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ステラの事件簿⑨《雨の匂いは 2》

●登場人物
 ・宝城愛未(まなみ)…欧林功学園の人気教師。ある冤罪を着せられる。
 ・島原太東(たいとう)…学園OBで、学園システムのエンジニア。
 ・大林星(すてら)…学園中等部2年の本作主人公。事件の解明に奔走。
 ・中沢慶次(けいじ)…学園用務員。不審な女生徒について星に話す。
 ・向田海(かい)…学園高等部2年で映像研究会会長。星の友人の兄。
●前回までのあらすじ
 地域では有名な中高一貫校、欧林功学園で男子生徒の体操着が盗まれる事件が起きてから1か月。星(すてら)は独りぼっちで下校中、大量の体操着が入ったスポーツバッグを発見する。
 そのバッグの持ち主は人気教師の愛未で、彼女の元には、身に覚えのない彼女自身の犯行現場の映像が送り付けられていた。星は困惑しながらも、愛未を信じたい気持ちで事件の調査と、真犯人の究明を開始する。
 いつ、愛未が窃盗事件の犯人として逮捕されるかわからない中、新たな「愛未の犯行映像」が送り付けられ……星はその現場に不審な女生徒がいたことを突き止めるも、彼もまた、身に覚えのない行動を撮った映像を、犯人から送りつけられていた。
 そんな中、犯人からのメッセージにより学園の裏庭を雨から守ることになった2人。幸いにもそれをきっかけとして、新たな聞き込みを開始する――

 園芸部の温室は、広大な敷地を持つ欧林功学園の建屋の中では、明らかに見劣りするようなスケールだった。自分はここでは主役ではないですと言うかのように、敷地の端、体育館や高等部棟の陰に隠れて建っている。だが、そのガラス張りの透明な壁面は全てきれいに磨かれており、きらびやかだ。大降りの雨のあがった今の時間は、雨粒のドレスアップのおかげで一層その外見は輝いて見えた。
 ここまでこの温室が綺麗なのにはわけがある。
 園芸部に入部した1年生は、この建物の掃除を必ず命じられるのだが、少しでも磨き残しがあると中に入れてもらえないのだ。美しい園芸は美しい施設からという精神によるもので、ちょうど体育館と教室棟を結ぶ通路からよく見えるのもあり、園芸部の1年生が必死で温室のガラスを磨いているのは、放課後の風物詩となっているくらいだった。

 だが、入部者が多い年はまだしも、数人ということも少なくない欧林功学園の園芸部にとって、この ”部則” は年々の入部希望者減少という問題に繋がっていた。
「すみません、備品を返しに来ましたーー」
 大林星はそんな園芸部の温室の扉を叩いていた。扉といっても、これもほぼガラスでできており、土砂降りの雨が降り今は曇り空の下では、汗をかいたような表面が当然のようにノックを拒む。中には数名の生徒がいるようだが、外からはぼやけて見えなかった。シルエットからして女生徒しかいないようで、星は少し――本当を言うとかなり、気後れしていた。学園に友達の1人もいない彼には、同世代の女生徒複数人との会話はかなり乗り気のしないものだった。
(でも、愛未先生にああ言ったんだし、しっかりしないと……)
 今日の朝方、雨が降る前に2人して裏庭にビニールシートを張った。それは、2人を狙う謎の人物からの指示を実行したものだったが、正直、星にはこれで指示通りにできていたかの自信はない。
 ――『裏庭から雨を晴らせ』――
 これが、最初は愛未を、そしてその協力者である星を、犯罪者に仕立て上げようと画策する犯人の要求だった。謎かけじみていて、はっきりした望みは分からない。それでも、目の前で自身の尊敬する教師が不安がっているのを星は見過ごすことはできなかった。彼女を勇気づけるように「必ず犯人に繋がる証拠を見つけてくる」とまで言ったのだが、その勇気は、今朝からの土砂降りと一緒に土に吸い込まれて行ってしまったように感じていた。
「まあ、失敗しても、島原さんがどうにかするって言ってたけど……」
 島原は、この学園のセキュリティや、ITシステムの責任者である。愛未や星を狙う犯人は、この分野を駆使して2人を脅していることから、島原の協力により、被害が広がることを食い止められそうではあった。それでも不安は残る。星は空を見上げた。雨は確かにやんでいるようだが、身体を包む冷たい湿気、そして何より、灰色の雲は晴れない。
 改めて目の前のガラス扉に顔を向けると、星が来たことにまだ気づいていないのか、温室の中の女生徒たちはガラスの向こうでずっと何事かを話し合っているようだった。
「あの、すみませ――」
「なに」
「あ、その……借りた備品を返しに……」
「そこ置いといて」
 乱暴に温室の扉を開けた女生徒は、不機嫌そうな態度を隠しもせず、扉わきの箱を指さした。錠のついた緑色の、横長膝高の箱で、手書きなのかかろうじて読める文字で「備品入れ」と書かれている。
「鍵は……」
「開いてるから。適当に入れて帰って」
「わ、分かりました」
 女生徒は星を睨んでから、そのまま中へと戻って行った。星は返す言葉も引き留めるタイミングもなく、湿った地面の上に立ちつくす。わきの箱を開けてみると、むっとした湿り気のにおいが立ち上った。中には枝切り鋏や肥料、その他知らない機械類が収まっており、土で汚れている。星はなるべく触らないようにしながら、それらの隙間に借りてきたスコップ類を押し込んだ。
 温室の中では、相変わらず数名の女生徒が話をしているらしい。もう一度彼女らを呼び出さねばならなかったが、しかし、またあの嫌悪の顔を見せられることに、星は気後れしていた。かといって、愛未先生にいい情報を持って帰るとも言ったのだ。こんなところでぐずぐずしている暇はないはずだが――
「――あれ? お客さんですか?」
 そこに、1人の女生徒の声が聞こえた。星が振り返ると、やや長身で髪を後ろにまとめたジャージ姿の女の子が、星を見下ろしている。両手には袋に入った土らしきものを持っており、星が返事をしあぐねていると、先ほどの備品入れを慣れたふうに足で開け、荷物を押し込んでいる。
「あ、すみません、さっき自分が色々入れちゃって」
「あー、今日返却に来るって先輩が言ってたやつ。大丈夫です。あとで整理するんで」
 女生徒は屈託なく笑うと、備品入れのふたを閉め、パンパン、と手を払った。星は呆然とその様子を見ていたが、女生徒がきょとんとしたので、慌てて挨拶をする。
「お、大林星です、その、園芸部にちょっと用があって」
「えっと……美見田静です。中等部?」
「はい、2年生です」
「あー、じゃあ1こ下か! よろしくね星くん!」
「よろしくお願いします……」
 星は差し出された手におずおずと応じながら、内心、少しほっとしていた。先ほどの上級生は必要なこと以外は全く話せそうになかったが、美見田は違う。こんなにもスムーズに知り合いになれるとは思わなかった。友達作りのノウハウのない星にとって、これは奇跡的なことだったが、美見田には当然らしい。なんの遠慮もなく下の名前呼びで、星に用件を促す。
「それで、星くんの用事って? 今、先輩たち忙しくてさ、私が聞けるなら聞くけど」
「ありがとうございます。ちょっと、裏庭のことで聞きたいことがあって」
「裏庭……?」
 美見田はコロコロ表情を変える。それが少し愛未先生に似ていたので、星は笑いそうになったが、慌てて取り繕って話を進める。
「はい、その……数日前にあっちの裏庭で、園芸部の活動があったかってご存じですか?」
「あっちの裏庭……ああ、高等部棟裏の」
 星は頷く。美見田は顎に手を当ててしばし考えている。星はその様子を見逃さないようにしっかり観察していた。汗に光る美見田の額が、部活に打ち込む彼女の爽やかさを演出している。
「……ちょっと、わかんない。先週とかじゃなくて?」
「先週ならあるんですか?」
「えっとね……ちょっと、こっち来て。ここだと渡り廊下の方にも聞こえちゃうから。先輩たちにも」
 美見田は少し小声になって、星を温室の裏に手招きした。星は少し迷ったが、貴重な証言が得られるかもしれないと従った。わざわざ隠れて話さねばならないことでもあるのだろうか。温室の中の女生徒たちに動きはない。
「ほら、行くよ」
「あっ……!」
 グズグズしていると思われたのか、星は美見田に手を引かれた。少し砂の残ったザラリとした感触と、よく運動したために汗ばみ、熱いくらいの手のひらの温度を星は感じる。
 星はそのまま連れ去られるように、温室の裏側へと向かって行った。
 2人が立ち去った温室の入り口付近には、星と美見田がわずかにこぼした、花壇の黒い土の跡が残るばかりだった。

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