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旅先日記①(呉編)

写真は 呉、歴史の見える丘にて

私は旅行する時、知らない街をぶらりと訪れることがある。理由の一つ目は、そこの人間がどう生きているのかという興味である。旅行は有名な場所を歩き回るだけでなく、その土地の人間を観察することも良い楽しみ方だと考えている。旅というのは往々にして非日常への欲求の現れであり、その快楽は日常との比較によって満たされるものである。なればこそ、自分と他人の日常の違いを比べてみることは意外な発見や故郷への郷愁を思い起こさせる。今の自分を見つめるきっかけにもなる。

第二の理由としては、故郷のように落ち着いて過ごせる場所への欲求、これは僕が故郷の空気を苦手としていることに起因する。故郷への郷愁をしんみりと語った後にこんなことを言ったのは何も読者を混乱させるためではない。その弁解のため、少しばかり私個人の話をさせて頂こう。
私は小中高共に私立学校に通い、地元の公立校に通うことはついぞ無かった。住んでいる場所も大して変わらないのに、私は地元で挨拶を交わせる人間がいない。親戚は居ても知り合いはいない。その土地の人間を助けたことも、助けられたこともない。
帰っても家で引き籠もって何もせずダラダラと過ごす毎日…私は故郷で何もできないまま過ごさねばならなず、今でもそれが嫌で仕方ない。

だからだろうか、旅をするようになってからどこか大した観光資源もないような場所へ強く惹かれることがある。閑静な住宅街、寂れた駅舎、白線の剥げた道路。その街で私が育ったという妄想を基にして歩き回るのだ。私の中にある寂寞がそうさせているのは間違いなかった。

今回は呉駅と広駅、この2つの駅と街を歩いて浮かんだ情動を書き記すこととする。今回は呉について。

呉にて

呉というのは昔から海軍の街として栄えている広島の都市である。中国山地と瀬戸内海に囲まれた比較的温暖な街で、観光地としても有名な場所となっている。海軍・海事関連にそれなりの熱意を注いできた私は明確な目的を持ってこの街に訪れた。

フェリーを降り、ホテルに荷物を預けた私は街中を歩き回った。コロナウイルスが猛威を振るている影響か、シャッターを閉めている店が多かった。だが剥がし忘れた選挙ポスター、地元民で賑わう飯処、確かな灯りを放つ住宅たち。それらはこの街が休眠状態であることを物語っていた。流行病が終わればまた目覚めるのだろう、弱っているがそれだけの活力は残っているように見えた。

『歴史の見える丘』を目指して歩を進める。ここは大和が建造されたドックが眺められる場所として有名で、海自の護衛艦なども遠目で見ることも可能な場所である。私はオタクらしく狂ったように写真を撮りまくった。用を済ませて一息ついた時、私はうしろに並ぶ街を見た。

歴史の見える丘、正面

奥では自転車が横断歩道を渡り、空車表示のタクシーが丘を登っていた。夕暮らしく下のバス停に向かう人がちらちらと視界に映る。近所の小学校では終業のチャイムが鳴っていた。

なんということはない、ただの街の一角。
だが僕はそれが美しく思えてならなかった。思えば呉というのは観光に力を入れていて、観光地はどこも「見せる」ことを重要視して作られている。僕はその見せるために作られてきた大和ミュージアム、てつのくじら、入船山記念館、それらを長く観光していた。しかし広い街には当然ながら見せることを意図しない部分がある。それがこの場所である。歴史ある観光地という化粧に隠れた人々の生活をついに垣間見ることができたのだ。

幻想を眺めた場所

それと同時に、僕はかつてない程の郷愁をこの土地に感じた。この地に来たのは始めてだが、僕はここを知っている。そんな幻想が湧いて出てきた。夕陽はその感覚をますます助長させた。どこからか夕飯の香りが漂ってきた。陽が沈み冷気が街を包み始める。ああ、家に帰りたい。そう思ってその道へと進もうとした。

目の前には侵入禁止の看板があった。車両用のものであることは分かっていたのだが、私はその看板に足を止められた。「ここはお前の帰る場所ではない」そう云うように彼は立っていた。

夢が醒めた。私はここに居ないし、誰も僕を知らない。私はふと自分が幻想に浸っていたことを自覚した。いや幻想も何もここが帰る場所ではないことは明確に分かっていた。ただ浸っていたかったのだ。理性と喪失感が私を半分ずつ支配していた。

陽が完全に落ちた頃、私はようやく踵を返す決心をした。名残惜しい、と感じる気持ちがまだ残っていた。帰り際の呉鎮守府は電灯をきらりと輝かせていた。疲れていたのか、その日は快眠だった。

翌日

朝の呉は通勤通学で賑わうと同時に、街中からは人がどんどんと消えてゆく。駅に吸い込まれた人々の多くは広島市に行ったものだと思われる。コンビニでコーヒーを買いながら、電車で尾道へ向かうことにした。

昨日とは変わって空は雲に染まっていた。車窓からは粉雪が舞い散っているのが見える。この時期の日本は温暖な瀬戸内海側でも薄く雪が積もるほどの類を見ない大寒波に襲われていた。

呉の情景を思い出す。昨日訪れたあの場所は今どうなっているのだろうか?車窓を眺めていると、何ということはない自然と数軒の建物が目に映った。至って普通の田舎の情景である。そうやってぼんやりとしているうちに焼き付いていたはずのあの景色はうっすらと消えていった。結局、あれは願望が創り出した感動でしかなかったのかもしれない。

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