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ヒーローは身近にいる

 テレビでは、ゴレンジャーが私のヒーローだった。カレー大好き黄レンジャーがお気に入り。他にはバットマンやスパイダーマンを観ていた。物心ついた頃。
 映画では、スーパーマン。スターウォーズ。
 帰国後は、アニメ。コンバトラーVとかガッチャマン。
 子供の頃にそういうのは卒業したと思っていたのに、40代後半でMCU(マーベルシネマティックユニバース)にハマる。息子が好きだから「ジョジョの奇妙な冒険」も幾つかのエピソードを読む。近年は「鬼滅の刃」も楽しむ。
 何でこういうのが私の心に響くんだろう。

 特殊能力を持っていて、強い敵と戦える。一見ただのファンタジーアクションものって子供っぽくさえ思えるのに。
 私の場合はこれ! って得意なものがないから憧れるのだろうか? 

 私は当然飛べない。低空飛行で苦しむ夢を見るくらいだから、夢の中でだって大して飛べていない。
 手からビームも出さない。出るのは、人より多めの手汗。
 魔法も使えない。縦じまのハンカチを横じまにするくらいだ。マギー司郎さん、ありがとう。
 驚きの身体能力もない。むしろよく寝込んでいる。
 驚きの知能も持っていない。えーっと。忘れ物や落とし物をしょっちゅうやらかしては、見知らぬ人に声をかけてもらっている。夫と息子の話している物理化学数学の話は、どうも聴こえてこない。自分の好きな分野の話でさえ、流れるように忘れていく。
 「鬼滅の刃」で言えば、特殊な呼吸も使えない。便秘だったり、寝つきが悪かったりすると、ゆっくり腹式呼吸を意識するくらいだ。
 自分で止血やケガの手当てなんかできない。マキロン吹き付けてバンソーコー貼るくらいだ。白血球が正常値より極端に少ないからか、むしろ傷の治りも遅い。

 ヒーローにはそれぞれの能力があって、人を救うために必死になれる。
 そしてドラマや映画の世界だから、救えちゃう。

 だけど現実には。
 悲しい出来事はたくさんあるし、それをすぐには変えられない。ただ見聞きするだけの無力さを感じ、それについて忘れず、ひたすら考えるくらいしかできない。

 マーベル原作者のスタン・リーは「ヒーローは、誰でもなれるんだ。目の前の困った人を助けたら、それで君もヒーローだ」なんて言う。

 大人も子供も、きっとみんな世の中や自分の周りを何とかしたいと思っているし、なかなかそうはできない現実と向き合っているんだよな。

***

 ニュージャージーの幼稚園のような場に通っていた。
 小学校に入る前の、字や絵を練習する場で、私の通っていた所は小学校内に三つほどクラスがあった。先生が絵本を読んでくれたり、皆でどこかへ見学に行ったり。
 そんな中で、私は1人の女の子にいじめられた。毎日のように顔をひっかかれた。皮がめくれ、痛くて血が出た。
 まだ英語もそれほどできなかったし、友達の有無など気にしていない頃だったので、誰にも話さない。そんな環境が彼女を助長したようで、となりになると、先生が見ていない瞬間をねらって、本で隠しながらひっかいてきた。私もやめてと言えないのや英語でやり取りできないのが惨めで、その傷も流れてしまう涙も隠すように下を向くばかりだった。

 でもある日、先生が気づいて「カセミ、その傷はどうしたの?!」と言った。
 うまく英語で説明できないのと、そのために信じてもらえないかもと思うのと、告げ口をすると私は今後どうなってしまうのかと思ったので、何も言葉が出てこない。
 固まっていると、ひっかいていた彼女と、私よりは喋っていた女の子が立ち上がり前に出て、大きな声で言った。

 「私、あの子がカセミをひっかいていたのを、見たことある!」

 黙っている私を見た。何で訴えないの自分で言いなさいよと表情が真剣だ。
 その時は気づかなかったけど、授業中ひっかかれていた時に小声で「なにやってるのよ」と横から言ってきたのは、その子やその子の友達だったのかもしれない。

 先生は本当なのかと確認をし、私を保健室に行かせた。

 帰宅すると、顔のたくさんの傷に、赤の薬をたくさん塗られた私を見て、母が驚き、幼稚園に電話をかけて怒りにまかせて感情をぶつけていた。
 母は当時の私より英語ができなかったのに、つたない英語で必死で、「顔をひっかく現場を見つけられなかったのか。あんな薬の塗り方はあるか。カセミの気持ちを考えたのか。日本人であっても、きちんと見てくれ」と怒鳴っていた。

 あの時の母の対応が嬉しかった。私のお母さんってこんな風になるんだとも知った。

 翌日は私の手を引いて幼稚園に行き、ひっかいた子の手を引いてきた親御さんが謝ってきた。

 「目の前の困っている人を助ける」
 母は自分にとっては「親」だけど、確かにあの瞬間、私のヒーローだった。
 そして皆の前で堂々と言ってくれたあの子。
 本物の強い気持ちを教えてくれた。

 その気持ちは私の中でちゃんと小さな炎となって、いつでも燃やせるように今も心の中にいる。

 ほぼ喋ったことない彼女だけど、45年経っても私のヒーロー。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。