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うまくいかなくなった友達だけど、思い出は「そこにただ置いておこう」~【田園】を聴きながら~

 アルバムがどれだけ売れたかのランキングが発表されている。観ていたら、20~30年前頃の思いがよみがえって、胸が苦しくなってきた。

 今は、好きな曲だけピックアップして、繰り返し聴けるから、それも良いよなあ。
 私たちの学生時代は、カセットテープに好きな曲やアルバムをダビングして、好きな一曲を聴くためには、早送りとか巻きもどしとかしなくちゃならなくて。
 あんまり繰り返すと、テープが伸びちゃって音が悪くなるのもあったし、ピッタリ曲の始まりに合わせるのもできない時代があったから、それほど気に入らない曲でも聴いていた。
 そのうちその曲が好きになっちゃったり。そういう意味での広がりはあった。
 以前も書いた。
 「聴くならアルバム単位が好き」って。

 カセットテープに録音して曲を聴くのが主流だった頃。私たちは、友達や好きな人に、自分の聴いてほしい曲をまとめてプレゼントしたものたった。思いのこもったものを選曲し、構成を考えて、テープのA面の一曲目、二曲目、最後の曲、B面の一曲目、最後の曲、に私は特にこだわっていた。
 それは、押し付けでもあったけど、好きな友人や異性だと、そのカセットテープが特別な意味を持つのだ。
 相手がどういう思いか、想像しながらその曲を聴く。
 友人の好みを知る。
 互いの、良いと思う曲を10曲ほど共有する。
 歌詞に意味を見いだす。
 編集の順番に友人の思いを感じる。
 
***
 
 ニュージャージーに再び住み始めた24歳の頃。
 夢と希望に満ちて、でも不安でいっぱいだった。
 ニュージャージーへ向かう度に、「飛行機の中、退屈でしょ?」と、ノートに綴った長い手紙を書いてくれる子がいた。
 そこには、思い出話や、彼女の思い、面白話が明るく綴られていて。さらにはクイズがあったり、マンガが描かれてあったり、その工夫がとても楽しくて、小出しに飛行機の中で読んだものだった。

 
 何度目かの時、彼女が「今、よく聴く曲」として、カセットテープをプレゼントしてくれた。
 その中に、玉置浩二の「田園」やスピッツの「渚」、chara (YEN TOWN BAND)の「あいのうた」が入っていて、とても気に入った。
 特に「田園」は、不安な私の心を元気づけてくれた。

 ※これより、発売当時のPVの方が好き。

 夫と知り合い、好きになって、付き合い始め、自分の気持ちを持て余した。
 少しは勉強もしていたけど、生活は友人に頼り、互いにストレスを抱え、こんな日々で良いのか。私はこれで良いのか。今後どうなっていくのか。
 
 エネルギーにもあふれていた頃の私は、心の中の情熱と、焦りとがセットになって、高揚感と少し混沌とした気持ちを自覚していた。何も見えない黒い向こう側に向かって、重たい気持ちと心細さで静かに一人、自分の息遣いを聞きながら持久走をしている気分。

 自分の貯めたお金で今は好きに暮らしているけど、どうなっていくのか。正解ってあるのか。華やかに旅立ち、能天気に暮らしているように見えたであろう私には、相談する人がいなくて、よく一人で泣いていた。

 カッコつけてないで
 やれるもんだけで
 毎日 何かを頑張っていりゃ
 何もうばわないで
 誰も傷つけないで
 幸せひとつも守れないで
 そんなに急がないで
 そんなにあせらないで
 明日も何かを頑張っていりゃ

 「生きていくんだ それでいいんだ」
が力強く響く。命と愛を力強く伝えてくれる大好きな曲。
 直接的な歌詞も、それはそれで良いもんだ。


 テープを作ってくれた友人は、一曲目にこれを選んだ。どんな思いだったのだろう。
 彼女とは当時、私のせいで仲違いした。付き合っていた彼との相談をしたら、イライラされ、キレられてしまった。私はわからなくて真剣に悩んでいたのだけど、彼女にはただ浮かれているように見えたようだった。私も思慮が足りなかったし、わがままで甘えていたのかもしれない。
 知らんわ! って吐き捨てるように言われた。アナタが彼とどうだろうと知ったこっちゃない! 私はそんなに暇じゃないねん! そんな風に友人に罵倒されたのは初めてだった。よほど腹に据えかねたのだろう。

 その後、復活したけど、今度は私がイライラして、それまでの不満をぶつけてしまい、彼女を傷つけた。
 言わなくて良いことではない。「言わなくて良い」ことは本当は別に言っても良い。でもきっと「言っちゃいけない」ことだったんだ。こんなことやあんなことで、私が傷ついてきたんだ、なんて。ショックで仕事を休んだと連絡があった。

 数年後、もう一度、復活した。
 今度は、子供に対する接し方で、私が我慢できず、連絡を絶った。ひどいやり方だった。当時は私も子育てで必死だったのと、子供への考え方の違いが、「尊重し合える違い」を超えていた。

 中学生からの友人だ。
 すごく気が合っていたわけではない。でも私は彼女が好きだった。
 一緒にいると、お腹を抱えてよく笑い転げた。
 時々、小バカにした態度をするけど、それも含めて、彼女だと受け入れようとしていた。
 ただ彼女は、決して私に、自分の心の深いところを話さなかった。それが不満だと何度か伝えたけど、はぐらかされ続けた。
 彼女の闇は深くて、でも自分の思い描いている自分になりたくて、きっと話したくなかったのだ。だからこそ自分の子供に対する思いに関しての話が合わない。仕方がなかった。
 
 40歳になってすぐの頃。連絡絶ってから10年近く。

 もう一度、楽しく話せたら。
 残りの人生のことを考えた時。彼女を思い出した。また喋って笑いたい。そんな間柄に戻れたらと思った。

 でも「なんで?」と返されてしまった。
 「かせみちゃんは、察する間柄が嫌いでしょ? 私は自分の思いとか、手紙を書くのは本当は苦手だし嫌い。それに、何より察してほしいタイプなの」




 そうだったんだ。

 あんなに手紙を交わしたのに、そうだったんだ。


 申し訳ない思いがまずあふれて、過去の思い出やその時その時の自分をバカバカしく思った。彼女に無理させ続け、私はそれに対して無邪気に喜んでいた。なんてひどいことをさせ続けてしまったんだろう。

 察してほしい間柄なら、私は確かに苦手な人間関係の築き方。
 私はちゃんと言葉にしたいタイプ。
 そういう人を尊敬するタイプ。
 彼女はそれを知っていたんだ。そして自分がそうではないことも。

 じゃあもうアカンやん。

 気づかなくてごめん。ひどいこと言ってきて、辛いことさせてきてごめん。
 謝って、それからなんでもないやり取りを何回か交わして終わった。

 彼女を思い出す時、大笑いした楽しい記憶と、仲違いを繰り返した何度かの辛いやり取りがよみがえる。
 すごくしんどい。時々、夢にも出てくる。
 それでも。

 私は彼女に何度も傷つけられた。そして私は彼女を深く傷つけた。
 もう二度とごめん。私たちはうまくなんかやれないよ、仲直りなんかできないよ、って伝えられた。

 私には大好きな友達がたくさんいる。積み重ねてきた思い出も。今までたくさんここに書いてきた。マガジンにもまとめてきた。まだ他にもいて、書いてその魅力を知ってもらいたい素敵な友人たちがいる。

 でも。

 彼女みたいな間柄の子もいるんだ。何人かいる。


 「田園」を聴くと、彼女を思い出す。

 僕がいるんだ みんないるんだ
 愛はここにある 君はどこへもいけない
 そして君がいる 他に何ができる
 みんなここにいる 愛はどこへもいかない

 苦しくなるけど、私はこの曲がすごく好き。友情に、恋に、その時の「今」に、未来に、不安だった私を励ましてくれた。この曲を聴いて、それで良いんだよ、ここで踏ん張れ自分。って言い聞かせた日々。
 そして、楽しい思い出と、辛い思い出とが交錯しながら、どうしているかなと彼女を想う。

 互いが幸せでありますように。
 そう願うと、彼女なら「かせみちゃんらしい。無邪気で無責任だよね。私は別に気にしてないし」と鼻で笑われて悪態つかれるかなと小さく絶望もする。

 私の中でまだ上手く手放せていないけど、すっかり忘れるつもりもない思い出。
 周りからは「もう彼女のことは良いでしょ」って言われる。けど、好きな「田園」を聴く度に思い出してしまう彼女には、笑った日々もたくさんあるから。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。