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それでも世界はいつも美しいから。

私が受けた虐待に関わるお話です。

子供の頃、虐待する母から嵐のように理不尽な暴力を受け終わって、ふと時が止まったように感じるときは、決まって懐かしい匂いがした。
それはきっと、母と暮らし始めてから、初めて暴力を受けたアパートの一室の記憶。

最初は、春先の昼下がりのこと。
引っ越したばかりのアパート。

祖父母の家で育てられ、幼稚園に入る年になったのをきっかけに母に引き取られ、最初は嬉しいようなこそばゆいような、4歳になりたての子供ながらに、新しい生活に慣れてきた時、突然起きた出来事だった。

美しく優しいはずの母が、鬼の形相に変わり、全身をサンドバッグにされ、髪を捕まれ引きずり倒され、暴言を吐かれ、首を絞められた。

生まれ育った雪国を離れ、同じ季節なのに全く違う気温と日差しの春先。

香ばしく柔らかな陽射しの匂いのする記憶。
奇妙な懐かしさの中に帰りたい。
それが、死にたいという感情だと名前をつけたのは、もう少しあとのことになる。
とにかく、死からはそんな、優しく誘惑的な匂いがするようになった。

死にたいと思うとき、決まって世界はとても美しかった。
あの昼下がりの、アパートに射し込む陽射しのように。
私は世界がとても美しいことを知っていた。
そして、それに比べて私が醜いことを知っていた。
だからこそ、世界に絶望せずに済み、自分が消えれば全て終われるのだと思っていた。
そうでなければ、きっと母のように、時折世間を騒がせる犯罪者のように、世界を憎み、誰かや何かを傷つける存在になっていただろう。

美しさも醜さも、残酷なまでに表裏一体であることを、私は知っていた。

今でも、どんなに残酷なことが起ころうと、悲しいニュースが満ちていようと、世界は私にとっては美しいものだ。

残酷なまでにそれでも世界は美しいから、今でもあの香ばしい昼下がりの匂いに誘われてしまう。

でも、本当に帰りたかったのは。
遠い雪国の、氷味のする空気の中。

今は、もうどこにも帰りたい場所はない。
帰る場所は、自分で決められるから。

この残酷で美しい世界の中で、私が美しいと思える場所で、時間の中で、残りの人生を生きていきたい。

kaya

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