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「メンやば本かじり」ロバの餓死を回避せよ編

 メンタルがやばいとき……いやあ、ネタが尽きないねえ。

 まさか、この連載を続けるために、メンやばキープなのかい、と自分のメンタルに聞きたくなるほどだ。

 そもそも、メンタルがやばいときは、良い状況に偶然出くわしても良い選択ができないので、結果メンタルはやばいままなのだ。

 あああ、まるで、ビュリダンのロバじゃないか。

 そう、あの有名なロバ。

 炎天下、喉はからからで、空腹のロバが一匹。

 木陰もない道をよたりよたりと、今にも倒れそうだ。すると突如、ロバの右手に新鮮なエンバク(イネ科の植物。オートミールの原料)、左手に桶に入った新鮮な水が現れたじゃないか!

「おお、神よ!」

 ロバは感謝し駆け寄るが、はたとあることに気付き脚を止め、そうして首を項垂れる。

「あれ、これってもしかして、どっちかしか選べないやつじゃね?」

 水をがぶ飲みしたいが、水を飲んでいる間に右手のエンバクは消えてしまうのではないか。とすると、エンバクを選べば水は……。※

 水か、エンバクか。どちらを取るのが最善の道なのか。

 脱水症は死を招くし、いやいや餓死だってやばいぞ。島田雅彦の『ミイラになるまで』(講談社文芸文庫)、読んだやろ。

 いやいやだが待て。水は4、5日飲まなくても何とか生きていけるらしいじゃないか。それに比べて体内に貯蔵されているグリコーゲンはたった1日で使い果たしてしまう。

 ばかばか違う違う。水は4、5日飲まなくても平気なのではなく、そこが限界値ってだけだ。体内の水分量が5パーセント失われると頭痛やめまいが起きるらしいじゃないか(大塚製薬ホームページより)。

 だが待て、食糧も1日摂取しないだけで、筋肉量が落ちるとか。筋肉が落ちては、歩く速度が落ちてしまう。結局、水飲み場まで辿り着けずに倒れてしまうだけでは──。

 などと、得る前に失うリスクに怯え、どちらも得ることができないという話である。

 そんな間抜けなロバはいないだろ、とツッコミを入れたくなるが(実際この話は、同等の刺激または誘惑を受けた場合、どちらを選択するべきなのか理由を得ることができず自由に選択する能力を失うというビュリダンの主張による例え話とされている。だが、『王を殺した豚 王が愛した象』(筑摩書房)には、むしろビュリダンはロバの決意を助けるのは理性、自由意志だという反対の主張が書かれている)メンタルがずたぼろなときは、割とビュリダンのロバ状態なのだ。

 なぜ、みすます眼前の活路を自ら閉ざしてしまうのだ。

 ああ、前に進む勇気がほしい。やたら鼓舞するわけでもなく、無駄に正当化するでもなく、自分の駄目な部分も、正しいも間違っているも関係なく、ただまっすぐ進む、そんな言葉が。 

 まっすぐ前に進む力をくれる、音楽なら知っている。

 andropの「Yeah! Yeah! Yeah!」がまさにぴったりなのだ。三ツ矢サイダーのC Mに起用されたこの曲は、無駄な悩みになんか支配されず歩き出したくなる。何せ、私が向いた方向が「前」なのだから、後退することなんて、ない。進めばいいだけ、そんな曲だ。


 だが、この「メンタルがやばいときは、本をひとかじり」では書籍を紹介する連載だ。

 なので、今日紹介したい一節は「ずんずんずん」と美しい世界を歩む、そんな作品だ。

 それは、草野心平「夜の天」だ。

天は。
螺鈿の青ガラス。
 しらくもの川は。金平糖の星星は。虹のやうないくつもの層をくぐれば。
ずんずんずんずん。

『草野心平詩集 豊島与志雄編』(新潮文庫)

 夜空を青い螺鈿として見る心があれば、星を金平糖に見立ててみれば、そうか、空を見上げながらなら、歩いてみるのも悪くない。そんなふうに思えてはこないだろうか。

 いったい、私は何に迷って、なぜに立ち止まっていたのだ。

 水でも、藁片方だけでも、いやもしどちらも得られなかったとしても、進まなければ得られる確率はゼロなのだ。

 例えば、あなたが最も嫌いなものを100パーセント食べなければならないカードと、1パーセントの確率で回避できるカードのどちらかを引くか、と言われたら、そりゃ1パーセントに賭けるだろう。

 なぜ、そんな単純なことなのに、選択すら放棄して、自ら可能性の扉を閉ざそうとしていたのだ、私は。

 ずんずんずんずん、さあ、進んで行こうじゃないか。

 100パーセント、自分に都合の良いことばかりは起きないし、もし起きている人がいたら、それは僥倖というわけだ。草野心平氏も、こんな美しい詩の中に、光ばかりをこめているわけではない。そんな薄っぺらい詩は、心が疲れているときには効果はない。「夜の天」のように、暗闇を拒まず、むしろ暗闇の中でこそ、たとえ幻でも光を生み出せる心が、必要なのだ。

實在はしかし。
涯なく暗く。
天までつづく田ん圃によどむ天を踏み。
きらめく螺鈿の下。
をゆく。

同上

 「夜の天」だけでなく、本書に掲載されている「石」もまた、美しい闇と光を感じることができる。

苔の花御影みかげの肌に映る。
深いしづかな。
去来の底で。
(…)
しづくもつ草に囲まれてにぶく。
石光る。

同上

  最後に、豊島与志雄による解説に、とても素晴らしい言葉がある。

心平さんにとっては、このきびしさが辛くはなくて樂しいのだ。泣くのも歌ふのも同じことなのだ。

同上

 泣いてしまうのは、思わず歌を口ずさむのと同じなのか。苦しくて、辛くて、涙が溢れるとき、思わず鼻歌を歌ってしまうようなとき、そこにどれほどの違いがあるのか。

 あるのは、ただ、自分の気の持ちようだけではないか。

 そんなことはない。自分の気の持ちようだけでなく、周囲が、時代が、世界が、そのようにしてくるのだ、と言いたくなるときもある。

 だが、世間が言葉が正しいなんて、そもそも言い切れないのだ。それは、ニホンオオカミが絶滅した経緯が良い例だろう。明治時代、オオカミは殲滅させなければならない、憎き存在だった。だが、現代の我々がオオカミの姿を見るとき、そこに神々しさすら感じる、そんなことはないだろうか。この令和の時代に、もし、オオカミを見つけた人がいて、その人がオオカミを殺してしまったら──明治時代とはまったく違う反応、つまり非難の的となるだろう。

 正しい判断なんて、いったいどうして無知な私なんかが決定することができるのだろう。立ち止まって思考を停止したら、判断するという「場」にすら辿り着けない。だから、進んでみるしかない。

 ずんずんずんずん、螺鈿の下を、さあ、進んでみようか。



※エンバクと水ではなく、左右どちらも新鮮な干し草という説が多く見られるが、今回は筑摩書房の『王を殺した豚 王が愛した象』の例を起用した。


◾️書籍データ
『草野心平詩集 豊島与志雄編』(新潮文庫)
難易度★☆☆☆☆ 中学生からでも読めるが、なかなか奥深い詩集

今回紹介した「夜の天」「石」をはじめ、草野心平氏による素晴らしい詩に勝るとも劣らない豊島与志雄氏の解説。復刊を熱望しております。



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