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今回のおすすめ本 立原道造『優しき歌』

みなさんこんばんは📚
今回おすすめするのは、立原道造『優しき歌』という本です!立原道造はソネットという十四行詩を得意としており、本書でも多く見られます。本書は立原道造が詠んだ詩「詩集 萱草に寄す(全10篇)」「詩集 暁と夕の詩(全10篇)」「詩集 優しき歌 I(12篇)」「詩集 優しき歌 Ⅱ(11篇)」「草稿詩篇(一九三二-三三)(7篇)」「手製詩集 さふらん(12篇)」「手製詩集 日曜日(11篇)」「手製詩集 散歩詩集(4篇)」「草稿詩篇(一九三三-三五)(16篇)」「未刊詩集 田舎歌(3篇)」「拾遺詩篇(一九三五-三八)(20篇)」「草稿詩篇(一九三八)(15篇)の計12作品131篇が収録されています。以下では各作品で印象的だった詩を一篇ずつ取り上げていきます。

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「詩集 萱草に寄す」-SONATINE No.1より「はじめてのものに」

 本作では、幼い恋人同士の出会いと別れを描いている印象を受けます。第四連に登場するエリーザベトとは、ドイツの詩人シュトルム作『みずうみ』にら登場する少女の名前です。エリーザベトと恋人は会話が途切れながらも次の言葉を紡ごうとしています。立原の作にも相手の心を探ろうとしている様が表現されています。

「詩集 暁と夕の詩」より「Ⅸ  さまよひ」

 これまで詠まれたⅠ〜Ⅷ番までの詩を踏まえると、失恋した後の空虚さを感じることができる詩だと思います。第一連では「ただひとり ひとりきり 何ものをもとめるとなく」(p.48)とあり、幸福な時間が崩れ去ってしまった虚しさを感じます。そこから第二連で眠りの中に逃げて忘却を追いますが、第四連眠りから覚めようともがきます。これは失恋によってどん底まで落ちたために本能として生きようと精神を浮揚させているのかもしれません。

「詩集 優しき歌 I」より「浅き春に寄せて」

 本作では、想いを寄せた人がもう手の届かないところにいってしまったことが伺えます。季節は二月、もうすぐ春の訪れが来ますが、第一連では空虚さが漂っています。第二連では想い人の微笑みが想起され、それをきっかけとして第三連では未来への希望が溢れています。そして第四連では自分の歩いた足跡を振り返り、再び空虚さを噛み締めます。ここから、わずかな希望をいかに存続させる思考回路を持つかが重要だと感じます。

「詩集 優しき歌 II」より「夢見たものは……」

 本作では曜日や日傘、田舎の娘などを円環として描写しています。例えば、曜日は仮に日曜日を起点にすれば月から土まで続き、日曜日に還ってきます。つまり、曜日には終わりがなく続くものといえます。「夢見たものは ひとつの幸福 ねがつたものは ひとつの愛」(p.100)とあるように、終わることのない永遠の愛を希求しているのではないでしょうか。これはロマンティック・ラブ・イデオロギーのようにも感じられます。また、青い鳥が第三連に登場していることから、前述したような永遠の愛は現実には存在しにくい(存在しない)ことを実感しながらも、それでも理想を追い求めているのではないでしょうか。「仲良くくらしましたとさ」のようなハッピーエンドはよくある物語の話型ですが、それが困難であることを僕たちは容易に想像できます。それでも想い人と永遠に一緒にいられることを夢想せずにはいられないのが人間なのかもしれません。

「草稿詩篇(一九三二-三三)」より「成長」

 幼少期から住み慣れた部屋は他の誰よりも「僕」を理解して愛してくれる存在と捉えています。しかし、常に「僕」は年を重ねているため、部屋が愛してくれる「僕」は毎日消えていってしまいます。作中最後では部屋にあるランプを消す=睡眠を取る=今日の「僕」は死ぬため、さよならをすると結んでいます。

「手製詩集 さふらん」より「昔の夢と思ひ出を」

 以前想い描いていた夢と思い出を、想起している様を詠んだ詩。想起しようと探し出すことを、暗い中ランプを灯して探し物をするように、頭の中で青いランプを灯すことで記憶を探すことを表現しているのがお洒落。

「手製詩集 日曜日」より「愛情」

 本作はたった一行の詩です。現在では手紙を書いて送ることは減りましたが、想いを募らせて書いた手紙に、切手を貼ることで完成するラブレターは不思議な魅力を感じます。

「手製詩集 散歩詩集」より「食後」

 空に浮かぶ雲を何かに見立てることは誰しも一度はしたことがあるのではないでしょうか。これはパレイドリアと言われる現象ですが、大人になって空を見上げる機会が減っている人には童心に戻れるひと時となるのではないかと思います。

「草稿詩篇(一九三三-三五)」より「しあはせな一日は」

 人の思い出には幸せと感じられるものがいくつもあります。普段は思い出せなくとも、時間をかけて思い出してみると浮かんでくるものがあると思います。人によっては嫌な思い出ばかりで不幸な生活を送ってきたこともあるでしょう。しかし、実際に不幸だったかどうかよりも、幸福だったと思えるものを見つけたり、そう思い込むことも大事だったりします。それができたら苦労はしないのですが…。ただ、幸せと思えることがあればあるほど、その幸せが自分という一人の人間のための所有物であり、他人には不可変なことは天からのギフトなのかもしれませんね。

「未刊詩集 田舎歌」より「I  村ぐらし」

 自然豊かな田舎をテーマにした詩。作中では散策しながら、行く先々で目に留まった自然を堪能している様子が伺えます。散歩をしていると、普段は気が付かなかったものに目が止まったり、周辺の土地勘が身についたり、新たな発見があるのと似ていると思います。遠くに旅行をしなくとも、現在自分の住んでいる地域を散策することで見えてくるものがきっとあるはずです。

「拾遺詩篇(一九三五-三八)」より「不思議な川辺で」

 日記のような作品。想い人が亡くなったことを、死に目に会えなくとも感じとる「私」がいます。本作は「私」の想い人に対する気持ちが溢れ出ていることを感じ取ることができます。それはこれまでの作品が詩の形式がメインだったのに対して、文章で構築されていることもひとつの要因である気がします。

「草稿詩篇(一九三八)」より「優しき歌」

 想い人と通じ合えたと感じた瞬間(告白のタイミングだと思われます)を描いています。告白するときの周りの静けさと鼓動の高鳴りは記憶に残るものでしょう。人と関わる、その対象が自分の中で大事であればあるほど、「これでよかったのか」と考えることがあると思います。同時に幸せを噛み締めている様子が描写されています。



是非お手に取って読んでみてください☕

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