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子供の好奇心への追求を応援したい

 アラ。最近こういうのが好きなんじゃないの?
 不意に見つけて、息子に声をかけ指をさした。ピンポン玉くらいの大きな分子模型が壁に貼ってある。

 「なあにこれ」
 興味あるはずの息子が不思議そうな顔をして見ている。

 あっそうか。こんな風に大きな形で見るなんて、すぐには一致しないか。
 「二酸化炭素とか書いてあるよ」
 その紙に書いてあった文字をそのまま読んでみた。
 「近くの施設でこの手作りキットがもらえます、だって。行ってみる?」と聞くと「行きたい」と言う。

 いつもだと「見慣れない」「手作り」なものに興味を示さない息子なので、嬉しくなって浮かれた私はすぐにそこに連れて行った。
 その場でキットを手に入れ、作っている人たちの様子も見せてもらった。

 帰宅後、のりを出してきて、見本を参考に、球体のカケラ同士をくっつける。息子もやってみる。

 こんな簡単なことなのに、息子と額をくっつけるようにして作っていると胸がいっぱいになる。

 こういうのって、それまでことごとく私の手伝いをいやがって泣き叫んだり、自分でもうまくできなくて泣き叫んだり。
 いずれにしても泣き叫ぶ。

 ひっくり返って暴れ、20分でも30分でも泣き止まない。どう声をかけてもダメなのだ。そのうち私も耐えられなくなってきて「そんなになるんだったら、やらなくて良いよ!」と最後は言い合いになり、大喧嘩でまた息子が泣きわめく。
 声のかけ方や態度の出し方、あれもこれも対策はやり尽くした。
 だけど、息子はそういう気質なのだ。

 だから息子にとってなにか珍しい物を作る行為になかなか縁がなかった。
 ブロックを使うとか紙を切り貼りとかだと自分で好きにやっていたし、組み立てる作業は好きだったようで部屋いっぱいの大作を作ったものだった。
 不器用であっても手先を使うのが嫌いなわけではない。
 他にも自分の提案する遊びなら私に加わってほしかったらしく、それはずいぶん長い間つき合わされた。

 息子は自分にできそうなことしか取り組みたくない。

 この特性にどれほど苦しめられただろう。どうすれば未知の物事に楽しんで挑戦してくれるのだろうか。どんな風に声をかければ。親が楽しんでいるのを見せれば。一緒にやってみれば。
 しんどかったなあと時々思い出してみるけど、息子も本当は苦しかったのかもしれないと最近は思い返す。

 親の接し方は子供に影響を及ぼすって当然常に頭の中にあって、それは子供と接する上でプレッシャーでもあった。わかっていたって、うまくいかない日もあるもの。それに追いうちかけるように親は周りに責められるもので。だけどがんばっている親たちにとって、子供の特性を生かしながらいっさい感情的にならずに対処し続ける日常って、難しく厳しいミッションだ。私にはあの程度が精いっぱいだったのかもしれないなあとも、自分の小さな器をふり返る。


 分子模型をいっしょに作りながら、私は化学の勉強についてなんにも覚えていないと途方に暮れそうになった。
 でも息子が慣れないことでも楽しんでいるのだから水をさしたり邪魔したりしないぞ。ちょっとずれても、やり直しても、いつものようなかんしゃくを起こさない。

 2人でのぞきこみながら「これは、ネオンていうんだって」「これとこれをくっつけると、一酸化窒素になるんだって」と紙を見ながら話す。
 静かに時間が過ぎていく。

 完成すると、嬉しくて(←私が)壁に貼って飾った。

 でも私には「作った!」「飾った!」で終わり。

 息子は何度もそれを眺めては、あーだこーだと言っていた。その「あーだこーだ」がまた何を言っているのかよくわからないのだけど。

 息子がそれに興味を持つきっかけは、皮肉にも東日本大震災の原発事故だった。
 深刻な事故について、当時小学二年生の息子が「どういう意味なの?」とその仕組みを聞いてきた。もしかしたら恐怖心から「知らなければ」と思ったのかもしれない。

 だって他の被害については、つらくて観ていられない風だった。地震のあった当日のニュースを観てしまった時には、夕食が食べられなくなって、トイレについてきてと青ざめた顔で言ってすぐに寝た。
 中学生になってから海沿いの地に行った時も、固い表情をしたまま外の景色を見ようとしないことから、息子が心に受けた衝撃の強さを感じた。

 だけど原発事故に関しては、熱心にニュースなどの解説を観ていた。その物質自体や変化、なにが正常で、今がどのていど危険なのか。当時は大人たちにも専門家たちでさえわからないことが多かった。でも息子は少しでも良いからと知りたがった。夫は「今わかっている範囲だよ」と、わからないことも含めて息子に応えていた。

 息子にとって「化学」が気になったきっかけとなった。

 目に見えない物質に興味があるみたいだからとそのキットを買ったのもその年の夏だった。

 さらにその年は新聞で元素周期表を見つけると全部を覚えた。ただの暗記じゃなく、物質の意味も、すべてじゃないけど理解しているようだった。

 図鑑や本を読み、元素のカードゲームも買って家族で遊んだ。私にはやっぱりよくわからなくて、ただルールに沿って付き合うていどだったけど。

 そのうち、もっと細かな分子模型を夫がプレゼントしたので、部品を組み立てては「エタノールだよ」「酢酸だよ」「ベンゼンだよ」「この辺は簡単なんだよ」などと教えてくれた。

 化学かあ。

 ここまで書いているのを読めばわかるように、私には苦手な科目だった。
 だから息子が何を組み立ててそれが何なのか、説明されてもよくわからない。

 幼少期は新幹線をおぼえたり、時刻表を眺めたり。動植物の図鑑を買っても数字を覚えることにしか興味がない。こんな子供がいるんだと不安で仕方なかった。

 でも私にはわからなくたって、興味を持って面白いと楽しんでくれているではないか。

 夫は「学校の成績はどうあっても良いから、学問に興味を持ってほしい」とずっと言っていた。将来、それを仕事にするかどうかは関係なく、好奇心を持ってそれについて知ろうとする人生の方が楽しいよ。と。
 多分、「学校の成績はどうあっても良い」と言う、同じ職場の同じ職種の人はけっして多数派ではないと思う。私も夫と似た考えだったので、子供に対する互いのそういった考えにあまり違いがないのはありがたかった。おかげで学校の成績はアレでしたけどねー。

 化学に夢中だった息子は、今はあまり関係のない分野が好きだ。中でも競技プログラミングに夢中だ。
 競技プログラミングについては、実は高3の頃から楽しんでいたらしい。受験勉強より面白いと思っちゃったんだろうね。それもまたそれで良いよ。事後報告だったけど、その当時知ったとて、止めることはできなかっただろうし。
 今の若い人たちはやっぱりコンピューター自体に幼いころから慣れ親しんでいるのだろう。プログラミングは夫も大学生の頃からやっていたそうだけど、若い人たちの力には感心しきり。

 この前、新聞で久しぶりに元素周期表が出ていたので、リモート画面で見せて聞いてみた。
 「これって覚えてる?」

 うんうん。番号言ってみて。

 〇番。

 えーと。△かな。あっ違うか。〇かな。□の横のだよね。ああ忘れてるねえ~。

 いやそれだけおぼえてたら上出来だよ。

 感心しながら「昔どうしてそんなに好きだったの?」と聞いてみた。すると「うーん」とうなり、だいぶ考えてから話してくれた。

 「底知れない広がりがあるって思ったんじゃないかな。当時の僕にとっては、こんな分野があるんだ、ってビックリしたの。今のプログラミングもそんな感じで底のない感じを楽しんでるのかなあ」

 へえ。
 そんな風に思ってるんだ。

 本当はどんな分野だって底知れないだろうけどね。

 でも息子にとっては、化学こそが当時の頭の中を刺激するものだったんだ。すごい広がりって心を動かされたんだな。

 そして今は競技プログラミングにそれを見出している。

 相変わらず大学の成績はさえないみたいだけど。でも息子にとって、底知れない広がりが感動を生んで、もっと知りたいって思うなら楽しんだら良い。この先、ちがうものに夢中になったとしたら、それはそれでまた追求したら良い。
 息子にとってはそれが学問なんだもの。
 きっと人生を面白くしてくれるだろうから、応援するよ。



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