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体にいいライター業その2 歩く・ぶら下がる・寒天

またけっこうな駄長文になってしまった。

最初のほうは体に悪い話、「歩く・ぶら下がる・寒天」のみが体にいいかもしれない話ですので、飛ばしつつお読みください。

ぐるぐるの頭の中

ああ、今体に悪い働き方をしてるなあと思うことがある。ぐるぐる悩んで、原稿が前に進まないときだ。

そういうときは目や肩や腰が疲れていて、後頭部や脳天がやたらと固く、たたくと詰まったような石頭の音がして押すと痛い。たぶん、脳の一部が空回りしてフリーズしたパソコンみたいな状態なんだろう。

取材が中心のライター業なので、主な仕事は取材相手の発言をまとめることである。私がいちばんぐるぐる悩みがちなのは、書き出しと話の順番なんだれど、これは多くの同業者が悩んでいるところじゃないかなと思う。

たとえば、ダンサーの方に「ダンスを始めたきっかけ」から話をうかがったとしても、最新のトピックが頭のほうにないと読者は飽きてしまうかもしれない、とか、AさんとBさんに座談会形式で取材したものををQ&A形式でまとめる場合、現実の座談会どおりにするとBさんの発言がなかなか出てこないので(一生懸命話は振ったんだけれど)、Bさん目当ての読者は「Aさんの話が長いよ」と思って読むのをやめてしまわないだろうか、とか……。あと、読者が知らなそうな固有名詞が多い話題は冒頭に置かない方がいいんじゃないか、後半なら読者も勢いがついて読んでくれるかもだけど、頭から知らない話はどうか……などなど、ぐるぐる考えていると、かなり時間を使ってしまうのである。
取材相手目線と、読者目線を行ったり来たりするからだと思う。
取材相手本位でまとめる→読者目線でまとめなおす、という2段階を踏む方法もあるかもしれない。
今のやり方は、取材相手目線と読者目線を行き来しつつ、編んだりほどいたりしながらちょっとずつ進めていく感じだ。
最初の編み方(編み地)みたいなものが決まらないと、先が見えなくて苦しい。

ぐるぐるは止められるか

こうして書いてみると、自分は読者に忖度しすぎ、表現を丸めすぎているかもしれない。わかりやすさを求めて言葉を補いすぎると、いきいきとした鋭さが失われることもある。せっかくいいお話を聞けたのに、編集者やクライアントに話が乱暴だとかわかりにくいと判断されてボツを食らうのを怖がりすぎなのかも……。わかりやすさと鋭さ、両立は難しい。『鬼滅の刃』の「隙の糸」※みたいに、一発で両立できる道筋が見えたらいいのに……。

と、ここまで書いたところで一晩寝た(長い話につきあわせてすみません)。

本当は、「面白い話は面白い」のだと思う。

媒体に想定される読者層や企画に合わせて、切り取り方を考えなければならないというだけ。いちばんいけないのは「この媒体に合わない話は価値がない」みたいな勘違いだ。むしろ、全然関心のなかった読者にも「この人のこと、はじめて知ったけど面白いな」と思ってもらえる記事にするほうがずっと大事だ。
という前提のもとに、短くてもぴりっと興味を引くようなまとめ方をすればいいのである。そういうスタンスでいれば、「隙の糸」ももっと早く見えるはず……。

そうそう、ごくたまに「A子さんに取材して、エッセイをA子さんの一人称で書いてください」みたいな仕事がくることがある。つまり完全な「ゴーストライター」の仕事なんですが、これは楽しい。「そのテーマでA子さんが自由に書いた」という前提なので、A子さんの語ったことの本質に近づけるように、ステキな文章をまとめればいいんだ!と思えるから。集中力はいるけど、ぐるぐる悩む項目は少なくてすむから、体にいいような気がする。

※鬼を一撃で倒せる太刀筋のこと。主人公の炭治郎には、それが糸状の線に見える。ああ、でもこれが見えるのって、たいてい話の終盤、炭治郎が半死半生になってからだな。

歩く・ぶら下がる・寒天

「ぐるぐる」しすぎてまったく前に進まないときは、いったん休憩するか、別のことをやって頭の偏りをほぐしたほうがいい。進めない自分を責めてるだけっていうのは、一番体に悪いし意味がないと最近気がついた。

ストレッチとか体幹トレーニングとかめちゃくちゃダンスとか、気の向いた方法で体を動かすんだけど、締め切り間近になると気が気じゃなくてなかなか身体がほぐれない。

そんな時、最近気に入っている気分転換法。

●土の上を歩く

家からすぐの、深大寺と植物公園の隣に、都が管理しているらしい広い空き地がある。公園と畑が混ざり合った感じの場所だ。

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ここを何も持たず、何も考えずにひたすら歩く。最短コース15分くらい。足の裏で土を踏みしめていると、脳の一部だけでぐるぐる、きゅるきゅる空回りしていた何かが静まって、全身の血がちゃんと流れ出すような気がする。

散歩コースは近所にいっぱいあって、ほんとは何時間でも歩けるんだけど、そこは我慢(涙)。

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●ぶら下がる

キーボードばっかりたたいていると、手をちゃんと使いたくなる。キーボードってどんな打ち方をしても文字が出るのは同じで、微妙な動きも必要ないし、力もいらないから。
で、最短散歩コースの中にこんなおあつらえ向きの高さ&太さの枝があるんで、通るたびにちょっとぶら下がってみることにした。

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子どものころは鉄棒も雲梯(うんてい! こんなステキな字だったのね)も大嫌いだった。今はさらに体重も重いし全然鍛えてないから、懸垂なんてとんでもない。一瞬ぶら下がって、2、3回揺れてみるだけ。自分がサルだったら真っ先に死ぬなと思う。

でも、一瞬ダメサルになると、空回りは静まるのだ。

●寒天をつくる

締め切り間近なのに何やっとんじゃ! そんな暇あんのか! と言われそうなんですけど……。作業時間最短15分で、かなり気分が変わる。
なんで寒天かというと、いろんな意味で少しストイックだから。

疲れると甘いものが食べたくなる。でも食べ過ぎると働きたくなくなる。
以前はよく、コンビニをうろうろしてカロリーの低いお菓子を探していた。よく選んでいたのがようかんやあんみつ的なもの。それらをブラックコーヒーと一緒にいじましくちびちび食べていた。でも、なんか満足感がなかった。

寒天は水の分量と、1~2分沸騰させながら煮溶かす、という工程さえ踏めば失敗しないし、常温でわりとすぐ固まる。手を使うという欲求も満たせるし、カロリーが低く繊維質なのでお腹にもいい。寒天には甘みをつけずに、あんこか黒みつを添えて食べるっていうのがお気に入りだ。

かぼすの葛桜風。
この秋はかぼすが安かったので。かぼすの絞り汁を入れた寒天液の中に、かぼすの皮を飾ったあんこの玉を沈めたもの。

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あ、これは遊びすぎて撮影にも時間をかけちゃったから、気分転換というより脱線の部類。

抹茶かん

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抹茶を溶かした寒天に、あんこときなこをかけたもの。抹茶じゃなくて緑茶でもおいしいと思う。

自分のためにする料理全般は楽しいけど、リラックスしすぎて仕事に戻りたくなくなることが多い。アドリブでつまみを作っては呑み、みたいな時間は極楽ですけど、それは仕事が終わってからじゃないと……。
その点、お菓子類は手順が決まっているから脱線しにくいのだと思う。

寒天は透き通っていて、ゼラチンと比べてりんと硬めの質感が好きだ。
何事もまとめられない、決められないほうなので、まとまりますようにとの願いを込めて、私は寒天を作っている、というのは完全に今考えた後付けの理由でした。







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