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疲れたら休む。休んだらまた書く。そんな場所があって、ありがとう

 noteに上げる文章、詩、絵、写真。どのくらい時間を費やしているかは人それぞれだろうけれど、私は少し時間がかかる。特に最近。かかるようになってしまった。

 確か3年ちょっと前に始めた頃は「午前中の空いている時間に30分くらいで書いて、上げる前に校正して、4時くらいに上げる」とか人に話した気がする。ちょっと正確な時間は忘れたけど、そうやってペースができていた。
 今も書けるときはあっという間だけど、慎重に書かないといけない内容とか、特定の人についてだと、当たり前なのだろうけど、時間がかかる。時間かけなくちゃいけないにしても。思いが強いものを書き表そうとすると日数もかけるので、上げる頃にはヘトヘト。

 最近だと、HSP(highly sensitive person)についての記事。
 HSP仲間は当然だけど、できれば非HSPの人にも読んでもらいたい。

 そういうのを面倒くさいとか興味ないとか、またこの話かあとか思っている人にも、どうやったら読んでもらえるのかしらん。どうやったら「なるほどね」とフラットな感情で受け止めてもらえるのかな。できるだけ客観的に書こうと思うと、技術があるわけでもないので、わかってもらいたい熱量と反比例の気持ちを保つのに疲れる。
 多分、肩に力の入っていない文の方が読みやすいし、意外と伝わる。カッコつけた文とか気取った表現はそういうのを好んで書く人や読む人はともかくも、下手な人が安易に使うと簡単に見透かされる。安いよね。こういうのが好きって読者をナメてるんじゃないの。なんて、過去に交わした周りの人とのやり取りが思い起こされて、なるべくラクに。と思うのに結局、力入ってるよ! もう肩ガッチガチで首まで痛いわ! って文を書いてしまう。
 そのため反響はイマイチ。
 ただ「まあそんなもんだよね」と、良くも悪くもその辺の自分への見切りみたいのができちゃって。少しずつわかってもらえたら良いんだ。いつかそのうちに、そういう文が書けるようになれば伝わるんだ。と言い聞かせて今を納得してしまう。

 だけど「疲れた」の思いが強くて、なかなかエネルギーが復活しない。

 直前に書いたものへの疲労感が強すぎると、その後何か書きかけては「なにこれ。つまんない……」と思っちゃって、8割方書けた辺りで急にやめる。
 どうしても書いておきたいことや熟成された下書きから上げられる日もあるけど、それが尽きるともうカッスカスでなんにも残っていない。余力がないから書きたくない。

 そういう時は休む時!

 それもわかっているけど、気持ちは沈みがち。沈みつつ、やっぱり好きなことして気持ちを紛らわし、気分が変わるの待つしかない。

 noteやっていて良かったなあと思うのは、書きたい人たちや描きたい人たちの集まりだと実感する時。
 多くの人が経験する「書きたいけどちょっと休む」の気持ちを共有できる。「休んだら良いよ」と思ってくれる。「また来るでしょ。待っているよ」といつも通りご自身のものを上げている人がいる。

 まだまだ書きたいことなんて湧いて出てくるのを知っているからね。
 少し休んでも、私はまたここに来れる。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。