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短編小説

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2021年11月の記事一覧

ミヒサの日記

 江湖育三郎は齢110にして大往生を遂げた現代の大富豪である。別れに際してその終の住処である都内の邸宅周辺には交通規制が敷かれ、時の政治家や財閥の関係者等々、1000人は下らない人数がその最後の挨拶に参ったと言われる。ひっそりと、しかし豪奢に執り行われた育三郎の別れの儀式は、多くの関係者の涙と惜しみに見送られ、滞りなく終了した。  それほどまでに影響力のある人物の残した財産は莫大で、その多くは直系の息子である陽介に受け継がれることとなった。しかし育三郎はその晩年には少しずつ持

繋がりを持つ。何がなんでも生きていく

 どのようにしても、何があっても、何がなんでも生きていくのだという強い覚悟は、きっと自分にはない。精々そこには誰かのためというハリボテの意思と、しかしそれを支えるために必死な自己実現本能と、それらがあるからには仕方がないとどこか他人事に理由を探す本能とがあるだけなのだと思う。  同僚に誘われて夜の店にでかけた帰り道、繁華街から外れたひとけのない高架下にあったダンボールのかたまりを、随分酔っ払った同僚が蹴り飛ばした。営業職の磨き上げられた革靴の硬さにひとたまりもなく、その使い

水の中に揺蕩う常識

 目が覚めるとそこは海の真ん中で、仰向けになってただ一人浮いていた。真上には太陽がその光を余すことなく見せつけて暑く、かと思えば背中側は、ぬるいのか冷たいのか分からない奇妙な海水の不快な感触に辟易していた。かろうじて視線で左右を確認するも誰もいない。船もなく、空に飛行機どころか鳥すら飛んでいない。ただただ、太陽と海水。真っ白な光と青黒い海面。不安感に叫びだしそうになりながらも、うっかりするとそのまま沈んでいってしまいそうな自分を必死に抑えて、脱力したまま浮いている。そうしてし

父と母の今と昔

 小学生の時、将来の夢を書けと言われて書いたのは多分、父親の職業だったと思う。それは確か普通の会社員というわけではなかったけれど、それほど希少な職業というわけでもなかった。その頃のことがそんなに曖昧なのは、ちょうど父と母が離婚しようかしまいかと家庭内がそれはもうぎくしゃくしていたからで、正直、小学校高学年までそんな大して意識していなかった父親の職業というものに、せっかく興味が持てるタイミングを逃してしまったのだと、今にしてみれば思う。  父親の職業。そして母親の職業。そのよ

変わりゆく「人」と、自分との関係と

 自分が友人を失って手に入れたものは、すぐにいっぱいになる郵便受けと、電子メールボックスを圧迫する勧誘メールと、電話やSNSのメッセージと、それらを無視しても数分おきに携帯に現れる通知だった。友人を失ったのは現実のことだったが、代わりに現れたそれらの殆どは自分の目の前に現れるわけでもなく──画面上や音声としてはあるが、空間を共有していないという意味で──ただただ、自分の時間と精神を蝕んでいった。  周囲の人からは「無視が1番」とか、「そのうちいなくなる」とか、「気にしなければ