見出し画像

下手くそでも自分の人生を生きるほうが、他人の人生を完璧に真似するよりずっといい

その言葉は、突然私の目の前に飛び込んできた。瞬間、ふっと視界が明るく開けたような感覚になって、頭の中が真っ白になった。ページをめくる手が止まった。
当時の私は(今もだけど)ろくに英語も話せなかったはずなのに、必死になって英語の本を読み漁っていた。アメリカに留学していたころの話だ。一文一文の意味を理解できていたわけではないし、何がなんだかさっぱりわからない箇所もたくさんあったけれど、それでもなんとか読み進めようと努力していた。留学前すでに読んでいた日本の名作文学の英語訳から読み始め、赤毛のアン、スティーヴン・キングなど有名どころから手をつけはじめた。
その本を手に取ったのは、同じように「アメリカでベストセラーになったらしいから」というごくごく単純な理由だった。エリザベス・ギルバートの『Eat, Pray, Love』。日本語版タイトルは『食べて、祈って、恋をして』。映画化されて有名だったというのもあるし、パラパラとめくったときに比較的簡単な英語が並んでいたから、これなら私にも読めるかもと思って手に取ったのだった。

正直に告白してしまうと、詳細なストーリーはほとんど覚えていない。何しろ10年近く前の話なのだ。人生に迷った主人公が旅をしながら自問自答していく、そんな筋だったことはなんとなく記憶しているのだけれど、細かいキャラクターや具体的なエピソードについてはほとんど抜け落ちてしまった。

それでも、その一文だけはずっと頭のなかに強く残り続けていた。今でもたびたび思い出すことがある。よほど衝撃的だったんだろうと思う。

それが、

"Tis' better to live your own life imperfectly than to imitate someone else's perfectly."

という言葉だった。
このフレーズに出合ったときのことを今でもありありと思い出すことができる。私はベッドの中でこの本を開いていた。几帳面なルームメイトはもうとっくに眠っていて、真っ暗闇のなか、すうすうという寝息が聞こえる。私は彼女を起こさないように小さな読書灯をつけて英語の文字を追っていた。勉強不足だから、頭にはちっとも内容が入ってこない。ただ最後まで目を通すことだけを目標に、一文一文を人差し指で撫でながらアルファベットを吸収していく。
集中力もほとんど切れかかっていた。これって読んでいる意味あるのかなと思い始めた。私はいつになったら英語を習得できるようになるんだろう──。そんな絶望感がじわりじわりと心の中に湧き上がってきたころだった。

ふっと、このフレーズが浮かび上がった。

それまでストーリーがちっとも入ってこなかったのが嘘のようだった。息が止まったような気がした。日本語に訳さずとも、その言葉の意図することがわかった。

「不完全でも自分の人生を生きるほうが、他人の人生を完璧に真似するよりずっといい」。

そのとき私は(そんなわけはないのだが)この言葉は私を待っていたんじゃないかと思った。すぐさまメモに取って、そして本を閉じた。しばらくその言葉について考えようと決め、電気を消してベッドに深く潜り込んだ。

私がこの言葉を見つけたんじゃない。
この言葉が私を見つけてくれたのだと思った。

頭がおかしいと思うかもしれないけれど、それが私の直感だった。

この言葉は私と出合う瞬間をずっと待ち受けてていたのだ。
潜在意識にひそんでいた卑怯な私を。他人の人生を完璧に真似することで、お手軽な幸せを手に入れようと、ずるい考えを持っていた私を。
見つけて、指摘してくれたのだ。

グローバル人材、就活、一流企業、福利厚生、安定した暮らし、年収1,000万、ハイスペック。

これまで自分が重視していた単語たちが頭に浮かんでは消えた。

お手軽だ。
あまりにもお手軽すぎる。

私の幸せの形はすでに出来上がっていて、それを完璧にトレースしさえすれば私は確実に幸せになれると思い込んでいた。でも留学生活を続けているうちに気がついたのだ。そんな簡単なものはどこにもない。

ないんだよ。どこにも。あればよかったんだけどさ。

今でもよく思い出す。本当に思い出すのだ。意思の弱い私はつい、お手軽な幸せに逃げたくなってしまうから。幸せっていうやつが綺麗な銀色のお盆に乗せられて、さあどうぞと執事が運んできてくれるんじゃないかという期待を、今でもつい抱いてしまう。

だから負けそうになったとき、この言葉を思い出すようにしている。ストーリーは覚えていないけど、この言葉はきっと一生、忘れることはないだろうと思う。

本を読んでいると、そういう運命的な「言葉との出合い」がときどきある。だから私は本を読むのをやめられないのだ。

自分が文章を書く機会も増えた今、自分の紡ぐ言葉たちも、どれか一つでも誰かの心に刺さってくれたらいいなと願う。たとえ私が書いたこと全部を覚えていなかったとしても、「そういえばあんな言葉あったなあ」とときどき思い出してくれるような、ふっと視界が開けるような言葉との出合いを提供したいなと願う。

たとえそれが完璧に美しい言葉遣いでなかったとしても、不恰好だったとしても。
自分だけの言葉で自分だけの人生を切り開いていけたらいいなと、そう願う。



【引用】
Elizabeth Gilbert(2006)Eat, Pray, Love: One Woman's Search for Everything Across Italy, India and Indonesia:Riverhead Books

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?