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突然のお別れだった

 週末は夫が仕事に出ていたので、職場から連絡があった。
 休み時間に、わざわざ電話? と不思議に思う。

 「弟から連絡あって、僕の母さんが亡くなったんだって」

 えっ。
 えええ……。

 こういう時、自分の声がほんの数秒遅れで再度耳に響いてくるのはなんなのだろう。そのままその瞬間のすべてを忘れなくなる。話してくれた夫の声。私の声。見える景色。私の体勢。

 弱っているとは聞いていた。
 でもどこかにあずけて見てもらうほど困っているのではなかった。義弟からもそう聞いた。

 87歳にしても、突然のことだった。
 今年辺り、入院かな。施設で見てもらわないといけないかもしれないね。お金のことどうしよう。札幌へはどういうタイミングで行こうかね。なんて最近は、そんな風に夫と話していた。

 義父母とはうまくいっていなかった。
 出会ってから何度泣かされ、子供ができてからも何度困っただろう。顔を合わす度に困惑があり、私の自律神経が強く反応した。
 夫には幼少期からの話を色々聞いていた。

 それでもお互いに時々連絡を取りあっていた。こちらからは電話やカード。あちらからは電話や贈り物。
 4年ほど前に緊急事態宣言が出た辺りで「怖くて出られなくなってしまって」と話していた。その年の暮れには、あんなに歩き慣れているはずの冬道で転んでしまった。病院に運ばれ、足腰は無事だったもののますますウチにこもったそうだった。
 息子を訪ねる時に顔を出したりもした。ただ例の感染症でなかなか気軽に会える雰囲気ではなかった。昨年、札幌には訪れていない。

 確かに弱ってきたようで、ある頃から電話をしても出ないし、何を送っても反応がなくなってしまった。
 義弟を通じて様子はわかっていたし、わりとギリギリまでどうにか普通に過ごしていたと言う。

 いつか義父母についてまとめて書けたら載せたいなと思っていた。
 うまくいっていなかったことも含めて。でも今回のことで当分まとめては書かないだろうと思う。
 こんなタイミングでお別れになるとは思わなかった。本当はどんなタイミングだって選べないのにね。

 慌てて札幌に向かい、今年は札幌なりに雪が少ないんだねなんて話していると、その晩から大雪警報。翌朝もJRやバスなど交通機関が運休になっていると知る。

 夫も義弟も不慣れながらよく気付き、よく動く。親戚や他の人にお知らせはすれど呼ばないので、私はとにかく二人の迷惑にならないように、とにかく邪魔にならないように気をつける。体調も含めて。話だけはできるだけちゃんと聞いて把握しておく。息子も授業の合間に駆けつけて神妙に手伝ってくれる。

 義母はと言えば、対面すると、今にも「アラどうしたの」と目をさましそうなほど、穏やかで普段通りみたいな表情だった。湯灌の方が動かす度に「せっかく寝ているのだから起こさないようにね」といちいち思ってしまうほど。

 義父が亡くなったのは、6年半くらい前だった。同じように家族葬で、当時は5人で。
 奇妙な感覚。同じ葬儀場で4人並ぶ。終始リラックスした和やかなムード。「あれはどうするのかな?」「これはどうしよう」話し合いながら、厳粛な場ではお互いの様子をうかがいながら。
 スタッフの方たちに義母について質問され、その度にあまり知らないなあと皆で腕を組み。宙を見上げ、しばし考える。
 「絵が好きだっけ」「みかんがすごく好きだったね」「水色が好きだったよ」などと話す。
 
 それでも私たちはあの笑顔を覚えている。困惑してイヤな気持ちになったことの方が多かったけれど、自由な人だったので私たちにも好きなようにさせてくれていた。
 しっかり者で、生真面目だった。それをかき消すほどの超マイペース。いかにも北海道の人らしく合理的で、ドライ。何が好きだったのか、本当はもっと知り合いたかった。そういう話をしない人でもあった。

***


 お花を入れてあげていると、とっても喜んでいる気がして、急に涙が止まらなくなった。毎年お花を贈っていたから。一昨年までは恐縮しつつ喜びを隠さなかった。「いやーありがとう! とってもキレイだね」と言う声はもう聞こえてこない。

 こちらではお別れだけど、あちらでお義父さんと再会して楽しくおしゃべりしていると良いな。




読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。