幸せになりたい自分と幸せが怖い自分と
タイトルを改めて見るとなんだか哲学的なテーマですね。
実はつい先日この辺のことでガツーンと腑に落ちたことがあったんでちょっと今後の自分のためにも難しい話ですが思うところをまとめてみたいと思います。
幸せの概念が人それぞれであったとしても。誰でも本当のところは幸せになりたいし、誰かを幸せにしたいと思ってました。もちろんボクもそう思ってました。
でもその方法がわかってなかったんです。
ボクは人生は苦行だと思ってた。苦しまなければ報われることはないと思ってたし、苦しんで生み出すものにしか価値はないと思ってた。幸せになろうと思えば思うほどそれ以上に苦しまなければ幸せになる価値はないと思ってた。
幸せになるための一つの要素であるお金は汚いものだと思ってた。汚い事をしなきゃお金は稼げないと思ってた。
これも幸せになるための一つの要素、他人(家族を含めて)を幸せにするためには自分は我慢し、自分を犠牲にするしかないと思ってた。
だから誰かを幸せにするって言うことは生半可な気持ちでは言えない。自分を犠牲にできるって思える人にしか言えない。とてつもない覚悟が必要だと思ってた。
たぶん、これはボクの生きてきた人生に由来するものなのだろう。
父親は土建屋(厳密には違うが)を営み、バブル時代を経て成り上がり、人に利用され、バブルが弾けるとともに自身も弾けるという絵にかいたようなストーリーを見た。
子供なりに人の良いところも汚いところも見てきたし、お金の怖さも見た。親の苦しんでいる姿も見たくもない醜いところもたくさん見た。それで自分がどうこうなることは無かったし、ある意味では強くなれた。
でもそのうちにいつの頃からか幸せになりたいと思ってると同時に幸せになるのが怖いと思ってる自分がいた。
でも自分自身ではそのことに気づいていなかった。
話は逸れて、この1か月ぐらいYouTubeを見る機会が増えた。
興味はあってもいつでもそこにあると思うと後回しにしちゃう性格のボクは気になるチャンネルがあっても、登録だけしてあまり見てなかった。
ちょっと見るようになったキッカケは友人たちが作ってる車やバイクのチャンネルのサブチャンネル。本チャンネルも人気で面白いのだが車やバイクにあまり興味のないボクにはついていけないことがほとんど。それがこのサブチャンの新しい企画である「40代おじさんシリーズ」が車やバイクにあまり興味のないボクにはピタリとハマり面白くこういう楽しんでる姿(もちろんその裏側には大変な苦労があるだろうが)を見せてくれることも「幸せの概念」が変わってきたことの要因の一つだと思ってる。
そしてこのチャンネルをキッカケにちょっと他のYouTubeチャンネルも見始めているのだ。
いくつか見てるそのYouTubeのチャンネルの一つに最初に書いたガツーンがあった。
鴨頭喜人さんのチャンネルもたまに見ていたのだが、先日キングコング西野さんとの対談が気になって見ていた(こちらもめちゃくちゃいいのでぜひ見てください)。その流れでこのニシトアキコさんとの対談を見つけ、なんとなく見てるうちに途中ガツンとやられた。
長くなるし、正直もうすでに大半を忘れているところもあるので(笑)、内容を説明するつもりはありません。
ただ、今書いた幸せになりたいと思いながら逆に幸せを怖がり、幸せになりたくないと思ってる自分がいる。
この動画を見てここに気づけました。
気づいてないうちに自分で幸せになることにブレーキをかけてたんです。いや、反対側に引っ張っていたんです。
そこに気づけたときなんだかすべてが腑に落ちた感覚がありました。
何となくですが幸せになるためのヒントを手にしたような感覚がありました。
とは言っても人は、いやボクはすぐに忘れてしまう。だからたまにでいいからこの対談は何度も見返そう。そのたびに気づいていこう。そう思いました。
ちょっとテーマが哲学的で言語化するのが難しく何を書いているのか自分でも分からない部分もありますが、もしよかったらこの対談をぜひ見てほしい。めちゃめちゃ分かりやすく言語化されて今後の人生の指針というかヒントみたいなものになる人もたくさんいらっしゃると思いますよ。
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