『地球にちりばめられて』(講談社)多和田葉子 著
もし、この地球上で日本語を話す人間が自分だけになったとしたら──。
文化も何もかも、日本という国があったのかさえ確かめることが出来なくなってしまったら。
あなたなら、そんな世界でどうやって生き抜くだろう。少し想像してみて欲しい。
私は考えただけで、胃痛と目眩に襲われ、絶望の縄に足を縛られ、身動きがとれなくなりそうだ。
しかし、この物語にはそんな愚かで怠慢な絶望は存在しない。
本書に登場する日本人女性のHirukoは、スウェーデン留学中に日本が「滅びた」国となったことを知る。その後ノルウェー、デンマークと短期間でヨーロッパ内を渡り歩くうちに、彼女は独自の人工言語を生み出す。
その名もパンスカ。
パンは広く行き渡るという意味の「汎」から、スカはスカンジナビアの意だ。スカンジナビアの人ならだいたい意味が伝わる、Hiruko独自の言語である。
たくましい彼女は、パンスカを生み出し、テレビに出演し、母国語を話す仲間を探す。
偶然その番組を見ていた、デンマーク在住の青年クヌートはHirukoに興味を持ち、すぐさま彼女に会いに行く。クヌートは、言語学科の院生であり、彼女が話すパンスカと独特の雰囲気に惹かれたのだ。更に、失われた日本語や彼らの生活にも関心を抱き、Hirukoと共に日本語の話者を探しはじめる──。
冷静に考えると苦境に立たされているHirukoなのだが、息が詰まる重苦しさが無い。これは多和田さん独特の文体がそう感じさせてくれているのだろう。陰鬱ではなく、だがしかし決して問題を軽視している訳では無い、優しく個性的で誠実な空気を纏った言葉たちだ。
それにしても、言葉とは何故にこんなにも不思議な存在なのだろう。
私は時折、自分が話している言葉が相手にどのように伝わっていたのか不安になることがある。特に感情的になっている時などは、後から思い返し
「果たして私は脳内に浮かんだ言葉と、自分の口が発したと思っている言葉と、相手が聞き取った言葉の差を理解出来ているのだろうか」
と考えたりもする。しかし、それはいつも事後のことで、会話の最中は「伝わっている」と思い込んで話を続けているのだが。
言葉でコミュニケーションを取るとき、その言葉が母語でなかったとして、それは一体どのような影響が出てくるのだろう。
母語が失われても、新しい言語を覚えさえすれば、それで問題は何も無いのだろうか。
あまりにも当たり前に使っている日本語について、Hirukoやクヌート達と一緒に旅をしながら考えてみるのはどうだろう──日本語が失われた世界で。
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