見出し画像

【小説】故郷

 物心ついたときから旅をすることが好きだった。旅といっても観光地を見てはしゃいだり、美味しいご飯に舌鼓を打ったり、という旅ではない。それよりも地元の人間が通っているような、生活になじみ深いような場所に足を運ぶことが多い。日常的に使われるスーパー、散歩ついでに寄っていきそうな社、近所の子供が遊んでいる公園、そういった場所を巡りながら、地元の人間に溶け込んでみる。そうやって一日を過ごしていると、人や文化を深く知ることができて興味深い。観光地などの表側では見られないほんとうの素顔を見ることができる。

 そんな私が好む町というのはどうやら一定の特徴があるようだ。きれいに整っていて、誠実で、礼節がある町。人に例えるならまさしく美人そのものなのだが、化粧をしているような場所はだめだった。その人の好さが自然ににじみ出ているような場所、例えば慈善活動が多いとか、住民全員が協力して何かに取り組んでいる場所が好きなのだ。だが、その街を最も気に入る要因は、調和である。その土地の住人のように溶け込み、本当にその土地で育ったかあのような錯覚をさせてくれる土地。そんな場所あるはずがない、と疑ってかかる人間も居たのだが、私は一回だけそれに当てはまる、とても良い場所を見つけたことがある。


 そこはどこに行っても陽差しの心地よい土地で、ちょっとした高台に上がった時の景色は水墨画のように美しかった。当時大学生だった私にはその景色の良さがまず目についた。普通なら有名な観光地として持て囃されるであろう地だが、道一本だけという交通の不便もあってか人の影は少なそうな場所だった。

 早速私はいつも通り地元住民のように過ごしてみることにした。とはいっても小さい社会であり、共同売店一つしかないような土地である。歩いている人間も全く見えず、だが寂れているかと言われればそうではない。普通の街並みから人だけを引き抜いた、そんな景色だった。私は最初この街に奇妙さを覚えた。仕方なく街を去ろうと思ったのだが、陽が落ちかかっていることと宿がありそうな他の街が近くに無いことを理由に、比較的広い公園で野宿をすることに決めた。

 翌日、私が見た光景は昨日のものとは全く違っていた。法被を着た男たちや甚平と浴衣に身を包んだ女子供が朝っぱらから表へ繰り出していた。急いで支度を済ませてあたりを見回していると、初老の男が声をかけてきた。

「こんにちは。どこから来られたんですか」

「どうも。東京からですね」

「東京!随分とまた遠いところから来られましたな」

 男からは優しそうな雰囲気を感じた。普通であれば公園で野宿している部外者なぞ警戒されて当然だと思っていたのだが、他の人間も親切そうに挨拶をしてきて、逆にこちらが困惑させられる状況となっていた。私は思い切っていろいろなことを尋ねてみた。

「この人の多さは...祭事でもあるんですか」

「ええ、その通りです。ここいら一体でもかなり大きな祭りでして」

「なるほど、では昨日皆様はどこかへ行かれていたんですか。人が全然見当たらなかったもので」

「少し山の方まで。住民は合わせても三十ほどしかおりませんので総出で準備をしておりました」

 と言って男は街の進行方向を指さした。そこにはその後は男から質問の雨を浴びせられ、人の流れに沿って山の方にまで歩いて行った。話を聞いてみると彼はこの集落の長のような立場の人間らしい。そのころ、私はすっかりとこの街とそこに住む人間を気に入っていた。私はこの街で育ったのではないか?とも感じていた。

 歩を進め続けるについて私は違和感を大きくしていた。周りにいる人たちはどこからどう見ても普通なのだが、恐ろしいほど優しく、懐かしくなるのだ。まるで自分が彼らと生まれ育ったかのように歩調や息遣い、すべてが調和している感覚だった。

 祭りの会場でに到着したとき、私の息は上がっていた。もう数時間も歩いてついた先は小さい神社であり、小さな舞台と他の集落の人間であろうか複数の違う団体が集まっていた。民族衣装のようなものを着ている人間もいれば普通のシャツと長ズボンのいでたちの人間もおり、まさに十人十色といった様相だった。舞台の上には白装束に身を包んだ神官らしき存在が座しており、顔を赤く化粧していた。その姿を見るなり私たちは沈黙し、その存在の前に伏していた。

 ふと顔を上げると、その神官の姿は消えていた。

 そこは山頂近くということもあってか、あたり一面の景色を見渡すことができる場所だった。その景色を見て、私は絶句した。元来た道こそ緑で溢れていたが、その先の麓は土地開発の一環か更地となっていた。その奥もまた真新しい建物が立ち並び始めていた。

 長が気を利かせようとしたのか、声をかけてくれた。

「実は祭りというのはこれで終わりです。拍子抜けされましたか」

「いえ...それよりもこれは」

「はい、この神社ももうすぐなくなります。私たちも」

 私は沈黙するしかなかった。私にとって、この現状は最早他人事には思えなかったのだ。だが何か行動を起こそうにも、それを変えるだけの力はない。私は歯がゆさで震えていた。最もここの住人の感情は私のものを上回る筆舌に尽くしたいものであることは間違いない。ただ沈黙するしかなかったのだ。

「そうだ、折角ですからこれを持って行って下さい」

 長が渡したのは、亀の甲羅で作られた首飾りだった。見たことのないような模様が刻まれており、身に着けてみるとまるで最初からそこにあったかのように私の体に馴染んだ。

「ありがとうございます、これは...とてもいいものですね」

「それは本当に私たちにとって大切なものなんです。大事にしていただきたい」

 周りの人間はもう片づけを始めていて、私は彼らの邪魔にならないようにと考え、帰ることに決めた。

「はい、大切にします。どうか皆さんお元気で」

 彼は少し悲しそうな表情を浮かべていた。私もその表情を見て今生の別れかのように悲しんだ。何かが終わる、そういった予感がますます強くなっていた。涙が流れそうになるのをぐっとこらえて、私は精一杯の笑顔を浮かべて別れを告げた。

 ぬぐえぬ寂寥に後ろ髪をひかれつつも、私は日常へと戻った。たまたま旅の動画を出してみたところそれが大いに人気になり、旅の様子を収めるだけで飯が食えるようになった。大学を卒業してからは活動範囲を世界へと広げ、いつしか私の元には莫大な富が築かれていた。

 旅先が世界へと向いてからも、あの街への郷愁が薄れることは全くと言っていいほどなかった。ほんの一瞬だけ故郷のように思えたあの集落は、もうなくなってしまった。ただやるせなさと、あの首飾りが残っている。


あとがき:にんげんみたいだね

近況報告:期末試験で忙しいので更新頻度は大幅に下がります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?