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私は手紙が捨てられない

私は手紙が捨てられない。
一時期、「断捨離」や「シンプルな暮らし」的なものに色々とはまりだし、しまいには風水について調べ始めたことがあったが、古い手紙をずっと持っていることは運気が下がるのでお勧めしない、といったようなことが書かれていた。
でも、私はどうしても手紙が捨てられない。いざ捨てようと思って、手に取ってみたところで中身を読んでしまうと、当時それをくれた人が私だけのために時間を割いて書いてくれた文字たちが並んでいて、それがとても愛しく感じてしまって、それを捨てるなんて!という気持ちになってしまうのだ。

手紙をくれた人の中で、もうすっかり疎遠になってしまっている人もいる。そういう人のものほど、なおのこと捨てられない。だって、今ではあの頃みたいなやり取りがもうできないのでは、と思うと、それを捨ててしまったらもうそんな「あの頃」自体が存在したことを忘れてしまうのではないかと思うから。
もっと言うと、今は疎遠になってしまっていても、古い手紙を見つけて昔のその人との温かい会話を読み返すと、またその人に連絡を取ってみようかな、という勇気ももらえる。手紙は温かな過去の記憶を、それを手に取ることで思い出させてくれるとても大切なツールだ。

私は手紙をもらうのは大好きだけど、書くのも好きだ。「書くぞ!」と気合を入れて机に座り、相手が好きそうな便せんを選び、書き心地の良いペンを探し、最初の一言を考える。まるで儀式のように。LINEや電話は気軽に使えるけれど、手紙を書くことのほうがひと手間もふた手間もかかるし、心がこもった行為だと思う。だから私は恋人や友人への誕生日プレゼントにはよく手紙を寄せる。特別な日でなくたっていい。書きたくなった時に書きたい相手に書くのも粋だと思っている。受け取った側はびっくりするだろうが、そのびっくりした顔を想像するとわくわくする。

最近、疎遠になっている友人がいる。彼女とは大学の卒業旅行に一緒に行ったし、社会人になってからもしばしば会ってお茶をしたり、展覧会に行ったり、旅行にも行った。私の結婚式で友人代表スピーチもしてくれた。それほど仲がいいはずなのに、ここのところすっかり疎遠になってしまっている。これといった決定的な疎遠になる理由は思い当たらないのだが、強いて言うなら、一昨年、私がその子と共通の友人とぎくしゃくしてしまっていたときに、思いの丈をその子に話し、旅行の最後に泣きじゃくったことがある。なるべく愚痴にとどめるように心掛けたが、やはりその場にいない人の話をする自分もなんだかバツが悪かったし、きっと聞いてくれたその子も気分はよくなかっただろう。

昨年、私が妊娠中に、その子が例の私とぎくしゃくしていた子と複数人で数回遊びに行っていることを別の子経由で知った。自分が誘われなかったことも悲しかったけど、何より共通の友人に対する私の気持ちを知りながらその子と出かけていたことが、裏切られたような気持ちになってとても辛かった。いい年にもなって、私はまだこんな些細な人間関係で本当に傷つきやすいし悩みやすい、そしてそれが恥ずかしい。

でも、今日久しぶりに過去の手紙を見返していたときに、友人からもらったいくつもの手紙を手に取り、我に返った。そこにはかつて私に向けられたたくさんの温かい言葉があった。言葉は人を傷つけることもできるし、生きる力をくれるエネルギーにもなる。二年前の私は彼女に負のエネルギーを与えるような、悲しい、辛い、といった言葉ばかり浴びせかけてしまっていたから、距離ができてしまったのかもしれない(本人は何とも思っていないかもしれないけれど)。

もうすぐ彼女の誕生日が来る。最近全く連絡を取っていないけれど、今日、勇気を出して彼女宛に手紙を書いてみた。お気に入りの便せんを使って、書き心地の良いペンを選んで。私は下書きを書かず、思ったことをつらつらと書いてしまうので、二枚ほど紙をダメにしてしまった。でも、今度は温かい言葉だけ込めてみた。

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