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物語は結論を出すべきか

 物語は「結末」へ向かうものだ。そこまでの過程を様々な角度で描写したり、登場する人物達の感情を見せたりしながら、最終的には何らかの結果が示され終わる。そして観客からは「オチ」としてそれを期待され、「終わりよければすべてよし」の言葉があるように、いかにきれいに終わりを見せられるかというところに、物語の作者は腐心する。
 なにせ、物語は終わらなければ意味がない。
 あるいは物語は、終わりから始まると言っても良いものだ。それほどまでに、物語にとって「終わること」は重要な要素である。

 ともすれば物語は、そういった終わりのために存在しているとさえ言える。何かが始まり、その終わりを期待させ、しばらくしてその通り結末を迎える。どのような終わり方かは関係がない。つまり求められているのは「結論」ではなく、「結末」そのものなのだ。
 その2つは明確に異なる。始まった出来事が終わることは、必ずしも結論とは言わない。ただそれは結末を迎えただけであり、登場人物の感情や、それまでの過程や、示されていたテーマについて、整理された結論は必要とされない。物語は「論」ではないからだ。

 その当然の事実を忘れてはならない。物語が通すべきは論ではなく筋であり、欲しいのは正しさではなく納得感だ。なぜ、物語が結末へと向かうのかと言えば、それらの感情や筋をまとめ上げるためだ。結論にその力はない。どうしても結論は、感情や納得感などという「やわらかいもの」を脇に退けがちだからだ。だからそれよりももっと、そういったやわらかくふわふわとしたものを、まとめ上げられるような結末が求められるようにのである。

 物語が結論ではなく結末を迎えるようにできているのは、それが扱う登場人物や、筋に向けられる納得感を最大限にするためである。そこに必ずしも、正しさを最大限にするための結論は必要がない。物語にとって、結論ではなく結末が優先されるのは、そういった理由によるものである。

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