(映画鑑賞記録)好きに勝るものなしでギョざいます/沖田修一監督『さかなのこ』

・あらすじ
お魚が大好きな小学生"ミー坊"は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。お魚を、毎日見つめて、毎日描いて、毎日食べて。他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、母親はそんなミー坊を温かく見守り、心配するよりもむしろその背中を押し続けるのだった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、町の不良ともなぜか仲良し、まるで何かの主人公のようにいつの間にか中心にいる。やがて一人暮らしを始めたミー坊は、思いがけない出会いや再会の中で、たくさんの人に愛されながら、ミー坊だけが進むことのできるただ一つの道にまっすぐに飛び込んで行くーー。

・感想
  普段なら絶対に観ないジャンルの映画だが、のんちゃん大好きなので観てみた次第でギョざいます。エンドロールで気付いたけれど監督が『南極料理人』や『横道世之介』の沖田修一監督だったのね。そりゃ好きだわ。
  映画の冒頭、画面にデカデカと現れる「男か女かはどっちでもいい」という言葉。映画を観るまで"あれ、さかなクン役をのんちゃん…?男女どっちとして…?"とかクソしょうもないことを一瞬でも考えてしまった自分を猛烈に恥じている。物語のどこまでが本当なのか、ミー坊は男なのか女なのかなんてそんなことはどうでもいい。そこにあるのは、ただずっと魚が大好きで、好きなことに一生懸命な、ミー坊という一人の人間の人生だった。ジェンダーフリーとかそういうことでもなくて、ただシンプルに好きを貫いた"人間"の物語なのである。
  映画本編はカラフルな色彩も相まって終始ファンタジー要素が強い。誰もが優しくて、誰もが助けてくれる世界というのは現実味には欠けるけれど、この際リアリティとかはどうでもよくて、ミー坊が好きを貫き続けた結果、ミー坊の周りにはたくさんの幸せそうな笑顔が集まっていていて、それがもう全ての答えなのだなと思う。自分らしく生きているひとは、他人のこともありのままに受け入れることができるのかもしれないね。好きを貫くことの大切さだけでなく、人と人の繋がりの尊さみたいなものも感じられて、人間がとても愛おしくなる。
  パンフレットのインタビューにて、ミー坊役ののんちゃんがオファーをいただいたときの心境について「のんが一番いい!」と思ったと語っていたが、本当にこの映画はのんちゃんの持つ中性的で純粋で、どこか掴みどころのない不思議な雰囲気がとても活かされていて素敵だった。そして幼少期のミー坊もまた、あれ以上のミー坊はきっとないなと思わせてくれて最高だったなあ。
  そしてさかなクン演じる"ギョギョおじさん"は、この映画のなかで唯一のホラー要素というか、底知れぬ恐怖を感じてしまい仄暗い気持ちになった。お魚は大好きだったけれど勉強が出来なかった故に夢だったお魚博士にはなれず、お魚大好きおじさんとして近所の人達から不審者扱いされているギョギョおじさんは、"パラレルワールドのさかなクン"のように見えてすごく怖い。「好きこそ物の上手なれ」が変な方向に突き抜けてしまい"変なおじさん"と化してしまった悲しきギョギョおじさん。怖い、怖すぎる。背筋が凍ったよ。
  実際にさかなクンが通っていた学校で撮影されていたり、生物の先生役で出演されているドランクドラゴンの鈴木拓さんは実際にさかなクンの同級生だったり。こんな細かいところの配役や撮影にまでさかなクンへのリスペクトと愛を感じられて最高。
  実際、"好き"を仕事に出来てそれで食べていける人なんてひと握りしかいないけれど、何かを好きな気持ちというものは、誰にも否定されない否定させない尊いものであってほしいでギョざいます。だって好きに勝るものなしでギョざいますからね。

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