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ステラの事件簿③《電子証明書、偽りと成る・参》

 大人と子供の違いはほとんどない。ただ、年齢を重ねて経験をしているか否か、それだけだ。そしてそのことすら、その経験をきちんと自分の身に刻み込み、上手く扱えていなければ、その大人と子供の違いはないに等しいのである。

「本当に、先生が犯人じゃないんですよね?」
「違うの……! こんなの、これっぽっちも記憶にないし、アリバイ? だってあるもの!」
 テレビ画面に映るある犯行現場の様子に、くぎ付けになっている男子学生と女性。
 女性らしいデザインのレースカーテンの向こうから、オレンジが眩しい夕日が差し込んでくる。外からは、下校中の子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、ここがセキュリティのしっかりしたマンションの6階とはいえ、窓を開けてのぞけば、遊びながらもあちこちに帰っていく子供たちの姿が見えるだろう。
 この、少し散らかってはいるが、いくらか整えられた部屋に正座する1人の男の子――大林星(ステラ)は、疑わしげな顔をして、同じように正座する目の前のスーツの女性に目を向けていた。
 欧林功学園に通う男子学生の体操着が盗まれた事件からひと月以上が経過し、未だその犯人は浮かび上がらないままである。その、被害者の1人でもある星は、先日、偶然この目の前の女性――宝城愛未という、学生に人気の若い女性教師で、その人気ぶりから、近くカウンセリング室の顧問すら任されることになっていた――が、自らのスポーツバッグに大量の体操服を詰め込んでいたところを目撃し……
「それは誤解だって言ってたでしょう!」
「……でも僕からすると、そう言ってるのは愛未先生だけなんですよ?」
「それは、その……」
 返す言葉もなく、しおれた花のように下を向く先生。星は、こんなふうに彼女を消沈させても仕方がないと思い直し、ともかく、今日彼女の元に送られてきたと言う映像をもう一度再生してみた。
 そもそも、この悲しそうにうなだれる女性教師は、何者かに脅されている。最初に、彼女が学園の更衣室から体操着を盗み出した映像を送り付けられたのが、事件の発覚から半月後。脅迫文のような手紙と共に、愛未先生の手元にはスポーツバッグに入れられた大量の体操着が残った。そして今日、本当ならばまだ学園で仕事をしているはずの彼女に、この映像が届けられたのだと言う――
「やっぱり何度見ても、愛未先生ですね……」
 第2の映像も、監視カメラによって部屋の天井付近から撮られたような映像だった。そこには、星の隣に正座する愛未先生と同じスーツ姿の女性が、およそその格好ではしそうにないことをしていた。そこは学園の裏庭だろうことが見て取れ、土にヒールの跡をつけながら、女性はシャベルで花壇を掘り起こしていた。映像は飛び飛びになっており、恐らく編集されているのだろう。ちょうど花の入れ替え時期で何も生えていない花壇で、映像の端の方には立ち入り禁止の立て看板も見えた。時刻は出ておらずわからないが、明るさから夕方より前と思われた。
「やっぱり、埋めてるものは見えない……わよね?」
「そうですね。そもそも、あんな小さなシャベルで掘るには穴が大きすぎる気もしますが」
 その女性は、人1人が入れるくらいの大穴を掘り終え、何か白いビニールでくるまれたものを転がり入れ、そして埋め戻しているところだった。星と愛未は、先ほど見たときも疑問に思っていたその光景を、もう1度食い入るように見つめる。何かヒントがないだろうかと探すのだが、やはり、ちらりと映る女性の横顔が、確かに愛未先生に酷似していることくらいしか、はっきりとわかることはなかった。
「この映像が、今日送られてきたんですよね?」
「ええ。仕事用のアドレスに……ファイルの名前が1つ目と同じだったから、犯人のものだって思って」
 そのため、1度学園で確認し、すぐさま星に連絡をよこしてきたのだと言う。
「ウィルスとか仕込まれてたらどうするんですか」
「それは……ごめんなさい」
 星はため息をつく。それは呆れたからではなく、このところ、愛未先生に謝らせることが多くて、そんな状況に辟易していたからだった。星はこの教師にさんざんお世話になっていたし、他の学生からの親しまれ方も、本人の優しい性格も知っていた。それを思うと、確かに状況的に愛未先生しか、諸々の犯行の容疑者は浮かび上がってこないのだけれど、その疑いを否定したくなる自分もいて、何よりこうやって愛未先生が参っている様子を見ているだけでも、気持ちがナーバスになっていくのである。
「ともかく、この花壇を調べてみないことにはなんとも言えません。IT部にもまだ話を聞きに行っていませんし、ここは手分けしましょう」
 星は、自身のうちに芽生えた罪悪感を少しでも前に進む動力にしようと、そう提案した。愛未先生は、子犬のように首を傾げた。
「花壇、調べに行くの?」
 星は頷き、しかし、思い直して首を振った。
「多分、犯人はこの映像を見せることで、先生を誘っています。だからノコノコ調べに出かけたら、またはめられるかもしれない」
「そっか」
「ええ。ですから、花壇はしばらく、様子を見るだけにしましょう。確かここの花壇は、体育館に行く通路からよく見える場所にあるはず。なので、先生も暇な時でいいので、それとなく観察しておいてください」
 星は頭の中で学園の地図を広げていた。それが見えていない様子の愛未先生は、どうにか話について行こうと居住まいをただす。そういえば、ここは彼女の家、彼女の部屋である。星はまだしも、なぜ家主である愛未が正座に神妙な面持ちで作戦会議に参加しているのか――
「わかった。えっと、星くんは別のことをするって話だよね」
「いいえ、手分けするのはここからです。明日、IT部に話を聞きに行くのは先生にお願いします」
「わかった」
 小刻みに頷く愛未先生。任せて、と言わんばかりに両手の拳をぎゅっと握っている。その仕草を見て、星は少し微笑ましく思ったが、気づかないふりをして話を続ける。
「僕は園芸部と、用務員さんに花壇のことを聞いてきます。犯人は僕のことはマークしてないでしょうから、これがベストだと思います」
「あー、なるほど。私が花壇のことをかぎまわるのは、犯人に気づかれちゃうもんね」
 星の断言に、探偵助手になったような気分で、愛未先生は得心の声を上げた。心なしか、その目はおもちゃを目の前にした子供のように輝いている。
「かぎまわるって……」
「ふふふ、なんか本格的な調査になってきて楽しい」
「遊びじゃないんですよ」
「わ、わかってる、すみません……」
「もういいですから。とりあえず、細かい作戦は明日までに連絡しますから、今日はもう帰りますね」
 星は立ち上がりかけ、机に出されていたお茶を一気に飲み干す。いつの間にか喉が渇いていたのだ。愛未先生は、駅まで送ると言って身支度を始めていた。星はそれを断ろうと思ったが、どことなく嬉しそうな先生の背中に、水を差すことはしないでおこうと、思い直した。

「明日こそ、何か1つでもわかるといいね」
 駅に向かう道は、もう暗闇色に塗りたくられていた。隣で気色ばむ愛未先生の横顔は、送り付けられた監視カメラに映っていた横顔とは、全然別人に思える。
「多分、大丈夫ですよ」
 星はなんの根拠もなく、そう答えた。それは適当な慰めではなく、願望だった。もしかすると明日、愛未先生の元に警察が来るかもしれないのだ。体操服の件すらまだ片付いていない中で、星は焦っても仕方がないと自分に言い聞かせつつも、それでも、明日こそなにか有益な情報が得られますようにと、近づいていく駅前のきらびやかな灯りたちに向かって、祈っていた。

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