見出し画像

誰にも見られていませんように

 「いつもより一時間遅く迎えにきてほしい」と、息子からメールが入った。
 夫が、職場から息子の塾の前まで歩いて待ち合わせ、のパターンが最近多いので、夫に連絡をした。「一時間遅くしてほしいって、連絡入ったけど、どうお?」って。
 夫は「良いよ、わかった。その時間に行くね」と言う。

 塾の帰り、夜の迎え時間に合わせて晩御飯を済ませ、家事、用事を片づけ、お風呂に入っておく。なんだかんだで、迎え時間の1時間くらい前から気忙しく、バタバタしてしまう。

 しかし。

 「一時間遅く」は、誘惑だ。
 少しゆっくり時間が過ごせる。少しダラダラしちゃえる。少しパソコンに向かっちゃう。むふふ。

 ―なあんてことしちゃったら、あっという間に時間なんて過ぎるのはわかっている。


 なのに。そんなむふふなことをしちゃったのだ。

 案の定、時間が迫ってきた。
 結局やり残した。むしろいつもより家事が残っている。お風呂も帰ってからだわ。

 ああ。一時間、時を戻してほしい。
 どんなにぺこぱが言ったって、時は戻らない!

 せめて、やっておきたいちょこちょこした雑用を慌てて済ませる。
 出るまでのたった数分が勝負だ。だって信号で引っかかるとイライラしちゃうから、ゆったりした気持ちで運転を始めたい。出かけるまで、車に乗るまでを全力で
 スマホを持ち……。

 あれ? カバンは?

 カバンがないって、いくら私でもひどくな~い?

 焦りながら、カバンを探す。中には免許証だってあるわけで。なんでこんな時に!

 こんな所にいつも置かないじゃないかって所に見つけてから、「トイレも行っておこう」と慌てて済ませ。
 慌ててダウンコートを着て。50肩が痛い!
 慌てて手袋をつけ。焦って指がきちんと入らない!
 慌てて鍵を持ち。全力でひったくる!
 

 運転は落ち着かなくちゃいけないんだから。
 はやる気持ちでドアを開け。
 弾丸のような勢いで玄関の外に飛び出て。

 鼻息荒く、ギンギンの目に飛び込んできたのは。



 ない。

 車がない。

 英語で言うところの「あったのは、ない車」だ。
 There was no car (in the parking lot)なのだ。

 えっ。


 なんで? 


 開けた家のドアの取っ手を左手に、「そうだった。今日は私が車を使わないから、夫に息子の送り迎えを頼んでいたのだった」と思い出した。
 目に飛び込んできた景色を把握するのに、おそらく5秒以上は静止していたかと。
 眉ひとつ動かさず、後ずさりしてドアを閉めた。

 どこかから私を見ている人がいたら「あの人、すんごい勢いで飛び出てきて、そのままそおっと家に戻った」って思うだろう。

 玄関内に戻った私は、カバンを置き、スマホを置き、手袋を外し、ダウンコートを脱ぎ。セーターを脱ぎ。ズボンを脱ぎ。……。


 そしてお風呂に入った。


#エッセイ #車 #駐車場 #送迎 #出かける気満々 #焦る #慌てる #飛び出る #風呂

読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。