「メンやば本かじり」きさま、惑星を名乗れ編
おたずねしますが、あなたは地球人ですか?
まあ待て、落ち着け。短慮を起こしてはいかん。
これはなにも、この「メンやば」を読んでくださっている慈悲深い方に対しての言葉ではない。
言われたのは、私や。
しかも、合コンの席やで。
そう、あれはまだ川勢が二十代前半の頃。
知り合いに誘われて行ったのは、おしゃれなバル。
私より先に着いていたのは、知り合いであるAちゃんと、彼女の会社の同僚だった。
「彼女はね、会社の同僚のBちゃん」
とても上品で、かわいくて、スタイルもよくて──そしてにこっと笑って会釈をするだけで、どんなことがあってもすべて許されそうな女子だった。
「へへっ、どもっ」
緊張のあまり不審者レベルのぎこちない動きで挨拶をする私にさえ、彼女は笑顔を崩さなかった。素晴らしい!
ちなみに、Aちゃんも上品系のおしゃれさんで、かわいい子だ。
そんな二人とは対照的な、モノクロの衣装に包まれたオオサンショウウオな私。
当時の私は、コムデギャルソンやsunaokuwaharaを好んで着ていた。愛読書は『装苑』で、小学生の頃から欠かさず見ていたテレビは、「ファッション通信」。つまり、ちょっぴり個性的ってことになるのだろう。
さて、三人の時点でかなり私だけ浮いていたのだが、程なくして登場したのは、いかにも爽やかそうな男子三人。彼らの一人がAちゃんの会社の同僚であり、他の二人は彼の友人たちだった。
「俺たちフットサルやっててさ。でも夏はサーフィンばっか」
うわぁぁぁぁぁぁぉぁわおーん。
いかにも川勢と一生接点がなさそうなタイプやー。
案の定、話が盛り上がっているのは男子三人とAちゃん、Bちゃん。自己紹介のあと、私が言葉を発することはなかった。
まあ、それもそうやろ。
上品キラキラ女子、上品キラキラ女子、鴨川あたりをぺっちょりぺちょりと徘徊していそうな野良のオオサンショウウオ(しかもかなり個性的)が並んでいたら、オオサンショウウオと会話したいとは思わんわな! オブジェかな、くらいでスルーしたいわ! 怖いもん。
オブジェにしては主張が激しい私を、それでも必死で彼らは私を見ないようにしていた。私は私で、こりゃ場違いだったなー、と不貞腐れてビールをがぶ飲み。すると、彼らの一人がそおっと私に視線を向けてきた。
勇者である。
「す、すごい飲みっぷりだね」
そんなぎこちない笑顔あるんかい、と言いたくなるほど彼は強張った表情だった。
「はあ、まあ、飲み放なんで。飲んでおこうかなと」
「そ、そっか」
「へへっ」がぶがぶ。
「と、ところで、きみは、地球での暮らしは長いのかな?」
あのとき、確かに私は空間が瞬間冷凍される、キンという高い音を聞いた。
盛り上がっていた他の子たちが急にしんと静まり返り、硬直する。
暫し誰も動かぬまま、私だけがビールを飲み続けていた。
「あ、え、う、あっ! そうだっ! そんなビールばっかり飲んでないで。ご飯も食べなよ。ここの料理は美味しいんだよ」Aちゃんが冷や汗をだらだら流しながら、必死に私にメニューを見せてくる。
「そうそう、以前Aちゃんが頼んでいたデザート、美味しそうだったよね。甘いもの、食べれます?」Aちゃんの同僚である男子も、なぜか私にメニューを見せてくる。
「スイーツも美味しいし、頼めばフレッシュフルーツのカクテルなんかも作ってくれるよ」Bちゃんも、ささっとメニューをこちらに向ける。
メニューがテーブル上で大輪の花を咲かせるなか、相変わらず場の空気は極寒だった。
ああ、今思い出しても寒々しい。若き日の凍死寸前の思い出や。
さて、この時の会話、いったいどうすれば楽しい合コンとなっていたのだろう。
おそらく、私の見た目で男子たちは私を「会話が通じそうにもない相手」もしくは、「会話をしても楽しくないであろう相手」と判断したのだろう。
そして、あの勇者には「話しの通じない宇宙人」と判断したのだろう。
宇宙人というワードを初対面の相手にそのまま口に出せる彼も、なかなか地球生活に不慣れそうではあるが。
ならば、不慣れ同士、話を広げるべきだったのか?
あのとき「おや、宇宙に興味があるのかい」なんて宇宙の話からホーキング博士へと続けていったら……さらに、相手は私との壁をつくってくるやろな。これはボツ。
「そうなんだよねー。私、どこいっても浮いた存在でさ。宇宙人ってよく言われるんだよ。てかさ、私からしたら、走りながらボール蹴れる人たちの運動神経の良さがもはや宇宙レベルだよ。あ、ところで、こいつ、もしかして地球人じゃねえって思うレベルのすごいサッカー選手はいる?」
と、話題をふることができたら、引き攣った笑顔でしぶしぶ答えてくれたかもしれない。
いや、そういう意味じゃねーよバカさっさと帰れと無視されたかもしれない。まあ、凍った場を気まずいと感じられる人たちだったので、後者である可能性はかなり低いだろう。
ただ、ここで私が無理に話題に入るのはどうかと悩む部分もある。私以外のあの場の全員が望んでいないことをしても、結局のところ誰も得をしないのだ。
だったらせめて、彼らが話題を一切私にふってこなくても、終始笑顔で聞き役に徹するべきだったのだ。
話しが通じないと思われてしまった相手には、無理に食いつく必要はないし、それでも話すなら相手の興味がある話題(あの場ならフットサルかサッカーの話)をし、相手をリスペクトするべきだったのだ。
そう、あのときは完全に私が悪かった。
そんなふうに、過去の私の大失敗を反省できるきっかけをくれたのが、今回紹介したい書籍、『話が通じない相手と話をする方法』(晶文社)だ。
ここで出てくるパートナーとは、自分にとって親密な間柄という意味ではない。
私は、こんなふうに思ってさほど親しくない相手と会話をしたことがない。ましてや、考えが全く違う、話の通じない相手に対してなんて、正直パートナーなんて発想すら出てこなかった。
でも、もし、あの合コンの場で、みんなを会話のパートナーだと思っていたら。私に話題をふってくれないことに不貞腐れるなんてことはなく、みんなの会話が順調に盛り上がっていることに心から安堵し、自然な笑顔で聞き役に徹することができていただろう(ただしビールは飲むがな)。
ここでもう一つ、自明のことだが、つい忘れがちになってしまう、重要なものを本書は改めて教えてくれる。
そうんなのだ。そもそも、私はキラキラ女子二人と私では雲壌月鼈ほどの差があると、つまり原因はそこだと決めつけていた。ただ、それは私の視点で、相手の視点も決めつけていただけだ。きっと他にも多くの原因を私は持っていたに違いない。
怒りは、そのまま怒号や罵倒になるわけでない。私を会話に混ぜなかった理由は、ある種の怒りだったのかもしれない。それに対して不貞腐れてしまっては、怒りに怒りで返しているのとほとんど同じことだ。
いやあ、なんてためになる本だ。よし、今日から私はすっかり人が変わったように、全ての人をパートナーだと思って、懇切丁寧に接するぞ、とはなかなかいかない。残念ながら。そうあるべきだとは思っていても、急に変えることはとても難しいのだ。
あえて著者がこんなふうに書いているということは、本書を読んだ瞬間に自分を変えることができないのは私だけでなく、人は練習もなしに突然変わることは相当難しいということなのだろう。
失敗しては、また本書を読み返し、また実践して失敗して、また読んで。これを幾度となく繰り返すことで、きっと会得できていくことが少しずつ増えるのだろう。ちなみに、本書では対面的なものではなく、SNSでの対応法としても使える。もし、自分に子供がいて、ネットに触れる年頃になったら、絶対読んでもらいたいと思う一冊だ。来月からの入学祝いにもぴったりな一冊と言える。
さ、ではでは。著者が示してくれた通り、繰り返し練習だ。
ところで、あなたは地球人ですか?
■書籍データ
『話が通じない相手と話をする方法』(晶文社)
ピーター・ボコジアン+ジェームズ・リンゼイ著
【監訳】藤井翔太 【訳】遠藤進平
難易度★★★★☆ 文章自体は非常に読みやすく、また日本人には少し理解が難しい文化的内容は丁寧に訳注で説明してくれている。ただ、実践するのは容易でないため、★は四つ。
第1章が「会話が不可能に思えるとき」、そして第一節が「最低なやつとの会話」ではじまる本書は、一見すると、会話が通じない酷い相手を言い負かす方法か、うまく逃げる方法の書と思えるかもしれない。だが実は、会話が通じない相手は自分の変化次第で会話が通じ合えるというすごいテクニックを教えてくれる神がかった書籍なのだ。ただ、神がかったなんて書いてしまったので、不可能はないと思われるかもしれないが、どうしても無理な場合もあることを教えてくれ、さらに逃げろとも教えてくれる。これは対人問題の必須本。
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