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小説 ラブ・ダイヤグラム④ ファミレスに夜風

大型の免許を所得した私は、
晴れて独り立ちして
ダンプの仕事に当たっていた。

…当然何日か、会社の人に同乗してもらって、
あれやこれやと指導を受けた後だ。

一度慣れてしまえばそう違和感や恐怖心を持たずに案外運転できてしまえるものらしい。

今までロク様乗用車すら運転していなかった
私ですらそうなのだから、誰にとっても
きっとそういうモノなのだろうと思う。


依頼先の現場でも、散々今までハナちゃんに
教わってきた段取りや仁義の気遣いをもってして、
特に大きなトラブルも無く仕事をこなせるようになりつつあった。

一人で現場に向かうようになって、
以前よりハナちゃんと仕事場で顔を合わせる事が
少なくなってしまったのは若干寂しい事では
あったけど、仕方のない事だ。


教習所を出てから2か月余りが経っていた。


もうすぐ秋になろうかと言うのに、暑い日が続く。
ツナギや下着に汗が染みこんでいくのと
同じように、私自身もこの業界に、きっと
少しづつ染まっていくのだろうなと
実感しながら仕事をこなしていた。


一日の仕事の帰りしな、
コンビニに立ち寄ってアイスコーヒーを買った。

いつもは真っすぐ寄り道などせず帰るのだけど、
たまたま例の、海の見えるコンビニの
道すがらだったので、
そこに寄っていきたくなってしまったのだ。


幸い夕日が沈む前に来る事が出来た。

首にかけたタオルで汗を拭きながら、
フェンスにもたれ掛かってコーヒーを開けた。

風呂場の湯気みたいなぬるい風を受けながら、
オレンジ色に染まった海を見ていて
今日、ハナちゃんに話したくなってしまい
ダメ元でラインを打った。

ハナちゃんはいつも私よりキツくて
遠い現場に行くことが多いので、
会社への帰りも遅かった。

寄り道した後会社に帰れば、
タイミング良く落ち合えるんじゃないかと
見越しての今日の寄り道でもあった。

たまたま運転中じゃ無かった様で、
鬼のような速さで返信が来た。


「30分くらい待たせちゃうかもだけど、
それでもいいなら行く!!!」


絵文字の混じった彼女らしい元気な返事で、
少し笑ってしまった。

陽の沈むまでゆっくり海を眺めてから帰ったけど、それでもハナちゃんより先に
会社に着いてしまった。

洗車をしながら待ったのちに、
夜風を受けながら二人、
バイクでいつものファミレスに向かった。


ずっと心に引っかかっていて、
どうしてもハナちゃんに聞いてほしい
話があったんだ。


二人で食事をするのはなんだか久しぶりで、
凄く嬉しいのだけど話したい内容が内容なだけに、どこか盛り上がりきれない思いがありながら
最近の話をしつつ、料理が届くのを待った。

頼んだものの皿が
運ばれてきたタイミングで切り出した。


「会社の…説明会、来ないかって話があってさ…」


言うまでも無く、教習所で出会った、
山上さんとかいうおじさんの話だ。
事の顛末をハナちゃんに話すと、
彼女はアッサリと「いいんじゃない?」と言った。


「前にも話したけど、ダンプとOLだけが
この世の仕事の総てってワケじゃ無いしさ。
良いと思うよ全然、話聞いてくるのは」


やっとの事で今の仕事の
独り立ちしたって言うのに何だと、
そう思われても仕方のない事を
話しているのは理解していた。

…けどハナちゃんは、
頼んだポテトを口に運びながら
にこやかに言うだけで
あっけらかんとした様子だった……が、
ふと眉間に皺を寄せて「ん!?」と、急に言った。


「ねぇバスってさ、二種免許だよね?」

「そうみたい。…なんで、やるってなると、
取得制度があるらしくて…
ほら、この紙にそんなのが…」


私が先日取得したのは大型一種って免許で、
トラックとかダンプ、タンクローリーなんかの
運転が出来るって免許なのだけど、
乗客を乗せる車の運転は出来ない。

乗客を乗せて運転するには二種免許が必要なのだ。
これが、似たような名前の免許なのに、
大型一種を持ってれば、学科とか免除…
みたいな特典が特にある訳でも無く、
まるっきり別の免許取りに行くようなものらしい。


「え!?じゃあ愛ちゃん…
また教習所行くつもりなの!?
毎回あんなに行くのヤダって
ヒーヒー言ってたのに!?」

「いやまだ分かんないけどさ……
あー、でも、そうなるのか…これは…」

その、バスに乗る為だけにある
大型二種免許を取得する費用を
バス会社が出してあげますよ…ってのが、
件の取得支援制度のようだ。

普通に自分で取りに行くとなると
4~50万は掛かる。…高い。高すぎる。
伊達や酔狂で「ちょっと取ってみようかな」では
とても済まない金額だ。


「なんでまた急に…そんな専門職みたいな
仕事する気になっちゃったんだい?」

「さっき言ったおじさんがさ、
すっごい自信満々に言うんだよ。
私は誇り持って仕事してる、
胸張ってやってる、プロだから…って。
私と口喧嘩みたいになっちゃってさ…」

「口喧嘩!?スカウトしに来たって人と?
どうしたらそんな話になるの?滅茶苦茶じゃん」

「そう、滅茶苦茶でさ。
…でも言うんだ。信念だの志だの…
多分マジであの人そういうの持って仕事してて、
私がそれを茶化したから言い返してきたんだ。

…なんか、被るんだよね。
あの異様に高い仕事意識って言うか…
私の元カレの…例の「人生」の考え方に。

こう…芯は同じでまた違う形…
別の物には見えるんだけどさ」

「う~~~ん……」


ハナちゃんはイマイチ話が見えないらしく、
ストローで飲み物をかき回しながら、
眉間に皺を寄せてしまった。


「だから、ちょっと…
話は聞いてみようかなって思って」


あのおじさんの、自分の仕事に対する自信。
彼の話に当て嵌めるのなら、
自分の人生に対する自信。

私が欲しているのはそういうものなんじゃないか。
そう考えだしたら頭を巡ったまま離れないのだ。


確かめてみたかった。
それが本当にそういうモノなのかどうか。


「結局……愛ちゃんが何でもって、
一番気持ちよく生きられるのかは
アタシには分からない。
愛ちゃん自身にしか分からないことだからさ。
それが良いとも悪いともアタシには言えないよ。」


珍しく、どこか私を突き放したような
言い回しに聞こえ、狼狽えた。


「ゴメン、折角今の仕事…誘ってもらって、
良くしてくれてんのに…こんな話ばっかりで…」

「違うんだ、そこは本当に気にしてない。
あの時は…愛ちゃんが…
仕事辞めてこれからどうしようって時で…
何していくのかも決まって無い時だったから、
ウチの会社誘っただけ。

ホラ、どこで生き甲斐とか、
そういうのに出会えるかなんて分かんないじゃん。
本当……そんだけ。」


ハナちゃんの言葉は、どこか歯切れが悪かった。
今話してくれたこと以外にも、何かしら私に
伝えたい事があるのだとは察したけど、
今まであまり見た事のない彼女の様子に不安を
覚えて、それを聞き出す勇気が湧かなかった。

お互いに口を開かない沈黙の中、
店内の喧騒だけが響いた。


…が、ハナちゃんは急に、パン、
と手を合わせると、ニッと笑いながら言った。


「ま!話聞くまでなんてタダなんだしさ!
行ってみたらいいよ。
何だって経験なんだからさ」


そんな風に話を締めくくって、
そのあとは他愛のない話に花を咲かせて店を出た。

…ハナちゃんは…優しい子だ。
会うたびに毎回そう思う。
そう思っているだけに今日のバスの話は辛かった。

でも、それを言わずにコソコソやってしまっては、それこそハナちゃんの気持ちを
裏切る事になりかねない。

良い職場に良い仲間……居心地も良いし、
お給料だって悪い訳じゃない。

ただ、何かが私にとって決定的に欠けているんだ。

それに目をつぶれない、見て見ぬ振りが出来ない。
今の人生に納得行かせるだけの何かが、
どうしても見つからない。
逃げたまま、さ迷うままに私は耐えられなかった。


家に帰って、シャワーで汗を流した後、
ふと鏡に映った自分の体に目が留まった。

心なしか、腕や体が引き締まって
きているように見えた。

現場ではチンタラ歩いちゃダメ、
基本走れ、キビキビ動けとハナちゃんに教わり
それを実践しているうちに、
体が絞られてきたんだろうか。

気持ちは未だ今の業界に馴染まないのに、
体の方は迷いも無く今の仕事に馴染もうと
しているのが、私のことを何とも
よく分からない気分にさせた。



「はい、緑根バス総合案内です。」

「お忙しい所申し訳ありません。
会社説明会に関して書類を頂きまして…」

結局、次の日の週末、
貰ったビラに書かれた番号へ電話をした。
待ってたって何も進まないし、
何も分かりはしない。

ハナちゃんの言う通り、話聞くくらいタダなんだ。


「お話は当社の誰から差し上げましたか?」

「えー…運輸部の、山上様から…」

「そうしましたら山上にお繋ぎ致しますね。
お名前は?」


え、いやちょっと待って!
別に繋がなくてもいい!!
どんな仕事か話聞きたいだけだし、
出来たら最初は別の人に……

と、思うもさすがにそんな事は言い出せず、
いきなり先日悶着を起こしてしまった
山上さんと直で話すことになった。

確かにハナちゃんにも話した通り、
あの人の信念信条みたいなものが
バスに興味を持ったキッカケではあるものの、

あんな揉めたっきりの相手に、
顔を合わせない電話ってのは
却ってキツイものがある。

出来る事なら、アポを取ったのちに
実際顔を合わせて、その時に「その節は……」
みたいな流れが良かった…


昔ながらの保留音、
エリーゼの為にの電子音を聞きながら、
心臓が鳴った。
急に不安が押し寄せてきた。

山上さんと話をしなければ
ならない事もそうだけど、
それに加えて、自分が一時の思い込みに任せて
とんでもない方向に自分の人生の
舵を切ってしまっているのではないか
…って気分になってきたからだ。

何でダンプじゃダメなの?
何なら、別の会社でまたOLでも、
平穏無事に暮らしていけるのに……
なのに、なんで未経験でバス運転するの?
あんなデカい乗り物を?

自分から電話しておいて、不安のあまりに、
急に自問自答が頭の中で始まってしまった。

ちょっと待って…私、早まった…?
どうしよう、電話切っちゃおうか…一旦…

そんな話をぐるぐる考えていると、
とうとう電話が繋がってしまった。


「はい」


一言…だが、恐ろしく野太い声。
明らかにあのおじさん、山上さんの声だった。


「あの……お久しぶりです。
小原と申します…教習所でお会いした…
覚えてらっしゃいますか…?」

「ええ、小原さんね。
しっっっかり覚えていますよ、しっっっかりね。」

やたら強調された「しっかり」のタメが、
私への怨念の表れにしか聞こえなかった。
根に持たれているのか…いよいよヤバいと思った。


「先日は…その折は、失礼致しました…」

「まあまあまあ、よく電話してきましたね」


最初、私は山上さんのこの言葉が、要するに

「テメェよくも連絡してきやがったな!
いい度胸じゃねえか!」

と言う意味に聞こえ、
やはり電話すべきじゃあ無かったと後悔した。
が、山上さんはこう続けた。


「流石に来やしないと思ってましたよ。
電話をくれたってことは…
会社説明会、来てくれるんですね」


電話越しでもわかる位に、
急に…山上さんは優しい口調でそう言ってきた。


「はい、行きたいです。お願いします」

「じゃあ、明日、来なさいよ」

「え…明日……ですか?」

「現場仕事は土日休みでしょ?
すぐにやったらいい。…あ、予定でも入ってた?」

「いえ、特にないですけども…急で…」

「思い立ったが吉日って言うでしょ?
8時にしましょうか。8時。ね?」

「あの、はい…分かりました。
それでは8時にお伺いしま……」

「じゃそう言う事で。
お持ちしてますね。失礼します」


こちらが話し終えるのを待たず、
ぐいぐい話を進めるのは相変わらずで
言い終えるとすぐさま電話は切れ、

私は呆気に取られたまんま
ツー、ツー、という音が携帯から
流れるのを聞きながら思った。


何か……やっぱりスゲェなこの人は、
色んな意味で…と。

余程に忙しい人なのか、
はたまた異様にせっかちなだけなのか…
携帯を置いた後もしばらく考え込んでしまった。

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