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昔人前でシャッターを切ることを恥ずかしいと思った。 #カメラの楽しみ方


ほんの数年前の頃、所謂小学生そこら当時、写真に残しすぎると記憶に残らないと言われたことがあった。

(確かテレビの中にいらっしゃる知らない人からの助言だった)

なるほど確かにそうかも!!!!
子供心に火がつく。

捻くれ者の私なので、カッコつけて頑なに写真に残すことを嫌がった。
些細な日常も特別な非日常も皆一様に。
捻くれが行き過ぎて羞恥するにまでに至った。
被写体とかもってのほかだ!ふん!ふんふん!
後に引けず私はツンデレですと言わんばかりに抵抗した。


そんな子どもがちょっぴり成長した子どもになった今日この頃ですが、まあ手のひら返して日々の場面をスクリーンに保存しているわけで。

いつの間にかシャッターを切ることに躊躇いを伴わなくなった。

カメラに切り取られた写真は記憶よりも美しく感情が伝わる。
寂寥感という言葉を用いなくても寂寥感を伝えられる。
過去のコンマ一秒を記憶よりも鮮明に捉えられている。
写真に残すことでその時を刹那的に捉えられる。
思えば記憶は案外頼りなかった。
納得のいく加工もできない。
場合によっちゃすぐ引き出せない。
なんてたって具現化できない!
記憶は自分専用ホームビデオ上映会会場みたいなもんだ。
うんたらかんたら。


他ならない自分が見た、こんなに素晴らしい記憶を、大好きな他人に共有できない。
私が昔の私をなぜ裏切ったのかなんて、たかがそういうことだった。

口下手であろうとも言葉である程度は伝わるんだ。
充分だろうとも思う。
でもやっぱり、自己満足でも、撮った写真を他人に見せるのが本当に楽しい。
他人の撮った写真を見るのも楽しい。
私のカメラの楽しみ方は共有だった。

単純明快すぎて怖いんだが。

ということで共有をしたい。

たぶんもっと増える……。

また私は人に共有されることも勿論好むので、紹介していただけたら喜んでそちらに飛んでいきます。

時には自ら探索に出かけて、好きな写真などにスキを押したりコメントを残したりしますが、もしご迷惑おかけしていたら申し訳ないです。


高機能なスマートフォンが普及した今、写真を撮って、些細な日常や特別な非日常に彩りを添えることはより身近になった。
人を傷つけるように使わなければ、人それぞれにそれぞれのカメラの楽しみ方があるんじゃないかと思う。



では、またいつか。

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萱沼
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