見出し画像

暑くて思考がぐるぐるする日

暑い。

とにかく暑い日々です。

私の住む京都は昨日も今日も39度近い。
鴨川沿いに自転車を漕いでいると風を感じて気持ちい〜!最高!
なんて思うものの、
川を出て信号で止まると暑さに気づき、
頭がくらくらする。

太陽が、
「あ、ちょっとやりすぎちゃった?ごめんごめーん!」
と言わんばかりに暑くなりすぎたところで、
ゴロゴロドーンと雷を鳴らして急な大雨!
「ちょっとは冷めた?ごめんね〜!」
といういたずらな太陽の声がけたたましいジージーという蝉の声をBGMにして聞こえてきそうな今日この頃。
湿度があがるだけだよぉ〜!
と心の中で太陽にツッコミを入れながら過ごしています。

暑くなりすぎているせいなのかなんなのか、
一人でいる時間をもっと作りたいような気分。
頭も心もクールダウンしたい。

最近思い描く未来についての現実的な道のりを人と話して整理できたらいいのかもしれないけれど、
多分、今は特に自分の話をするのが苦手なので話を結局そらして何も考えられず一日が終わるのが想像できるのだ。(内省できていないから話せないのだ、そして意図しない意見を聞く余裕がきっとないのだ)
でも人の話を聞いて、自分の考えるきっかけになることも多いので極度に遠ざからずで、
いつか今考えていることも書き出したい。

「結局は誰といても私一人の人生」
いつも心の片隅にこの言葉を置いている。
心底寂しがり屋の私は、同じく寂しがり屋の友人とよく過ごす。
そばにいて落ち着く、優しくいれる友人がいるのは本当にありがたい。
でもずっと続く、ずっとそばにいれる関係を続けたことがない私は、
この形もいつか終わる、
友人もきっかけがあればいつかここから旅立つこともあるだろう。
いつか来る寂しさに怯えないように、
そばにいる人たちとの暮らしが当たり前でないことを、
なるべく思い出しては噛みしめる。
当たり前にしすぎると、なくなった時の喪失感に死にそうになるから。

酒に、タバコに依存しがちな私の性格だけど、
人に依存することだけは、なくなった時に一番傷つくものと知っているので、
本当はそばにいてほしいけど、
いなくても平気なふりをしよう。
結局は一人でいることを思いだそう。
依存しないでいよう。
誰といるときもそう思っていたい。
それが、人と向き合うことから逃げているのか、
人の嫌な部分に気づかないように自分をコントロールしているのか、そう感じる時もある。

ということを考えているのも、最近友人が、
しんどさをみんなは平気なふりをして流してるの?
依存に対してどう考えてる?
というトークテーマで話しているのを聞いて改めて考えているので、
やはり友人は大切で考えるきっかけをもらえてありがたい存在です。

みんな同じように悩んで、生きている意味を模索して、
自分に絶望して、未来を思い描いてワクワクして、
不安になって、こぼれ落ちそうになったり、
安心して、呼吸ができたり、軽やかになったりを繰り返してる。
それぞれの事象に対する感度も人によって違うから、
安易な励ましほど傷つけたりしんどい思いをさせているのではないかと心配になる。
人の気持ちを図るのは難しい。
自分の安易さにまた嫌気がさしたりもする。
そうしてるうちに、自分の気持ちを後回しにしていることに遅れて気付いて、
気付いてもらえないことに落ち込んだりした時に、また、
「結局は誰といても私一人の人生」を思い出す。

自分に正直にいるということが、
周りにいる人にどう影響するのかに怯えたり

自分を騙し騙し過ごしたり、押し殺すことが、
自分にどう影響するのかにため息をついたり

こんなことを書いて何になるのかもわからないし、
でも考えてしまうものはしょうがないし、
そんなことを考えながら、
明日も当たり前の顔をした太陽が、大きな伸びをしながら起きてきて、
やりすぎよぉ、なんておしゃべりしながら自転車を漕ぐのだろうな。

「いつかは私と誰かの人生」
なんて考える日が来るのかしら….
なんて、暑さのせい、ということにしておきましょう。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?