚歌。

祝婚歌
二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

一つ一つの言葉が心に響くのだけど、とくにここの部分。

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

気をつけよう、と、自分に言い聞かせる部分でもある。


わたしは理性的なほうだし、正しい発言をするほうだ。パートナーとも、私のほうが冷静に正しい発言をし、相手のほうが感情的に支離滅裂になることが多い。

正しいことを言うときって、自分が正しい、相手が間違っている、だから、正しいことをわかってもらいたいと思う。もうその時点で、正しいほうが優位に立っている。

正しいことを言っているひとは、冷静だし、その冷静さが言葉の冷たさや強さに現れることも多いように思う。まあ、感情的になっている人にとってみれば、冷静というだけで冷たく感じるものなんだと思う。

少なくとも、私はパートナーにそう言われた。

人は、自分が間違ってると指摘されたら、うれしくない。たとえ、確かに自分が間違っているとしても、気分はよくない。しかも、冷たかったり、厳しい言い方で指摘されたとしたら・・・

頭では自分が悪かったとわかっても、「ふんっ」って思ったり、傷ついてしまったりするのが心理だと思う。素直に「ごめんなさい、改めます」って心から言えなくなっちゃったりする。

正しい人が間違っている人に指摘をするのは、相手に変わって欲しいと思うからだと思う。だったら、変わってもらうためには、相手に伝わる言葉を、心に届く言い方で響かせることが必要だと思う。

「ふんっ」「わかるけど、こんな言い方されたら聞きたくないな」
と反発してしまうような言葉や言い方なのか
「ほんとだねー、これから気を付けるよーー」
って、心から思えるような言い方をするのか。

正しいことを言うだけじゃダメだと、しみじみ思う。正しいことだからこそ、ちゃんと届く言い方で届けなきゃもったいない。

そして、相手の心に届けるためには、相手に寄り添うことが絶対必要だ。

正しいことを知っている人だからこそ、居丈高になる必要もない。相手によりそって、伝えてあげた方がいい。


相手によりそうためには相手を知ること。
相手を知る一つの手段が、人間観察だったり、その人の背景の理解だったり。気質の理解をとても役にたつ。

例えば、胆汁質が、いくら正しいことだからといって、憂鬱質や粘液質に強い口調で言ったら傷ついて素直に反応してもらえないのがオチだ。相手に寄り添って言うと「ほんとだね、これから気をつけるよ」となる。



言いたいから言うだけの言葉から、相手に届けるための言葉へ。

重ね重ね、自戒もこめて書いておく。


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