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コンテンツの「あいだ」を繋ぐことを恐れない

他者を楽しませるためになにかを創造するときに、「あいだ」を繋ぐためのコンテンツを恐れてはいけない。

あいだとは例えば、
・大きな冒険と、また大きな冒険の合間
・最初のコンテンツを出して、次のコンテンツを出すまでの期間
・あるイベントが終わって、また別のイベントを始めるまでのあいだ

こういった、「次」が期待される創作物の、その次を提供するまでの空白期間のことである。
シリーズものや、伝統のあるコンテンツ・イベント、競争の激しいエンタメ業界などにおいて、この「あいだを繋ぐ」創作物は必要になる。

端的に言って、あいだを繋ぐということは、本腰を入れず、あまりクオリティも求めない結果になる。
だからそれは、どうしても制作側の身の入らない、提供される側も納得のいかないものになりがちだ。
これを良しとする人間は少ない。なぜならつまらないからだ。そこまでの「本気の」コンテンツから比べれば、その「あいだの」コンテンツは単なる時間稼ぎでしかない。

だがそういったコンテンツを作ること・見ることを恐れるのは、どちらもコンテンツの寿命を縮める結果となる。
生き物が、時間とともに老い、その逃れられぬ死をどうにか引き延ばそうとしているように、コンテンツというものもいつか迎える終わりを、できるだけ先の未来のものにするために、様々な工夫が施されるのだ。

その工夫のひとつが「あいだの」コンテンツを作る。そして提供するということである。
即ち、後ろ向きなクリエイティブだ。恐れるものではない。
それは行われて当然のことで、そしてそれをすることでそのコンテンツは生を引き延ばせる。

「あいだ」を繋ぐコンテンツを恐れない。
それは、他者を楽しませるコンテンツにおいては当然の考え方である。


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