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渋いおやつの話

蒸しパンがたのしい

最近、蒸しパンをよくつくる。
仕事でかんたんなスイーツのレシピを調べていたのがきっかけだが、中でも蒸しパンは拍子抜けするくらいかんたんだった。つくり始めてから30分ちょっとでふかふかの蒸したてができるから、パンのかわりに朝ご飯に食べたりする。うちはせいろがないんだけれど、鍋にうらごし器を入れるとおあつらえむきの蒸し器になる。まあ、鍋に水を1~2センチ張って、沸騰したところに直接型を入れちゃってもいいらしい。
この蒸すという行為がまたたのしいのだ。

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以下、つくりかた。ひとりでもぺろっとたいらげてしまう分量です。

たまご蒸しパン(プリン型3個ぶん)
 
<材料>卵1個 小麦粉60g ベーキングパウダー小さじ1 砂糖40g 牛乳大さじ2 ごま油大さじ2 塩またはしょうゆ少々

*卵の黄色を生かしたければ塩で。しょうゆにするとマーラーカオっぽくかすかなしょっぱさがアクセントになります。油はサラダ油でもオリーブオイルでも。

1 卵に砂糖、牛乳、ごま油、塩かしょうゆを加えて泡立て器でよく混ぜる。小麦粉とベーキングパウダーをふるい入れ、粉っぽさがなくなるまで混ぜる。

2 紙カップかオーブンシートを敷いた型に1を8分目まで流し入れ、湯気の上がった蒸し器に入れて18分~20分蒸す。竹串を刺して生地がついてこなければOK。

と書いたけど、実はなんにも敷かなくても、型にうすく油を塗っておけば大丈夫だった。
簡易蒸し器に入れるとすぐ、ぷーっとふくらみはじめる。ベーキングパウダーの威力はすごい。調べたら、本格的な中華風蒸しパン(マーラーカオ)はベーキングパウダーを使わず発酵させて膨らませるらしい。洋菓子も、泡立てた卵や砂糖やバターの力だけでふわふわにするのが伝統的なやり方みたいで、本を見ると「生地づくりに慣れればベーキングパウダーはいりません」と書いてある。でも、今のところはまあいいや……。
牛乳のかわりにヨーグルトを入れたりとか、さつまいもの角切りをいれたりとか、いろいろやってみた。混ぜかたしだいで四角っぽくふくらんだり、上が裂けた形になったりもするが、それはそれで面白い。下の写真は、抹茶入りの生地にあんこを入れたもの。うまく膨らんでうれしい。

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ちなみに、電子レンジだとほんとに一瞬でできるが、すぐ固くなり、逆にタイミングが難しい。ふかふかの仕上がりは、やっぱり蒸し器に軍配が上がると思います。

柿+塩・唐辛子とクラナハのヴィーナス

有本葉子さんの「おやつの時間にようこそ」という本を図書館で借りた。スポンジケーキやパウンドケーキ、パンなどの基本的な作り方から、白玉団子や寒天を使った簡単なおやつまでていねいに紹介された本で、眺めているだけでたのしい。
そこに載っていたいちばんシンプルなおやつが、「柿に塩と一味唐辛子をかけて食べる」というもの。やってみたら、とてもおいしい。
さらに小腹のすいた日。ちょうど家に柿とさつまいもがあったので、思いつきでヨーグルトと味噌ほんの少しで和え、七味をかけ、柚子皮をのっけてみた。(私の住んでいる東京都調布市の深大寺は近所に農地が多いので、今の季節は柿や柚子やみかんをごく安く買える)。見た目地味ですけど、これもたいへんうまい。熱いほうじ茶に合います。

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夏にいとこのようこがうちに来て、二人でつまみを作っては飲みお泊まり会、というのをやったとき、彼女はおみやげの桃にバジルをちぎったのと塩とオリーブオイル少々をかけて一品つくってくれた。びっくりしたけど、これが白ワインにたいへん合う。男友達で料理上手のT氏が来たとき、残ってた桃で同じことをやろうとしたら「やめろぉお!!」と叫んだ。いや、おいしいからと強行したが「うん、おいしい(けど)……」という微妙な反応であった。桃の種を抜いたところに赤ワインを注いで飲む、という罰当たりなデザートは推奨していた彼だが、そのままでおいしい果物は基本そのままで食うべし、という考えのようだ。まあ、それもわかる。

最近、ときどきyoutubeで山田五郎氏の美術史番組「大人の教養講座」を見ているんだけれど、ルーカス・クラナハの蠱惑的なヴィーナス像を「マッパプラスワン、薄絹のひと塩」と表現していた。


2017年に上野でやっていたクラナハ展見に行ったけど、本当に絶妙のエロさでどきどきしたなあ。
果物に塩といえばすいかが有名だけど、柿や桃のほうがクラナハのイメージに近いかも。塩味の薄い膜、さらにスパイスやハーブの香りをまとわせることで、その奥にあるねっとりと滑らかな甘さが強くアピールしてくる。考えようによってはたいそう官能的なおやつなのである。

書く仕事とお腹のぐあい

実はここ最近、久々に少し忙しくて頭が空回りし、寝しなに飲み食いする日が続いたりして、お腹の動きがぱったり止まってしまった。そうしたら、おいしいものについて考えることもできなくなった。そこで3日ほど、お酒もコーヒーも甘いものも止めて少量の温野菜入りおじやをゆっくり食べて過ごしたらもとに戻った。今は何もかもおいしいのがうれしい。

世界的なダンサー・振付家の中村恩恵さんの発言でこんなのがあった。「ダンサーはニュートラルな基礎、ゼロ地点をもっていることが大事です。ニュートラルがしっかり定まっていれば、自分が今、ゼロ地点からどのくらいはずれているか自覚することができる」。
ここでいうニュートラル、ゼロ地点とは、ダンサーがバー・レッスンなどの基礎練習で身につける、どこにも無駄な力の入っていない、バランスの取れた体を指すと思う。で、私の個人的なゼロ地点ってなんだろうと考えてみたら、「おいしいものをおいしく書ける体」かもしれないと思えてきた。

経験は少ないが、吐き気を催すようなこと、食欲をなくすような苦しみや怒りについて書かなければならない仕事もあるかもしれない。そんなときも少し休んで、おいしかったこと、うれしかったことを思い出せれば、きっとなんとかなる。書く仕事って、頭脳労働以上に胃腸労働かもしれないなと思う。知のアンテナを立てるより、胃腸を帆みたいに先に立てておく感覚でいると、すとんと全身がまとまる気がするのだ。

とはいえ、きっとまた私は空回る。今はゼロ地点、ゼロ地点と思いながらほうじ茶を飲んでいます。


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