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ステラの事件簿④《電子証明書、偽りと成る・肆》

 子供には子供の、大人には大人の領分がある。それを守っている限り、”世間” は誰にも牙をむくことはない。しかし時折、その領分を守らない人間が出てくる。それが大人であるとき、牙をむくのは周りの大人だ。
 しかしそれが子供だったとき、牙をむくのは大人だけではない。その子の周りの子供達も、”世間” の名をかたり、牙をむく。

「変わったこと? んー、ないねえ……」
 低く唸るような機械の音が身体を揺らす。部屋にはあちこちパイプが通っていて、赤や緑のバルブがまるで花のように無機質な部屋を彩っている。ここ、欧林功学園ではとある事件が水面下で起こり続けており、潜伏を続ける真犯人を、いち男子学生である大林星(ステラ)は調べていた。
「些細なことでもいいんですが……」
 今、彼は聞き込みの真っ最中だった。モップを片手に首を傾げているのは、この学園の用務員である中沢慶次で、壮年らしく白髪混じりの頭を軽くかきながら、過去の記憶を手繰り寄せている。しばしそうしていた中沢だったが、それでも、星の質問には答えられそうになかった。
「すまんね、最近、立て続けに来客とか、水回りの修理とか、備品が足りないとかで忙しくてね。何かあっても気づいてないかもしれない」
 中沢は申し訳無さそうに言う。確かに今は昼休みだが、傍らに置いてあるバケツの水は既に黒く濁っていて、わずかな休憩時間に、星の話を聞いてくれているのだろうということがうかがえた。この後も来客対応をしなければならないというので、星は最後に1つだけと、本命の花壇のことについて切り出した。
「実は、花壇のほうで落とし物をした友達がいて、用務員さんなら何か知ってることはないかって、思ってたんですけど」
 星は、本当のことを言わずにそう聞いた。中沢が犯人である可能性は低いと考えていたが、星が花壇で起きた出来事を知っていることを、宝城愛未――この学園の女性教師であり、本人は否定しているが、学園で起こる一連の事件の容疑者で、今は星とともに真犯人を探している――以外には知られる必要はないと考えていた。
「花壇? あー、悪いけど、そりゃわからん」
 中沢は手を大きく振った。
「あの裏庭のとこの花壇だよね? あれって、学生さん達が管理するからっていじっちゃダメだって言われてるんだよ」
「えっ、そうだったんですか?」
「うん、クラスに1人、園芸係いるでしょ? 毎月、園芸部と一緒になって、学園の美化活動とかしてると思うんだけど……」
 星は驚きに目を白黒させていた。そういえば、そんな係があったような気がする。クラスの誰とも交流がないため、記憶が薄かったのだ。確かに、欧林功学園では「学生の自主性を重んじる」という方針のもと、学園の様々なことを学生が中心になって行うことが求められている。花壇などに好きな植物を植えたりして、よりよい環境を作っていく活動は、園芸部を中心に行われていて……。
「中沢さんは知ってるはず、ありませんよね」
「うん、よっぽど何かない限りはね。聞かれたら、わかる範囲でアドバイスくらいはしてるけども」

 その後、星は中沢にもう少し食い下がってみたが、やはり変わったことはないようだった。仕方なく、彼への聞き込みはここで終わらせることにした。
「ご協力ありがとうございました。もう少し、自分たちで探してみます」
「ごめんな、あんまり役に立てなくて……もし見つけたら、先生に渡しておくから」
「あ、はい、お願いします」
 星は話を合わせた。あくまで落とし物のことだと思っている中沢への申し訳ない気持ちを示すかのように、星は頭を下げ、用務員室から退出した。
「……あ、ちょっと待った。そう言えば」
「何か思い出したんですか?」
「えーっと……それだ、その裏庭。外廊下のところ」
 中沢は、親指と人差指で、眉間を揉みながら、記憶を絞り出している。
「あー、花壇の近くですよね。体育館とかあるところ」
「そうそう、変わったことというか、ちょっと気になったことで、落とし物とは関係ないかもしれないんだけど」
「大丈夫です。どんなことでもいいので」
 星はメモを取り出すと、中沢に質問した。
「いつ頃ですか。何日前とか」
「2……3日前かな。放課後。外廊下の掃除してたんだよ。あそこ汚れやすいから。それで、女の子とすれ違ったんだ」
「学生ですか」
「うん、制服着てたからね。で、挨拶したんだけど返してくれなくて。ここの学生さん、みんなそういうのしっかりしてるから、ちょっと珍しいなって思って」
 中沢は怒った封でもなく、純粋に驚いた、という口ぶりでそう言う。確かに、学園ではどれだけ些細でも、挨拶は基本だ。その女学生は、よほど焦っていたのかもしれない。
「なるほど……それだけですか?」
「いやそれでね、掃除の続きをしようと思ったら、汚れてたんだよ。さっき掃除したばっかりのところが、土で」
「土……」
「うん。なんかこぼしたみたいにあちこち落ちててね。それで掃除し直しだって思って」
「すみません……」
 星は思わず謝っていた。中沢はぶんぶん首を振ってそれに答えつつ、
「いやいや。まあ、仕事だしいいんだけど。でもまあ、なんかこの学園の学生さんらしくなかったな、という話で。ごめんね、やっぱり落とし物とは全然関係なかった」
「いえ……あの、その女の子はどこに行ったか憶えてますか?」
「あー、そうだね……外廊下を体育館の向こうの方に行ったから……あそこって、もう敷地の端っこだから、校舎とかないんだよね」
「確か、そうですね」
 星は学園の地図を頭の中に広げる。本校舎と体育館を繋ぐのが外廊下だが、中沢の口ぶりだと、女学生は本校舎の方からやって来たようだ。ちなみに、裏庭は本校舎側にある。
「うん、だから行ったとすれば温室かな、ほら、園芸部の」
「温室、ですか」
 星は考える。つまりその女学生は、本校舎の方から、土をこぼしながら急いで温室へ向かっていった。挨拶を交わす余裕もないほどに、彼女の身には何かがあったのだろう。
「顔とかは憶えてませんか」
「ごめん、そもそも全然見えなかったんだ。気づいたら走って行っちゃってて」
「そうですよね……」
 星は中沢からの情報をメモにまとめ、改めてお礼を言う。
「でもありがとうございます。機長な手がかりになりそうです」
「本当? 役に立ててよかったよ」
 中沢は、しわの多い顔に更に深いしわを刻んで笑った。星は今度こそ、この人の良い用務員に別れを告げて、機械音の唸る部屋から1歩、廊下へと出た。

「温室へ消えていった女の子か……」
 メモを閉じる。ちょうどいい。放課後はその温室――園芸部の基本的な活動場所である――に、聞き込みに行こうと思っていたところだ。今、他の調査をしている宝城先生にも良い報告ができそうだった。彼女はやっていないと主張する事件――学園で起こった男子学生の体操着盗難事件――の、証拠となる映像を、謎の人物から送ってこられていた。それは恐らく本物ではなく、ディープフェイクと呼ばれる技術によって、宝城先生がやったかのように加工されている映像と、星はみていた。とはいえ宝城先生が不利な状況であることに変わりはなく、いつ、警察に厄介になるかもわからない状況だ。
 星からすればまだまだ、宝城先生の疑いは晴れたわけではないが、彼女の人柄を知っている星にとって、彼女がそのようなことをする人物には思えない。
「はやくしないと、また変な映像が送られてくるかもしれないし……」
 今、裏庭のことをこうやって調査しているのは、第2の映像が宝城先生のところに送られてきたからだ。裏庭に何か白い物体を埋める宝城愛未の姿を、その映像はとらえているのである。犯人の目的はわからないし、単独なのか複数なのかも不明だ。だが、どうやら宝城先生に恨みを持っていることは、同封されていた手紙によってわかっていた。
 そうであれば、彼女には酷だが、まだまだこの件は終わりがないように、星には思われた。怨恨ならば、もっと徹底的に宝城先生が立ち直れないようにするはずだからだ。今後、他にも宝城先生の犯行現場映像が送られてくる可能性は高いと思っていた。
「犯人が飽きるか、満足する前に、突き止めなきゃ……」
 星は足早に、教室へと戻る。そろそろ昼休みが終わる。大切なことの1つは、犯人に自分の存在を気取られないことだ。秘密裏に真犯人へとたどり着けば、宝城先生も助かるはず。
 そのために、少しでも手がかりを集めなければならない。星は放課後の園芸部に、さらなる情報があると信じたかった。

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