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「蛸壺」には魔物が潜む【小説】ラブ・ダイヤグラム18


あらすじ

バス運転に必要な「大型二種免許」を取得し、
会社の入社試験を残すのみとなった愛。

新たな試験までの猶予…一週間あまり。

良いとこの会社を黙って辞めた今までの
親不孝を詫びるべく、久々に親元へと
顔を出すことにした。

会社を辞め、バス運転士を目指している。

初めこそ、そんな話に驚いた両親であったが、
愛の意思が固いことを知ると、
最後には快く背中を押してくれた。

気持ちを新たに入社試験に
臨む愛ではあったが…



本文


入社実技試験 予定

素っ気なくシンプルに
書かれたプリントを眺めながら、
私はスッキリとしない気分に陥っていた。


試験…試験って…やっぱりコレ、

試験だよな…と。


要は、免許は養成制度で所得したけど、
まだ「ダメだこりゃ、帰ってください」
なんて会社に言われる可能性がまだ
全然あるって事だよね…?


下にはご丁寧に「合否は追って後日連絡」
なんて文言もしっかり添えられているし…

え、そう言う事だよな…と、
早い話がまた、不安になっていた。


私が完全に油断して、
勝手にもう入社は確定だみたいに
捉えてしまっていたのにも、
それなりに理由がある。


教習所での卒検の時の
田丸さんや山上さんの言葉と、
会社に合格を伝えた時の代務さんらの反応だ。

教習所で卒検を終えた後、
二人に私はこう言われたんだ。


「じゃあ後は、免許センターの学科だけだね。
もう終わったようなモンだ」


終わったようなモン、そう言っていた。
軽く付け加える程度に、
「入社試験も予定通り。チェックしてもらう」
…と、免許取得の時に言われたっきりで、

そこには教習所での教習の時のような…こう…
キッチリやってちゃんと受かってくれ的な、
一発勝負感を、入社試験にまるで
感じない言い回しなのだ。


「入社式だから時間通り来てね」
位のノリだった筈なんだ。


加えて、会社に電話した時にも、代務の人は

「お疲れ様でした。
これでやっとお会いできますね。これから宜しく」
なんてことを言っていたんだ。


気が早くない?
ホントに入社試験が試験なら…

まだ入社試験で伸るか反るかの状況だったら普通、

「あとは入社試験ですね、
最後まで気を抜かず頑張って」

みたいな言い方になるんじゃないだろうか…


色々とよく分からないけど、
何しろ試験日が迫るにつれ
どんどん不安が大きくなってきた。


ここまで来て
「やっぱりアナタ要りません」
なんて話になったら
流石にたまったものじゃない。


試験で見られる項目は二つ。
「蛸壺」と呼ばれる謎のテストと、
路上での運転。


路上運転に関しては、
現状バスに乗って復習なんて事は出来ないし
どこ走るかも具体的に
書かれてなどないので、対策は不可能だ。

…今ある運転スキルのみで
勝負するしかないのだけど、

蛸壺に関しては、多少の対策が可能そうだった。


田丸さんも言っていたように、
動画サイトやウェブページなんかに、
その蛸壺のやり方がいくつも投稿されている。

それを見さえすれば予習は可能…なのだけど…


とりあえず動画を視聴してみて、
どんなものなのか、までは理解した。


直径12m位の円に、バスがギリギリ
通れるくらいの狭さの入り口が一つ。

この狭い入り口から円の中に進入して、
円のふちをタイヤで踏まない様に
切り返していって、元来た道から
またバスを出す…っていう、

実演している風景だけ見ると、
とてつもない難易度の試験だ。


何しろ、切り返して…と言っても、
円の中に入ったらどう見ても
1~2m位しか猶予が無さそうで、

キコキコと前に進んだり下がったり…
それで上手く向きが変わってくれたら良いけど…

正しいやり方を知らないと、
幾ら切り替えしても
車の頭が出口の方を向いてはくれずに、
やればやる程二進も三進も行かない
状況になるらしい。


ただ………

「正しいやり方を知らないと」


色々見てみた結果
どうもここが最大のポイントの様だ。


逆を言うなら、正しいやり方を
知っていてその通りにやると、
車両感覚さえある程度しっかりさえしていれば、
ちゃんと出られるものでもあるらしい。

らしい…ばっかりだけど、
何せ一度も挑戦などした事が無い事なので、
そうとしか言いようがない。


兎に角正しい手順を
映像を頭に叩き込んでおくしかない。

繰り返し動画を見て、一応忘れない様
ポイントをメモに残しておいた。



そしてとうとう、当日の朝になった。

8時に小野原営業所に集合、
当日は運転しやすい靴でお越しください。

服に指定は特にされてはいないけど
重役が同乗するとは聞いていたので、
一応教習所に通っていた時と同じ、
ジャケット・9分丈パンツ・
ローファーの戦支度で行く事にした。


移動もバスを選択。
いつだか乗った、小野原駅発
小野原車庫行きのバスに乗る。

ほんの少しでもバスに乗る事で、
教習の時の運転感覚を
取り戻したかった。

何しろバスを運転するのが…
最後が卒検の時だから10日以上前。
ぶっつけ本番みたいなものだ。
不安にならない方がどうかしている。



乗ったバスの運転手の方は、
何度か営業所に顔を出していた私を
覚えてくれていたようで、
終点の車庫に着くと声を掛けてくれた。


「何お姉ちゃん、今日は入社試験?」


「はい、落とされないよう頑張ってきます」


「さっきも乗せたんだよな。スーツ着ててよ。
今日は入社試験ですって兄ちゃん一人。
まあ頑張ってよ」


「ありがとうございました」



久々に戻ってきた営業所。
丁度多くのバスが各々のコースに向かう
時間の様であちこちで車が動き回り、
エンジン音を轟かせていた。


車庫内での勝手が分からない…
邪魔にならないよう端っこを通って建物に向かう。

…しかし冬木は随分早くに来たんだな。
一本前のバスか、それとも2本前か…
20分間隔で出る路線のバスだった筈だ。

私でもまだ集合時間まで30分前なので、
相当余裕をもって来ているみたいだ。


集合場所は営業所内では無く、
整備工場前…と書かれていた。

…そういや工場の前の広いスペースに、
なんか丸い線が引かれていたっけか…


アレが「蛸壺」用だったんだなと思いだし
そちらに向かってみたものの、
とっくに来ている筈の冬木の姿は見当たらない。


代わりに別人が一人、制服姿ばかりの
営業所の敷地内で場違いに映る、
明るいベージュのスーツ姿で立っていた。


どう見ても運転手や運輸部の人には
見えない妙な小奇麗さで
接客関係の人みたいな雰囲気だった。

だから聞いてみた。


「あの、入社試験受けに来られた方ですか?」


中分けの少し長い髪にかけれていた
顔をこちらに向けると、
その人はニコッと笑って言った。


「ええ、そうです。あ、養成制度から来て、
一緒に受ける人ですね?
田丸さんから3人でやるって聞いてました。
女性の方だったんですね。」


「小原って言います。
じゃ、あなたが免許自分で取って来たって言う…」


「梨田です。田丸さんとか僕の事
ナッシーって呼ぶんで、そう呼んで下さい。
微妙にナシダって呼びづらいんですよね。
学生の時からそう呼ばれてますから」


「そう…ですか。あ、あと一人、
ゴリラみたいな大男来ますから。
同じ養成の…」


「同期三人になるんですね!
支えあってやってきましょうね!」


…ぶっちゃけ初対面のこのナッシーと
言う人の印象は「ちょっと変な奴だな」だった。

距離の詰め方がなんか変だ。

会って言葉を交わしたと思ったら、
二言目にはもう友達スタンス…とでも言うか
いきなり目の前に顔を突き出して
こられたかのような気分になる。


あまり今まで絡んだ事の無い
タイプであることは間違いが無さそうだ。

冬木の奴にも似たような所があるけど、
あいつは案外間合いのギリギリから、
安全を確認しつつ少しづつ浸食してくる感じで、
段階を一応踏んで来るのだけど…

このナッシーは、こちらが構える前には
既に必殺の間合いに入ってきている感じ。


あまりにも気になったし、私達しか来ておらず、
時間の猶予もまだありそうなので、聞いてみた。


「あの、梨田さ…ああ…
えーナッシーさんって、
前何されてたんですか?」


「僕?服売ってたよ。
○○ってブランド知ってる?」


「ああ、有名なトコですよね。そうなんだ」


「その前は青年海外協力隊やってたんだ」


「…てことは、海外にも居たんですか」


「アジア圏ばっかりだけど、
そうだね。色んなとこ居たよ」


あまり青年海外協力隊がどういうモノなのか
私は知らなかったので、
それ以上は突っ込まなかったのだけど、
何となくナッシーが独特な
コミュニケーションの取り方な理由は
少しわかった気がした。


こっちから無理やり懐まで
飛び込むくらいの勢いがないと
言葉も通じない異国の地では、
上手くやっていけないのかも知れない。


「小原さんは?何してた人?」


「前職ダンプ乗りです」


「へぇ、見えないなぁ」


「そうですか?」


「スーツ、お似合いなんで、
そういう仕事の人かと思った」


「いやいや全然です。
お偉い方々も来るって聞いてたんで…
タダの一張羅ですよ」


何となく…イマイチまだ波長の
合わないままの会話をしていると、
やっと冬木がやってくるのが遠目で見えた。


お父さんが着るみたいな、
飾り気のないYシャツにスラックス…

至って地味な格好の筈なのに、
ガタイが良すぎてやたら目立つ。
スーパーマンになる前の
クラークケントにしか見えなかった。


「おーアイアイ、久しぶり。早ぇな」


「久しぶり。あ、こちらナシダさん。
免許取って来たって話の人」


「おー、冬木っす。ナシダさんね、宜しく」


「梨田です。ナッシーって呼んで下さい。
…体ムキムキっすね冬木さん!」


「おお?…おお、筋トレしてっからな」


「僕も筋トレしたら筋肉付くのかな。
やった事無いんだよね」


「休みの日行く?小野原のスポーツセンター。
いっつもあそこ居るから俺」


冬木はあまり私が感じた、
ナッシーの独特さが気にならないのか
普通に会話をしてくれて助かった。


人懐こいもの同士で丁度良いのだろうか。
私は少し彼に馴染むのに時間が掛かりそうだけど、
冬木さえ居てくれたら上手い事
同期の輪は保たれそうだ。


すると、ようやくゾロゾロと
営業所の方から人が出てきた。
全員スーツ姿で、その中には
山上さんと田丸さんの姿もあった。


「おはようございます!」


「おはようございます。
時間通り、全員揃ってますね」


…総勢で10名以上いらしていた。
思ってた以上に大掛かりな入社試験だ…

やっぱり…一発勝負のマジ試験だったんだと、
変な汗がじわじわ止まらなくなってきた。
形式だけのものに、こんな人数来る訳が無い。
どう考えても…


「じゃあこれより、
入社試験を始めさせて頂きます。

普段は一遍に、一台のバス乗りこんでですね、
交代しながら運転してもらうんですが、
今回3人と人数多いのでね、
養成の方と一般の方で二台に分かれて行います。

梨田さん、田丸主査らとこちらのバスへ。
小原さんと冬木さんは山上指導と
こちらのバスへお願い致します。
運輸部の方々も半々で乗り込んでください」


出会ったばかりのナッシーと、
もうお別れになってしまった。
時間短縮の為、ナッシー組は先に路上運転。
その間に私たちは「蛸壺」を行うことになった。


「梨田さん、じゃあ行きましょう」


「ハイ!お願いします!」


この急展開にもナッシーは慌てる様子が無い。
落ち着いて堂々とバスに乗り込んでいった。
自分で免許取っただけあって、
運転にも自信があるのだろうか。


一足先に出て行ってしまったバスを見送ると、
山上さんが近寄ってきて声を掛けた。


「行きましょうか、そろそろ我々も。
教習の成果、とくと拝見させてもらいますよ」


スタート地点までは山上さんが運転をし、
蛸壺の真正面にピタリと車を停めた。


「さて…どっちから行きますか?
別に順番決まって無いんですよ。
我こそと思う方から先にどうぞ」


まるでやった事の無い科目の入社試験。
先にやってもらって、どんな塩梅なのか
一度見たいと思うのが人情だ。


…ところが、冬木は言った。



「俺、先良いっすか。
待ってる方が緊張しちゃってダメなんで」



教習所以来この時程、横のこのゴリラ人間が
カッコよく見えた事は無かった。

なんていう男前なゴリラなんだ…!


「良いでしょう。じゃあ冬木さんから運転席へ」


運転席に冬木、その真後ろの席に私が座り、
山上さんは運転席の背もたれに
軽く手を掛ける様にしながら
冬木の少し横後方に立った。

何かマズい事になりそうな時には、
対処する役目なのだろう。

バスの後方左右に運輸部の方々が陣取り、
冬木の「行きます」の一言ののち、
バスは動き出した。


ゆっくり、慎重ながら、私が繰り返し
視聴した手順の通りに車を操作し、
モノの3~4分で、あっさりと冬木は
蛸壺を脱出してみせた。


「良いじゃない」

「早いですね。通常5分以内って規定ですからね」

「バッチリですね」



山上さんからも、運輸部の方々からも
称賛の上がる出来栄えだった。


「いやー手汗が…拭いときますねスンマセン」


「いやいや完璧だね。予習してた?」


「はい。動画見て何となく…」


同期がそつなく、最初の難関を
クリアしてくれたのはメデタイ。

おまけに私は実際の生の現場で
成功例を見れたのだから、
これ以上ないほどの私への追い風だ。


「じゃ、続いて小原さん、行きましょう。
成功例見ちゃってるしもう楽勝ですね。
おんなじようにやりゃあ良いんだから」


山上さんはニヤッと笑いながらそう言って、
私がシートやミラーを合わせるのを眺めていた。


そう、同じようにやればいい…
全く同じように、さっき見た角度で、
同じところで同じ回数切り返せばいい。

失敗のしようが無かった。


「発進します。宜しくお願いします」


…が、私はこうも思った。

これ…ちょっと待って…?


なんか不公平なのでは…?


完全に先行の人間が不利な試験なんじゃない?
…後攻の私って全く同じ真似してやって…
良いモンなのか…?


極限状態で、私の中の狂った正義感が暴れ出し
、無意識にハンドルを切った。


……冬木の時とは真逆の方向にだ。


自分でもなんでそんな危ない橋を
渡る気になったのか、説明が付かない。
血迷ったとしか言いようが無かった。


そうだよ…逆方向に、
同じことすりゃ良いんじゃん…


ずるいと思ったのか…はたまた無意識に
冬木に負けたくないとでも思ったのか…
謎のアレンジを加え、蛸壺脱出に試み始めた。


「お、逆ですね。大丈夫ですかこれ」


試験中の筈なのに、真横の山上さんは
関係なく私に話しかけてきた。


「行けると…思います」


「見たまんまやればいいのに。
チャレンジャーですね、なかなか」


「………」


返事を返す余裕も無くなってきた。


一回…二回…三回目に切り返した時にはもう
大分おかしな状況に陥ってしまっていたからだ。


ちなみに冬木は四回目の切り返しで
脱出に成功しているのに
私のバスは斜めを向いたまま、

出口に対して横向いたり
斜めをまた向いたりと、
何度切り返しても一向にバスの頭が
出口を向いてはくれなかった。


そもそも最初に向いている
方向からして逆なので、
周囲の見た感じもまるで違う。

散々予習を重ねた蛸壺必勝マニュアルを、
自ら手放したのだ…意味不明に。



しばらく大汗かきながら、
諦めもせずキコキコ切り返したのちに

後ろの席の方から「はい、終了しましょう」と
無情な声が掛かった。


蛸壺の中で山上さんと
運転を代わる事になってしまった。


…強制終了…って奴ですか…


「じゃあこの後、路上運転組が戻ってきたら、
入れ違いで行きますので…
それまで休憩にしましょうか。
バスからあまり離れない所で休憩してください」

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