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やると決めたらやる。ただそれだけでいい

 やると決めたらやることが重要だ。質や量はどうでもいい。いや、どうでもいいは違うが、しかし、それくらいの意気込みがちょうどいい。
 やると決めたら、完成度とかすごさとか、程度とか頻度とか、そういうのはまず考えないようにしよう。後でそれらに否応でも向き合わねばならない時はくる。でも最初は、やると決めたらやること。それ以外に大切なことなどないし、ルールを作ってはならない。

 どうしてかと言えば、何もしていないところからやりはじめるということ、そしてやり続けるということが最も難しいからである。それに比べれば、他のことは大した問題にはならない。とにかく、やるということ。その意志を持つことはとても難しい。なぜか?
 自分が先頭に立って何か物事を行った経験がある人は少ないし、そのような機会がそもそも稀であるからだ。また、そこまででなくとも、普通に自分にとって必要なことや、やってみようと思ったことをやることですら、私たちは前向きになれないことも多いから、というのもある。

 だから結局、自分で決めるということそのものがリスクなのだ。自らが決めてしまう質や量。すごいと言われなければという義務感、結果を出さねばという焦燥感、計画として立てられた頻度や程度。そこに伴う責任の重さを感じてしまう。そうして人は言ってみれば、他人任せに人生を生きることが効率の良いことだと気づく。
 重圧を感じないために。
 何かをやることはエネルギーがいる。事を起こすというのはなおさらだ。もし、それだけのエネルギーをかけて失敗したらどうなる?その補填は誰かがしてくれるのか?そもそもそれをやることは正しいのか?
 そんなことを考え始めると、もう動けない。

 それらが単なる杞憂であり、妄想であり、物事は常に「やってみなければわからない」ということ、そしてそれは「出たとこ勝負とは違う」ということを、私たちは十分に理解できていない。
 もちろん、リスクは回避したいのが人情だ。でもリスクはリターンとの差し引きにおいて考慮されるべきもので、ゼロにするものではない。ましてやそれを回避するために、そもそもリスクが起きようもない「何もしない」は本末転倒である。

 やると決めたら、やることが大切である。どうあっても、やらなければ何もないままなのだ。それは確かに、責任を伴うこともある。失敗の補填を自ら被ることもある。でも、あなたのために「やる」ができるのはあなただけで、人任せでは得られないリターンを手に入れられるのも、あなたが「やること」に背を向けなかったがゆえの結果である。

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