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止めども無く、変な汗が【小説】ラブ・ダイヤグラム19

あらすじ

ようやくバス会社の入社試験まで
こぎつけ「蛸壺」と呼ばれる難関科目に、同期らと一緒に臨んだ愛であったが…

同期への対抗心からか、
よく分からないこだわりからか、
手順とは真逆にハンドルを切った結果、

蛸壺を脱出できずにタイムオーバーの
強制終了となってしまった。

予習はしてたのに…
どうしてこうなった…?

落第なのか、不採用なのか私…?


異様な発汗も引かないままに、
頭を抱える愛であった。


本文


「あぁ……ああああああ」


「とりあえずなんか飲めば?
俺が出したるわ。
アイアイブラックだったよな」


入社試験会場の整備工場前、
その近くの自販機と灰皿のある
休憩スペースで、

私は人目も憚らずに、
ベンチで頭を抱えていた。


やっちまった……
こんな大事な時に……


対抗心なのか、
それとも正義感からだったのか…
直前に蛸壺を完璧にこなした冬木の真似をするのを良しとせず、

全然違う手順で挑戦をした結果、
脱出不能、タイムオーバーにて…
私は最初の試験を
終えてしまう事となったのだった。


「はいよ、コーヒー。
……っっつうかさ…なんで、
一発目から逆にハンドル
切ったのアイアイは…?」


「知らないよ!…ああもう…」


人の気も知らずに、少し笑いながら言ってくる冬木に対してイラっと来て

「そもそもアンタが先にやって、
100点満点みたいな
やり方するからだ!
それで余計なプレッシャーが
私に掛かったんだ!!」

…等という、
理不尽極まりない心情さえ湧いた。


湧きはするが、さすがに八つ当たり以外の何物でもないので
口には出さず…ただ自分の血の迷いを恨むほかは無かった。


落とされるのか……
不合格にでもなるのか私は…


渡されたコーヒーを
開ける気にすらならずに、
項垂れたまんま、頭を乱暴に
掻きむしったりしていると、
ナッシーが路上運転の試験を終えたらしく、私達に合流した。


「おーナッシー。
どうだった路上は」


「特に何も、問題無かったよ。
10分これから休憩取って
その後で再開するって」


…続くのか。

受けるのか私も路上試験…?
蛸壺で大失敗して不合格になった
私が運転する理由って何…?

…思い出作りとかですか?


「え、何…小原さんは
どうしちゃったのこれ」


「まあちょっと…な?
蛸壺試験で…な?」


「ああ…なるほどね。
一応ネットでやり方は
確認したんだけど…
最初右に切って切り返すんだっけ。
どうだった?やっぱ難しかった?」


「…手順通りやってりゃ
全然大丈夫だよ」


「…そっか」


「ナッシー、色気出して一発目、
逆に切ったりすんなよ?
…ククッ…こうなっからな」


「うるっさいお前!!!
もおおおお!!!」


「怒んなって。
追試みたいのもあるだろ多分」


「…小原さんは大丈夫じゃない?
養成から来てるし」


「あ?なになに、どういう話それ」


「養成制度の人はさ、初心者なの
会社も承知でテストしてるから
基本落としたりはしないらしいよ。
田丸さん言ってた。

ただの、現状どの位の技量なのかなってテストなんじゃないの?」


顔を上げて私はナッシーを見た。
…落とされないだって…?


「ホントの…話ですか?それは…」


「ホントだって。僕みたいに一般とか経験者の人にとっては
ガチな試験なんじゃないの?
前に別のバス会社から来たって人で、一人だけ落ちたって話だよ。

路上運転の時、街路樹に
ミラーぶつけてへし折ったんだって」


「そりゃあまあ…落ちるわな」


「だから心配ないと思うよ。
じゃなきゃ一つ目の試験
失敗した時点でさ、
次の試験やれなんて言わないでしょ」


「そうか…うん。
そうだよね……!!」


「気持ち切り替えて路上頑張ってよ!三人で合格しようよ!」


「うん…!!そうだね!!!」


「切り替えて……ブフッ!!
…また逆に切り返していくの
アイアイは…」


「…ちょっとソイツ
押さえてもらって良い?
流石に一発、ちょっと
蹴り入れるわ」



ナッシーの言い分が本当の話か、
私を宥める為の作り話なのかは分からないけど、兎に角後半の路上試験は普通に始まった。


小野原車庫から、隣町の鴎宮
(カモメノミヤ)の駅前まで
バスで走る…ってだけで、
ついさっきの蛸壺に比べれば
どうって事の無い内容だ。


実際にこの試験が始まるまでは、
まだ完全に不合格になったのではと言う疑念が晴れず、
冬木の試験を後ろで見ているだけの可能性まで想定していたが、

山上さんは皆がバスに乗り込み、
試験内容を説明したのちに
あっさりと私にこう言った。


「それじゃあ、
さっきは冬木君が先だったから
今度は小原さんから行きましょうか。

下手なのは分かってますからね。
気負わないで教習の時通りに
やりゃあ良いんですよ。
リラックスして行きなさい」


試験…っていう硬さを
まるで感じさせない、
山上さんの自由な物言い。


蛸壺の時点で技能不十分だと
落とそうって人間に、
わざわざこんな話してくるだろうか…


安心はした…とは言え、
後ろの運輸部の方々は、
さっきの蛸壺の時と同じく
一様に真剣な面持ちで、
決して和気藹々とか
そんな空気じゃない。

…まあ当たり前だけど。


山上さん一人が、
関係無ぇわとばかりに自由に
振舞っているだけの可能性もある。


…いや違う、違うぞ。
どうだっていい…そんな事は。


蛸壺では余計な事をして
失態を演じてしまったけど、
せめて普通の運転位は、
丁寧に安全に…バッチリ決めよう。


どこか浮足立っていた心も静まり、逆に腹も据わった。



「発進します。宜しくお願いします」



蛸壺ではローギアとバックしか使わず、ゆっくりとしか走らなかったので気付かなかったけど、

セカンド・サードと
スピードを上げていくと、
ある事に気付いた。


このバスは…教習者の車より、
格段に使い込まれてる車だ。


ガッツリ調整された
シビアに効くブレーキでは無く、
優しく力加減がしやすいものだったし、クラッチも教習車より
全然繋ぎやすい。


トラックやダンプの時の感覚に
近いものがあった。

多分…教習専用車とか
そんなのではなくて、実際に、
普段は営業で使ってる車なんだ。


乘りやすい。


そしてそれが、本当に現場で
毎日使う事になるものだと分かって、
ものすごく気が楽になった。


鴎宮までは片道
15分くらいの道のり。

交通量少なくは無いし
道幅も広くは無いものの、
そんなのは路上教習やダンプの時にも散々経験した。


何の問題も無かった。

多少、道中のギアの繋ぎで
癖がまだ掴めずに軽くミスって、がくんと二度ほど揺らしてしまったけど、
それ以外は本当に何もなくゴールの駅まで辿り着く事が出来た。


「お疲れさまでした。まあまあ…
まあ問題無いんじゃないですか?
じゃあ冬木君に代わりましょうか」


冬木もまた、特別何も
起こすことなく試験を終え、
山上さんの運転で最後は営業所に戻った。


蛸壺試験をもう終えたらしい
ナッシーが、さっきの自販機のあたりで皆と話しているのが目に入った。

ニコニコしているので、彼も特に
問題なく試験を終えたのだろう。


「蛸壺組も終了したんですね。
じゃあ皆さんお集まりいただいて…

これで入社試験は終了となります。
合否は今週中に追って連絡いたしますので、しばしお待ちください。

それでは志望者の方々、
並びに運輸部の皆さま、
ありがとうございました」


皆が一斉に頭を下げると、
私たちのみならず
山上さんも田丸さんも、
そして少しだけおっかなかった
運輸部のスーツの方々も、
一様に緊張の糸がほぐれ

そこかしこで和やかに会話が出て…
一人また一人と営業所の中へと
戻っていった。


残った山上さんとふと目が合うと、
ニヤニヤし出してこう言われた。



「愛ちゃん!!
やるじゃない!!!!」


…その言葉の真意は
すぐに汲み取れた。

「意外と運転上手いじゃない!」
では断じてない。

「こんなにお偉いさん連中の前で
蛸壺でカマしてくれてんじゃない!」

なのは確実だ。

とりあえず謝っておくことにした。


「すいません、テンパって
よく分かんない事しちゃいました」


「…まあね、ヒヨッコですから。
そう言う事もあるでしょう。
ね?田丸さん?」


「聞いたよ、
蛸壺出れなかったんだって?

…でも全然気にせんでいいよ。
そういうのも全部、一から
出来る様に教えてこうってのが
会社の初任教育だからさ。

落とされたりはしないよ…
その位では、多分ね」


「まあ2~3日、
また時間ありますから。
のんびり一杯やって休んで下さいよ。
入社後はアタシがしっかり
教えてあげますから…運転も、
旨い酒の飲み方もね」


最後の方に妙なワードが
なんか混じっていたな…

そう思ったら「酒」の単語に
すかさず冬木が食いついた。


「山上指導はイケる口ですか!!」


「当然じゃないですか。
関東近郊で私の知らない
旨い店はありませんよアタシは」


「何がお好きですか!?」


「今の時期でしたら…
ホッピーですかね。

馴染みの店に
良い焼酎キープしてましてね。
そいつを黒ホッピーでやると
絶品なんですよコレが」


「うおぉ!黒っすか!ツウっすね!!
連れてってくださいその店!」


「…山上さん、まず教習だからね?
悪いこと教えちゃだめですよ。」


「田丸さんの言う通りですよ!!
仕事も半端なうちにもう
酒飲みたいだなんて
怪しからん新人ですね!!

(…まあ、おいおい…ね?
慣れてきた頃に…)」


「(はい…!俺頑張って
早く慣れますよ…!)」


コソコソ分かりやすくやってるが
傍目にも丸わかりで、
田丸さんも首を振っていた…

山上さんが誰に対しても自由な人…
ってのは間違いが無さそうだ。


「なんか…豪快な人なんだね、
あの山上指導って…」


「揃って入社したら、
その豪快な人が私達の
指導教官だよナッシー」


最後の最後で妙な話の流れも出て来たけど…一応入社試験は終わり、
私たちは各々帰路に着いた。


流石に…大丈夫なんじゃなかろうかコレは…

ナッシーの話の通り、
養成の人間にとっては
極端にマズい運転技術じゃないかどうか位のテストなんだろう。



家に着くと、すぐさまジャケットもパンツもベッドに放り投げ、

インナーに着てたキャミ一枚になり
冷蔵庫のビールを取り出して、
窓辺でそれを開けた。



今日は…ちょっと、
良くない汗をかきすぎた…

どうせもうスーツは
クリーニング行きだ。
寝る時まで放っぽっておこう。


色々とあったものの、
時間は未だ昼過ぎ位の時間…

だけどもう、
今日は一杯やってしまおう。


窓から土手と雲を眺めながら
ビールを流し込むと、
体中に良く沁み込んだ。

前に冬木とコンビニで
飲んだやつも美味しかったけど、
今日のお酒は…安心した心に少しの幸せを足すお酒だった。

美味い…けど、何か気の利いた
つまみ買っておけばよかったな。

夕方シャワーでも浴びた後に何か作って、それと一緒にもう一本は
飲もうと思った。


二日後…
会社からの連絡は
案外早く掛かってきた。


結果…採用。



安堵する私に、担当の方は
今後の流れを説明してくれた。

まず本社で必要書類の作成と提出、制服の貸与。
初任教育で使う教本やら
資料やらを受け取り、
これで丸一日掛かるらしい。


次の日に外部の
「運転適性診断」を受けに行って、
その後にそのまま健康診断を
受けに行くとの事。


そのまた次の日に本社で
新入社員研修(座学)を受け、

小野原営業所配属の
辞令を受けたのちに、
山上さん指導の下、バス運転士としての初任教育に入るそうだ。


なんだか長い数日間になりそうだけど、ようやくここまで来た。


たまたま大型一種の免許を取りに行っていて、たまたま山上さんに出会い、何だかんだと本当に
私はバスの運転手になりつつある。


感慨深いし、人生って偶然の積み重ねなんだと思わずには居られなかった。



週明け…4日後から。
一連の諸々こなすことを確認し、
電話を切った。

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