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なつかしの店の30年後

 お好み焼きが、ピザの本場イタリアで受け入れられるかどうか。
 30年ちょっと前に、そのTV番組を観始めてすぐ母が「あらっ。これ木地くんじゃないの! あらあー」と驚いている。

 母の小学校時代のクラスメイトらしいのだ。木地くんは、現地の人と試行錯誤しながら、お好み焼きをイタリア人に受けいれてもらう企画を楽しんでいた。大阪のお好み焼きにこだわりすぎず、ここは変えたくない、こんな材料を入れたい、ここは変えてもいい。
 ニュージャージー暮らしの経験があった私は、入り口は少しくらいちがっても受け入れ合うことが小さな一歩となると信じていた。だから木地くんが柔軟に「ああこれだとダメなのかー。じゃあこうするか」と対応していく様子に感心しながらワクワクする。
 「木地くん、お好み焼き屋さんやってるのねー」「お母さんが確か飲み屋さんだったかやってたはずよ」「いいおじさんになっちゃってー」「木地くんとはそんなに親しいわけでもなかったけど、声かけたら覚えていると思うわあ」母が止まらない。
 盛り上がった私たちは「今度行ってみようよ!」と話した。

 20歳当時の私は母と、ほんの少しだけオシャレして梅田に行くのが当時の常だった。阪急梅田駅降りてすぐの食堂街には、それまで入ったことがなかった。高架になっていて、その下の商店街は、ごちゃごちゃ。通路もせまくて、熟練のサラリーマンしか入ってはいけないのでは……と思いたくなる雰囲気。
 せまい階段を上がると、母は「わあ」と言って木地くんと40年ぶりくらいの再会を果たした。木地くんも母を覚えていた。カウンターにすわり、向かい合う。木地くんは慣れた手つきでお好み焼きを焼きながら、母がそこを知ったいきさつを話すのを、ニヤニヤ聞いていた。

 お好み焼きを目の前に出され食べてみると「店によってこんなにお好み焼きって味がちがうんだ」と驚いた。お好み焼きはだいたい似たようなものだと思っていたものだから。
 生地は木地くんが焼き(ややこしいな……)、焼き具合が良い頃に差し出してくれる。
 その生地は、密度が濃いはずなのにほんわりしていて、ソースのコクが深い。

 美味しい~!

 それはそれは気に入ったのでその後、何度も通う。
 母とは二回目だったか。「ちょっと喋るか」と木地くんの提案で近くの喫茶店に行き、先生や同級生たちの話に花を咲かせていた。とは言っても、ワイワイ楽しく話す感じではなくて、二人で「そう言えば……」と話し出しては「懐かしいなあ~」としみじみしている。あとで母が教えてくれたけど、木地くん、机の間を歩く母の足をよく引っかけたそうだ。そんなイタズラっ子が穏やかで優しい笑顔のおじさんになっている。

 友人たちも連れて行った。
 中には男友達もいたけど、木地くんに気を遣われてしまって恐縮だった。そういうんじゃないんだってば全然! とにかくそのお好み焼きを、できるだけより多くの友人たちに味わってほしかった。
 足しげく通ううち、元々あった行列がどんどん長くなっていく。雑誌やテレビに取り上げられたためもあっただろう。階段や通路からも人はあふれて扉の外へと列はつながる。
 でも焼くのはほぼ木地くん一人だったので、時間もかかった。

 その後、そこから徒歩10分くらいに梅田スカイビルができると、地下に支店を出した。
 店内は広々としていてテーブル席もたくさんあったけど、やっぱり行列はできてしまう。

 いつも混んでいるので、行く度に声をかけるのも申し訳ない気がして、母と一緒じゃない時は声をかけなくなった。決して木地くんから「やあやあ」と話しかけてくるようなタイプではないのだ。

 その後、夫を伴って一度。息子が幼いころに一度。どちらもスカイビルの地下の支店で。
 遠くから見てお元気そうだなと確認するだけ。

 宝塚の両親の家に行っても、なかなか梅田に出ることはないので長い間、木地くんのお好み焼きを口にすることもなかった。

 それがこの前、梅田を訪れる機会ができた。

 スカイビルの地下に行くつもりにしていたら、夫が本店の方に行ってみたいと言う。

 高架下の食堂街を目の前にして「うわ。全然変わっていない」と驚き、せまい廊下をどんどん入っていく。サラリーマンや好奇心旺盛な若者たちとすれ違いながら「この辺だっけ」と探し、フロアマップも確認。
 夫が「あったよ」と看板を見つけた。


本店には30年ぶりくらい

 うわあ。
 変わってないぃー!

 せまい階段も。
 同じだあ。

 うあぁーうおぉーう。
 ちっちゃく、うなりながら階段を上がる。

 上がってすぐ、木地くんはいない。
 お元気なのだろうか。母と同じ歳だから、今年80歳だ。

 店長らしき人が焼いている。どこか目元が木地くんに似ているのは気のせいなのかな。顔の下半分は全然ちがうなあ。でもそのおじさん、私と同じくらいの年恰好だから木地くんの子供でもおかしくない。
※のちに母に確認し、どうやら息子さんらしいとわかる。

 息子に、木地くんの話をした。
 今20歳の息子。当時の母は今の私とだいたい同じくらいの年齢だったのね。
 話しながら気づいた。木地くん、40代半ばくらいでイタリアに行ってお好み焼きをふるまってみたんだー。
 そして母から20歳くらいの私がどんな風に見えていたのかも想像してみる。なんだ。全然まだまだ可愛い子供じゃないか。
 あれもこれも、うまく振舞えなくたって当たり前だよ。背伸びしていたつもりなどみじんもなかったけど、そうしないといけない気持ちは確かにあったんだよな。

 昔は壁が、訪れた人たちの名刺で埋め尽くされていたけど、それは全部なくなっていた。
 今は個人情報が心配よね。

 30年の月日を思いながら、変わらないカウンターを眺め、通されたテーブル席で30分ほどじりじり待った。そうだ。待つ時間が長いのだった。時折、電車が通る音が激しく鳴る。ゴトゴトンゴトゴトン。

 お好み焼きが出された。
 昔より味がイマイチって思っちゃったらどうしよう。
 「ウーン。こんなだっけ?」なんて、ピンと来ないかもしれない。

 あれっ。マヨネーズの乗り方がちがう……気がする。たぶん。 

 コテで切って、気が急きながら口に入れる。あっつあつだ。
 少し口を開いて湯気を逃そうとすると、ぼわっとソースの香りが広がる。

 なつかしい!!

 今回の最初の印象だった。
 どんな味かなんて覚えていなかったのに、口に入れた瞬間思い出す。この深みある香り。少し変わったのかもしれないけど、たしかに30年前の味を思い出させる。

 そして生地。

 やっぱり密度が濃いのに、ふんわり。その繊細な密度は、コテでスッパリ切った断面でよくわかる。


 こんなに詰まっているのに、どうしてふわっとしているのだろう。きっと秘密は具材や混ぜ具合だけでなく、焼き加減にもある。と、私は信じている。

 ソースはほのかに甘く、生地に心地良いしょっぱさがある。記憶より味がしっかりしている。

 「美味しいね~」。
 三人で口々に言いながら食べた。

 15年ぶりくらいに「きじ」のお好み焼きを味わう。それはお店といっしょで、ほんの少し変わっていて、でもあの頃を思い起こさせるなつかしいもの。
 お腹いっぱい、胸もいっぱいで店をあとにした。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。