「夢中になれる何か」を見つけたいときにしている一つの問いかけ

 
 今考えれば、なんでもよかったんだろうと思う。
 
「書くこと」じゃなくても。
絵でもカメラでも旅でもスポーツでも、あるいは遊びでも。
なんでもよかった。ただ何かしら、夢中になれるものがほしかった。
 
私がブログを書くようになったのは、
大学3年生の冬。21歳のときだ。
 
当時、私は就活真っ最中で、
まわりはみんな内定を取ったり、色々な会社にインターンしに行ったり、
OB訪問をしたり、説明会に行ったり……
と、精力的に活動しているにもかかわらず、
私はどうにもこうにも、
動き出すことができずにいた。
 
たいしてよく知りもしない会社にとりあえずエントリーだけして、
あまりにも空っぽの人生エピソードストックの中から、
ほんのちょっとでも使えそうなものを無理やり引っ張り出して、
どうにかこうにか自己アピール欄を埋めた。
 
まわりの友人たちの中には
普通に嘘を吐く──というか、経歴を「盛る」人も少なくなくて、
で、そういう人にかぎってポンポン内定を勝ち取ったりもしていて、
学生のつく嘘も見抜けないなんて大企業のブランドの割に全然見る目がないじゃないかと
憤ったりもしていた(短時間の面接でシャッとスキャンするみたいに人柄を見抜くのはどんなに優秀な人事でも不可能だし、第一、多少嘘をうまくつける人間の方が社会では重宝されるものなのだと気がついたのは、社会人になってからのことだ)。
 
とはいえ、そうして憤っている間も
社会や会社ではなく自分が悪いのだ、
とどこかでちゃんと理解はしていた。
 
うまくいかない現実があまりにつらいから、
とりあえずの気持ちの持って行き場をつくるために、
「不条理な社会」という壁を、仮の拠点にしていただけだ。
 


就活をしていて何よりもきつかったのは、
「猛烈に好き」だと思えるものが何もないことだった。
 
たとえば、鉄道が猛烈に好きな人がいる。
週末に希少価値の高い車体が登場するという情報を聞きつけたら
すぐにカメラを持って見にいき、
写真におさめ、家に帰ってニヤニヤする。
 
鉄道じゃなくてもいい。
スポーツを何年も続けているとか、
大好きな「推し」のアーティストがいるとか、
休日さえあれば旅に出かけるとか。
 
何はともあれ、
何かに夢中になっている人の姿というのは、
私にはとても美しく見えた。
 
そして、幼い頃の私のまわりには、
そういう特定の何かに打ち込んでいる人が多かった。
親族もスポーツ一家で、
運動神経が悪く、部活もろくに続かなかったのは私くらいだった。
 
だから、昔からずっと
「夢中になれる何か」を探していたのだと思う。
中高でも大学でも、英語やら資格試験やら乗馬やら茶道やら、思い当たるものは全部やった。
何を血迷ったか、ずっとコンプレックスだったリズム感がのなさを克服したいと、ドラムにチャレンジしてみたこともあった。
バイトも飲食店やら家庭教師やら単発のイベントスタッフやら、
なるべく違うものを掛け持ちしたりして、
夢中の種を探していた。
 
たぶん、こんなふうに
「猛烈に好きなもの」がなくて不安で、
やりたいこと探しをしているという人はすごく多いのだろうと思う。
 
書店なんかでも「やりたいこと」や「目標」や「夢」や、もっと広く言えば「生きる指針」をどうやって見つけるかなどをテーマにした本をよく見かけるし、
SNS上の繋がりでも、リアルの友人関係でも、
「やりたいことがない」という悩みを耳にすることは少なくない。
 
私もそういう悶々とした想いを抱えていたから、
正直、なんでもよかったのだろう。
「書く」ことじゃなくてもよかった。私の人生の選択次第で、他の何かが「夢中」の行き先になっていた可能性もある。
 
じゃあ、それでもなんで「書く」ことに夢中になれたのかといえば、
書くことについて否定された経験が一度もなかったから、
恥ずかしい想いをすることが一度もなかったから、
というのが大きいんじゃないかなあ。
 
たとえば、私は子供の頃、
絵を描くのがとにかく大好きで、小学6年生くらいまで本気で漫画家を目指して
実際に漫画を何本も描いたり、
オリジナルの漫画雑誌をつくって図書館に置いてもらったりと
かなりアクティブに活動していた。
 
でも、一度、その漫画雑誌をクラスのホームルームで発表したとき、
クラスのカースト上位の子達に大笑いされて、
「オタク」とバカにされて、
以来、なんだか描くのが怖くなってしまったのだ。
夢中になっていたことが間違っているような気がしてきたのだ。
 
まあ、その程度で心が折れてしまうようなら
どっちにしろ続かなかっただろうとも思うんだけどね。
 
それからかなあ。
「私はこれが好き」と大声でみんなの前で言うことが、
なんだか怖くなってしまったような気がする。
みんなに嗤われるような「好き」は選びたくない。
「好き」を選ぶにしても、みんなも認めてくれる「好き」の中から選びたい。
そんなふうに、選択可能な「好き」の範囲が急激に狭まったから、
「夢中」の種もうまく探せなくなってしまったのかもしれない。
 
それに比べて、
「書く」ことを誰かに否定されたことはこれまでに一度もなかった。
特別褒められたこともなかったけれど、
「否定される恐れ」がない心理環境の中で書ける、というのは
私にとってはすごく重要なファクターだったんじゃないかと思う。
 
「書く」ことはどこまでも自由なフィールドだった。
そういう、なんていうのかな、成功体験ともまた違うんだけど、
「書きさえすれば、私はいつでも自由になれる」みたいな感覚があるからこそ8年以上もずっと続けられているのだろうと思う。
 
そんな思いで書いてきた文章には私の魂が詰まっているし、
その熱狂をまとめた本が完成して読み返していたときも、
まるで他人の本を読んでいるときみたいに号泣してしまった。
これまでの人生で抱えてきた苦悩と葛藤のすべてが言葉を通してブワーッと心にやってきて、今までに味わったことのないような、妙な心の震え方をした。

私はもしかしたら、過去の私を救うために書き続けているのかもしれない、とも思う。
「いま」を生きる私はここにしか存在しないけれど、
その一方で、過去に傷つき、疲弊し続けていた私自身もまた、
私の心の中に、肉体に存在しているのだ。確実に。
幼い7歳の川代紗生も嗤われた11歳の川代紗生も、
これからの未来が不安でしょうがなかった21歳の川代紗生も、
彼女たちもまだ彼女たちのままの姿で存在していて、
それと同時に、彼女たちのしてきたことの積み重ねで
「いま」の私は存在している。

断片的にだけれど、繋がっている。
だから、彼女たちを救うことはいまの私を救うことであり、
いまの私を救うことは彼女たちを救うことであり──って、
なんかこれ以上書いてると無限ループみたいになって頭こんがらがってきたんでやめますが笑、
まあいずれにせよ、何かしら私は自己救済の手段を求めていて、
そのためには完全に自由になれるフィールドが必要で、
その条件にぴったり当てはまるのが、
「一度も否定された経験がない」書くことだった、ってことなのかな。たぶん。

そういうものが誰にとっても必要で、
何も苦労することなくそれを手にする人もいれば、
必死でもがいてようやく手にする人もいるのだろう。
成長とともに、最適なフィールドが変わっていくこともあるのだろう。
私ももしかしたら、書くことじゃなくて別のことをフィールドにするかもしれないし。

だから、就活や将来のことで苦しんでいるときはもしかしたら、
「一度も否定された経験がないことってなんだろう?」と洗い出してみるといいのかもしれないね。
「褒められたこと」じゃなくていい。他人が評価してくれたこととかじゃなくて、自分自身がそれに対して怯むことなく全力で取り組めるかどうか、が一番重要なのだ。
誰かに嗤われたこと・バカにされたこと・恥ずかしい思いをさせられたことって案外、何年経っても記憶にこびりついているものだし、
些細な一言が心をポキッと折ってしまう最後の一手だったりする。
(親戚のおばさんの「え〜、〇〇ちゃんってそんなの好きなんだ?」みたいなニヤニヤ笑いで急激に冷めるみたいなことってマジであるよね)

あるいは、そういう「些細な一言」がなければ続けていたかもしれないものを探してみるとか。

そういう作業はときにしんどくもあるけれど、
新たな自分との出会いの時間でもある。

自分自身を知り、脱皮し、多様な自分が自分の中にどんどん増えていき、その分自分の厚みが増していくのを感じるのは、
何よりも面白いことだと、私は思う。






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生きるのが苦しくてたまらない、どん底の時期に寄り添うような言葉を紡ぎたいと思い、書いた本です。
自分の居場所なんてどこにもないんじゃないかとか、自分には価値がないんじゃないかとか、自分だけ間違えて地球に生まれてしまったんじゃないかとか。そんな孤独感に苛まれるどん底の時期に本当に必要なのは、「今すぐに使えるスキルやライフハック」ではなく、気が済むまで自分と向き合う、忍耐と許しの時間だと思っています。
けれど、そんな時間を乗り越えるのには、相当なエネルギーを使います。心が折れてしまうこともある。私自身もどん底の時期には、ひとりぼっちで頑張り続けることに疲弊してしまうこともありました。
そんなとき、「こっちだよ」とはっきりした道を教えてくれるわけじゃなくとも、共に寄り添い、一緒に悩んでくれる存在があれば、少しは救われるんじゃないか──。そんな本があったなら、昔の私ももう少し、涙を流し、発狂し、コピー機をぶち壊す(一回暴れて本当にやりました)回数も少なくて済んだんじゃないか。
というわけで、そんな孤独感や承認欲求、コンプレックスなど、自分の生きづらさと徹底的に対峙し、その感情とどう向き合うかをまとめたのが今回の本です。人生のどん底期に入り、苦悩した8年間の葛藤の記録を、心血を注いで書き上げました。今苦しい思いをしている人に、少しでも届いたら嬉しいです! どうぞ、よろしくお願いいたします。



 

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