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【小説】ラブ・ダイヤグラム⑥ 川遊び

小野原は私の故郷の街だ。
正確には「だった」の方が正しいかもしれない。

中学時代の3年間家族で
暮らしていた事があるだけの街だった。

その前も、中学卒業後のその後も、
転勤の多い家の事情があって
別の所で暮らしてる。


引越しの多い事は今でも変わらないらしい。
親も、弟も、現在はまるで別の土地に
居を構えているので、小野原には
もう私の「実家」は存在しない。

そんな風に、小さい頃から
引っ越しを何度も経験しているので、
人から「田舎はどこ?」と聞かれると
少々困ってしまう人だ、私は。

ハナちゃんの縁があって今
この町で仕事をする事になった訳だけど、
ココを選んだ理由はもう一つあった。


小野原が海も山も、
川も田んぼも身近にあるような
自然の多い素敵な街だからだ。

住んでいた期間は短かったけど
その自然や水の綺麗さは
ずっと脳裏に焼き付いていて、

都会でボロボロになった私の心は、
そういう何かしら綺麗なものを
求めていたのだと思う。



時間が経ちすぎていた。

当時の知り合いも大半が
結婚したり仕事だったりで、
町を離れ居なくなってしまっていたけれど…

小野原のそこかしこにはまだ
私の思い出の欠片が形を残していた。


よく家族で行ったラーメン屋、

ものすごく大きくて、
毎年山程の銀杏の実を落とす銀杏木、

夏祭りの会場だった神社、

…好きだった男の子と
一度だけ一緒に帰った、あのあぜ道も。

あの頃とまるで姿を変えずに今でも残っていて
時折私の心を締め付けた。

私にとって小野原はそういう町で、
私はこの町が好きだった。


そんな街の川沿いにある、
比較的築浅な賃貸アパートが
今の私の家だ。

海だけは少しばかり遠いけど、
山と川は目と鼻の先。
バタバタしながら決めた家ながら、
思った以上にいいトコに住めたと思っている。


1LDKの部屋の掃除と洗濯を済ませると
Tシャツと短パンに着替えて
いつ買ったかも思い出せない、キャンピングチェアとサングラスだけ持って家を出た。


ハナちゃんと川で遊ぼうという話になっていた。

近頃あまりにも暑いので、休日にプールにでも行こうかと持ち掛けたのだけど、
ハナちゃんはそれを頑なに拒否したのだ。
人前で水着になるのに相当抵抗があるらしく、
同じ理由で海も絶対に嫌だという。

じゃあ私んちの前の土手から川遊びに行こう、
殆ど人なんか居ないし、居ても近所のチビッ子位だから…と食い下がってようやく、
今日の川遊びの運びとなったのだ。

こんなに暑いのに泳ぎにも行けないなんて耐えられない…服の下にはしっかり水着も着用済みだ。
遊ぶと決めたら全力で遊びたい。


食事やお茶は頻繁に二人で行っていたものの
こうしてハナちゃんと明確に「遊ぼう」と出かけるのは随分久しぶりな事で、私は今日と言う日を、後悔のない程楽しく遊んで過ごしたいと思っていた。

あぜ道を抜けて、草がひざの上くらいまで
茂った土手をゆっくり上まで登ると、
キラキラと雲間の太陽に水面を光らせる
川が目に入る。

上流にダムがあって、水流も少なく、静かで
ゆったりとした川だ。中州まで出張って橋の下の日蔭あたりにチェアを並べて置けば、
最高のベースキャンプになるに違いない。


すると丁度、約束した時間通りに
土手の中腹にある空地へと
やばいエンジン音を轟かせながら、
一台のバイクが入り込んだ。

近寄って行って声を掛ける。


「やあ、暑いね、今日は」


仁王立ちする様に両足を広げてバイクに跨りながら
フルフェイスのヘルメットを外すと
乱暴に髪を振り乱しながらハナちゃんは、
まずこう言った。


「暑すぎるって今日!!やばいって!!!」


バイクが恐ろし気にドフドフ音を立てていたけど、
それに負けないくらい大きな声だった。
マジで暑かったと見えた。

エンジンを切ってスタンドを立て、
首元にタオルを巻いて額の汗をぬぐいながら
肩にかけていたクーラーボックスをドカンと下ろす。


「水泳日和だねぇハナちゃん。水着着て来た?」

「下に着て来たよ一応。アメリカのお姉ちゃんみたいにさ、上だけビキニでバイク乗ってやろうかと思った。まあ…やめといたけどさ」

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冗談でそう言っているのだろうけど、
ハナちゃんの体型なら普通に
そうしたらカッコよさそうだ。

思わず想像までしてしまったけど、
彼女の性格からして、そんな妄想が実現する可能性は、海だプールだで彼女が水着姿を晒すより
はるかに夢物語に違いない。

絶対にカッコいいのに…
恐らく生涯そんな光景を、目の当たりに出来ないであろう事が残念でならなかった。


「あー…思った以上にコレは…
ビールが美味しそうな気温だぁ…
バイクじゃなくて電車とかで
頑張って来ればよかったな…」

「本当だよ、飲めないじゃん。何買ってきたの?」

「コーラとサンドイッチ。
愛ちゃんのビールはあるよ。一ケース」

「私一人で飲むんかい、一ケースも」

「まあ…そこは流れで…
最悪愛ちゃんちの駐車場にバイク置きゃいいよ」


思った通り、川には土手沿いに
何人かの小学生が居るのみで、この時期の
浜辺やプールに比べれば、無人も同然だった。
サンダルでザブザブと浅瀬を突き進み、
橋の下の日蔭に予定通り椅子を並べ
即席のキャンプ地をこしらえた。


「さーハナちゃん。水遊びするよ。
座ってる場合じゃないよ」

「気が早すぎるんだってー!
ちょっとゆっくり休んでからにしようよ」

「いいからTシャツ脱げよこのヤロー!!
汗かいてんでしょ!!」


一歩足を踏み入れると、
川の水は思いのほか冷たくて気持ちが良かった。

すぐそこの山の上から
冷えたものが流れ込んでいるのだろうか。

海からそう遠くも無い下流の場所なのに、
小野原はどこもかしこも水が透き通っている。
川だけじゃない、用水路や池ですらそうなんだ。

都会で濁った水ばかり目にしていた私には、
感動的な水の綺麗さ。
はしゃぐなと言う方が無理な話だ。


最初はTシャツだけ脱いで、
消極的に川に入っていたハナちゃんだったが
あまりにも執拗な私からの水しぶきに開き直ったと見え、下も脱いで完全に水着姿になると、私以上に本気で川遊びを楽しみ出した。


やばい、川の水に入って遊ぶだけで
こんなに楽しいものだったか…
気が付いたら一時間以上水の中で
二人してはしゃぎ回ってしまった。

大人になったと自分でも思っていたのに、
こんなに無邪気に遊ぶ心が残っていることが、
なんだか嬉しかった。


思うさま、気の済むまで水遊びをした後に
サンドイッチとビールを二人で分けた。

ハナちゃんちの近くにあるパン屋さんの
サンドイッチで、美味しいと評判の奴だ。
ハナちゃんはもう、コーラを開けようともせずに
当たり前にビールを飲んでいた。


「もういい、知らん。
バイク置いてきゃ文句無いんでしょ?」


そう言って、飲めるクチの私の為に、
多めに用意しといてくれたビールを
私よりハイペースで開け出していた。


日蔭を時々通り抜ける風が、素敵すぎた。

サングラスをかぶり、深く椅子に腰かけて
ただ川の流れを眺めながら、
全力で夏の風を味わった。

ハナちゃんは…ただ休んでるのか
疲れて眠ってしまったのか、
サングラスのせいでよく分からないものの
私と同じように椅子に深く座りながら、
ただ静かにしている。


…それにしても……と、
水着姿のハナちゃんを見て、改めて思う。


「ねえ、ハナちゃんてさ、
なんで彼氏作んないの?」

「なになになに急に……
愛ちゃんて恋バナとかするタイプだったっけ?」


違う、殆どしないタイプだ。
昔からそうで、人の恋愛事情にあまり
首を突っ込みたくないし
自分の事も聞かれたくない人なのだが…

ハナちゃんのこの恵まれた素材で彼氏が居ないのは、いかにも不自然に前々から感じていた。

以前ひと頃、付き合ってる人は居た筈だけど、
その後全くと言っていい程その手の話を
聞かなければ、その気配も無い。
無さすぎるんだ。


「いや、アナタ全然付き合ったりしないからさ…
何か勿体無いなって思って…」

「勿体ない…?」

「そのナイスバディがだよ。
絶対モテるよね、ハナちゃん」

「いやいや…全然っすよ、全然」

「絶対嘘だ。
……うん、でもまあ、ゴメン。
変な事聞いちゃって」


ハナちゃんは椅子から体を起こして、
胡坐をかきながら残ったビールを飲み干すと
ふいぃぃ……と変な声を漏らしたあと、
ぽつぽつ語りだした。


「アタシさー…夢中になっちゃうからダメなのよ。
両立が出来ない人みたいでさ。
まともに仕事出来なくなっちゃうんだよね…」

「あー…ハナちゃん一途だったもんね、
中学んとき。…そうなんだ」

「…いい仕事したいからさぁ…」

「…いい仕事って?」

「いい仕事。
……言うて男社会なワケですよ、社会ってのは。
アタシ達の仕事だと特にそうだと思う。

女だからって特別扱いされながらなんて、
やりたくないじゃんか。
人より良い仕事して認めさせてやりたいんだ。
仕事人だぞアタシだって…ってさ」


いい仕事……って何なんだろうか。
ミス無くこなして仕事が早いって事だろうか。
正直ハナちゃんが恋愛を蹴ってまで
目指すものの姿がよく分からなかった。


「アタシは、男社会に入って
「女なのに頑張ってる」じゃあだめだと思う。

「あいつはスゲー奴だ」じゃあないと。
「今日アタシいい仕事した!」でもダメでさ。
それを判断するのって自分じゃなくて
他の人だから。結構難しくてさ…
全く気ぃ抜けないんだよ、これが。

…彼氏と喧嘩した、とか電話に出てくれない…
みたいな事あったら、アタシ絶対仕事どころじゃ
無くなっちゃうもん」

ハナちゃんの話を聞いていて、
不思議と少しづつ分かってきた気がした。


私が何を求めているのか。
やっぱり、山上さんの言うように
私も、認めてほしいだけなんだ、
自分のやってる事を。


ハナちゃんは仕事のコミュニティの中で
認めてほしいと願うけど、私は多分…
全く違う世界の人達にまで、
認めさせない時が済まないんだ。


バスの仕事と山上さんの話が
ずっと心に引っかかるのも、
もしそれが本当の話なら…

私の事をまるで知らない大勢のお客さんにまで
私の仕事を、人生を認めさせる事が出来るからだ。

納得出来るんだ、私の事を。
「プロだ、スゲーな」って言わせれれば
私はようやく、自分の人生に納得できるかも
知れないって、そう思ってるんだ。


「…だからアタシはしばらくいいや、彼氏とか。
仕事人ハナちゃんと呼ばれて、
ある程度業界を恐れ戦かせてからにするよ」

「恐れられちゃうんだ…」

「愛ちゃんは…そういえばどうだった?
仕事で思い出したけど、会社説明会」

「バス会社、やってみるよ。今決心付いた」

「……そっか。」

「私も…たくさんの人に、私を知らない人にも
「頑張ってるな」じゃなくて
「プロだ、スゲーな」って言わせてみたくなった。

小野原も緑根も観光地だから、
日本全国ん人にも海外の人にも
スゲーなって言わせられるかもしれない。
バス、やってみるよ」

「……それ聞けて安心したよ」


私が今の会社を離れる事に、
ハナちゃんが前々から寂しげなのは察していた。
…なのに安心した、と言う意図が分からず、
彼女の言葉を待った。

すると椅子からすっと立ち上がって、
私の正面に向き直って、言った。


「アタシはね、愛ちゃん。
アナタにもスゲーって言われるような
仕事人になって欲しかったんだ。

一人でも、増やしたいんだ。そういう…
男社会で認められる女の子を。
おんなじ仕事で、二人でさ、
そうなれないのは寂しいけどさ…

愛ちゃんは愛ちゃんで…違う仕事の中で…
スゲーなって言われるような仕事する人、
目指してくれるんだね。
なら……良いし、何か嬉しいよ」

「うん、なる。ワタシもいい仕事する人になるよ」

「……もうひと泳ぎしてくるわ、アタシ」


そういうとハナちゃんはサンダルを脱ぎ捨てて、
岸から川の深い所に飛び込んでいった。
さっき入ってみたけど、
なかなかの深さだった場所だ。

ドボンと音がしたかと思うと、
ハナちゃんの姿が完全に消えた。


「…大丈夫ー?おーい!!」


どこまでも流されちゃうような
流れの川では無いモノの、
彼女は酒が入っている。

焦って駆け寄ってみると、
飛び込んだ場所から大分離れた所で
ハナちゃんの頭だけが水面から飛び出した。


「愛ちゃーん!!!」


はじけるほど満面の笑みで、声を上げた。


「ハナちゃん!豪快すぎるって!!」

「泳ぐの楽しいわー!また来ようねー!!!
ココなら、水着着てアタシ泳ぎ来るからさー!」

「…わかったー!…
今度はもっと一杯お酒持って来よう!!
…って言うかソコ深いからー!!
戻ってこよう一回!まじでー!」

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