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海外移住を通して知る | いつから人を頼るのが苦手になったんだろう

オーストリアの研究機関への転職をきっかけに、2023年に家族とウィーン近郊に移住したKayと申します。クリスマスも終わり、ついに年越しモードです。

さて、私たちは親戚はおろか、友人も誰もいない状態でオーストリアに移住したのですが、1年間乗り切る間に、たくさんの人に支えてもらいました。

ただ、直接的に人を頼る、お願いをする、ということに抵抗があることが多く、ちょっと無理して自分で解決しようとするということも多かったように思えます。

おそらくこれは「人様に迷惑をかけてはいけない」と常に教えられる日本では一般的で、むしろ「私頼るのが得意です!」という人のほうが、かなり少数派なんだろうと思います。

ベビーシッターをお願いする、掃除を頼む、という金銭的な対価が発生するものに関しては、日本のいるときから積極的にサービスとして活用してきましたが、対価の発生しない、同僚、友人、ママパパ友などに「頼る」というのは言うのはなかなか難しい。

ただ、先日やっと一歩踏み出すことができました。

その日、息子は小学校の日帰りスキー教室で、送迎バスの駐車場が小学校ではなく、大人の足で自宅から徒歩20分程度の場所に。

行きは夫が車で送ることができる時間帯だったのですが、帰りが仕事の都合で難しいことに。

大人の足で約20分。私が1人でやろうと思えばできなくもない。

でも、駐車場から家まではなだらかな上り坂。到着予定時刻午後6時。日の入り4時過ぎのこの時期、午後6時なんて真っ暗だし、気温も氷点下になる日もあるし、もしかしたら雨雪降るかもしれない。風だって強い日がある。

そんな中、バスで片道2時間かかる山で、1日スキーをしてきたヘトヘトの6歳児を、ベビーカーに乗った(気分次第で急に歩きたがる)2歳児と共に、どうやって連れて帰れるだろう。大人の足で20分だから、このコンディションを考えると倍はかかるし、息子のことだから途中で足が痛いなどと言い出して、立ち往生するだろう…などなど目に見えてました。

公共交通のバスも微妙な位置だし、本数を考えると平気で30分は待つことになりそうだから、現実的じゃない。

タクシーを使うのもかなり微妙な距離…しかもバスの到着時間も幅があるからいつ予約すれば良いのか…こちらのタクシー予約の待ち時間ルールもいまいちまだわからない…

そこで、最近仲良くしている同じクラスの同級生ママに、思い切ってお願いしてみました。息子を車で一緒に我が家まで連れて送ってくれないかと。

無理なら言ってね!とか、車のスペースもなければ問題ないから!とかとか、断りやすい状況を作りつつも、承諾してくれたら助かるなあ、と祈る気持ちで送ってみると、即レスが。

そんな簡単なこと、もちろんよ!

と。

そして当日も、なんの混乱もなく、スムーズに息子は自宅に到着。この友人は、ニコニコして

こういうこと、いつでも言ってね、こっちも無理なら無理って言うから、本当に遠慮なく!

といって、息子の同級生と爽やかに去っていきました。

ああ、頼んで本当に良かった…

このおかげで、息子はもちろん、私のストレスゼロ。泣き叫ぶこども2人を抱えながら、仕事後のすでにパワー切れ直前の夕食前のタイミングで、真っ暗な冬の夜道を凍えながら歩かずに済んだことで、キープできた余力。

待ってる間に夜ご飯も準備できたので、お腹が空いている子どもたちにすぐ食べさせることもできました。

友人には感謝しかないのですが、そんなときに思い出したのが、いつだったか目にした「頼ることで人間関係は構築されていく」の一言。

誰が言ったのか、いつ見たのかも覚えてないのですが、確かにどこかで目にした記憶があります。

確かに、自分が無理せずにできる範囲のことを頼まれて、感謝されたら、嬉しくなって、仲良くなるきっかけにもなるよなーと。

そこで、出てきたのが、なぜ私は人に頼りたくない、迷惑をかけたくない、無理してでも自分で何とかしよう、という意識が強くなってしまったのだろうという疑問でした。

そして、ふと思い当たったのが、以前海外駐在したときに同僚に頼ろうとしたときに、非常に迷惑がられた経験でした。

20代前半でヨーロッパに駐在していたとき、普段通勤に使用しているバス会社がストライキの入りました。あのときも冬で、積雪もあるなかでのストライキでした。

私以外の日本人駐在員は基本的に車通勤をしており、ただ私は公共交通が便利なところに住んでいたので、自動車は購入せず、ストライキのとき以外は特に問題なく通勤していました。

そこで、このストライキの期間1週間ほど、同じ地区に住んでいる同僚数名に同乗してもいいかお願いしたところ、非常に嫌な顔をされたのです。

若かりし頃だったので、それまでの関係性の読み違いや、頼み方も悪かったんだと思います。ただ、あちらの言い分はいわゆる「自己責任」に基づいたものでした。

車を購入しなかった「自己責任」

徒歩で通勤できない場所にアパートを借りた「自己責任」

甘えるな、自分でなんとかしろ、というメッセージを強く得た私は、これは社会人としてダメなんだな、と埋め込まれました。

その後、日本で別の仕事に就いたあとも、自動車免許を持たない私の同僚が似たような状況になったとき、恥ずかしながら私はその同僚に対して、冷たい対応をとったことも覚えています。

こうやって、始まった頼らない、頼らせない連鎖

おそらく、この嫌な顔をしたヨーロッパ駐在時代の同僚たちも、上司や他の同僚にそうやって対応されてきたのだと思います。

そこで気づいたのが、頼ることも成功体験が必要なのだな、ということでした。

今回、ママ友である息子の同級生のお母さんに、頼って、笑顔で対応してもらったことは、私にとっての成功体験でした。

頼ってもいいんだ、そして頼ってもらってもいいんだ、という以前とは逆の連鎖が作られた瞬間でした。

この友人家族も移民で、以前から「家族親戚が近くにいなくて大変なのはわかるから、本当にいつでも連絡してね」と言われていました。

先日、ご自宅にも呼ばれ、子どもたちとも本当に素敵なディナーの時間を過ごし、今度は私たち自宅にも招待し日取りも決まりました。

ちょっと頼ったり頼られたりすることで、こうやって人間関係が構築され、共に過ごす時間が増えることでよりお互いのことを知り、かけがえのない友人となっていく。

こうやって助けてもらうことで、先日別途問題に遭遇している職場のアメリカ人のインターンの子には、「もしサポートが必要であれば、ここの部分は助けられると思う」と、自分が出来る範囲でサポートをオファーすることも出来ました。

外国人同士、大変だよね、私ができることは頼ってよ、無理なら無理ってこっちも言うからさ、というスタンスで、声をかけることができました。

実際にお願いされるかは分かりませんが、そのインターンの子はものすごく感謝してくれました。単純にうれしかったです。

そしてふと気づいたのが英語のaskは、「(質問などを)聞く」というだけでなく「お願いする」という意味もあるんだな、と。お願いするとなると結構ハードル上がるけど、初めは軽く可否を聞いてみる、くらいの気持ちで良いのかもしれない。

そして頼るにしても頼られるにしても、自分がしんどくないことを前提に、ちょっと良い方向の進むといいな、と。

2024年もついに終わりを迎えています。2025年はより素敵な年になりますように。

ちょっと遅いメリークリスマス、そして良いお年を!

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