明日死んでもいいかも
よく、人はいつ死ぬかわからないんだから、
今日という日を精一杯生きましょう
とか聞くけれど、
なかなかやり残したことがありすぎる気がしたり、
怠惰に過ごしてしまう日があって罪悪感を覚えてしまったり、
いやー、ちょっと待って!
もうちょっと生きさせて!
と思いながらここまで生きてきた
けど、この週末、人生ではじめて
「あ、もう幸せで胸がいっぱいで、おさまりきらないので、終わってもいいです、ここで。
あ、はい、ここで大丈夫です、ありがとうございました!」
という気分になった
わたしは未婚で恋人もいないけれど
家族のように思える友人がいる
ありがたいことに(?)、大学から30まで、恋人がいなかった時期がなく、いつもパートナーがいた
けど、恋人って、わたしの今までの向き合い方としてどこか共依存的になってしまっていい距離がとれないことが多くて難しい
自分と向き合わねばとおもいつつ、相手のペースに飲まれてうまくできなかった
いい付き合い方ができてなかったのかも
これから、もしパートナーができたらきっと違った関わり方を意識するとおもう、できたら、だけど...
恋人のいない今、人との距離、孤独の時間も守ることが不思議とできて、わたし自身の幸せに目を向ける時間をもてるようになった
これはわたしにとって大きな変化だ
多くの人が本当はもっと早くに気づいているようなことにわたしは気がつくのが遅い
この数日、心震える作品に出会えたり、
夜な夜な家族のような友人と蛍を見るために散歩して、
食事中の鹿を横目に歩き、たどりついた先にあるのは
川の流れる音と虫の声と、蛍の光だけ
心の静寂を感じ、そうした時間を静かに共有できる人がいることがひどく幸せすぎるものに感じた
これ以上なにがいるんだろう?
「幸せで胸がいっぱい」の言葉通りになんだかいっぱいになりすぎて胸が痛むほど..笑
自分が幸せだと感じる時間が昔に比べてとても増えているように思う
そう思える自分になってきたんだとおもう
いつかまた違った感情の波がくるだろうし、
今感じている幸せを、書き残したかった
こんなときもあるのだと、忘れてはいけない
わたしの好きな本に
アン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈り物」
というものがある
彼女の思想から女性の抱いているべき強さを教えてもらった
その中で紹介されていた詩人のリルケのことばに
「人間と人間の、人間としての関係」の大切さが説かれていて、
これは、
各自が成長する余地も自由もあり、そしてお互いに相手の解放の手段となる一人の人間と別な一人の人間の関係でなければならないということである
これを実践できたら、きっと他者も自分も大切にできるいい人間関係がつくれるんだとおもい、最近意識している
まだ生きてるし、せっかくならもっといろんな幸せを感じてやろう
これまでに得た大切な心構えを胸に、
明日もたのしく生きてやるか
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