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盾は自分を守るために使って良いんだよ~HSP仲間とその周りの人たちに伝えたい~

 息子が先日、発達障害の診断テストを受けに行った。3時間ほどかかったそうだ。正確な診断ができるのかどうか100%はわからないだろうけど、専門家による見極めはそれなりの根拠があるだろう。
 結果を教わるのはだいぶ先。傾向がわかって何が良いのかと言えば、ライフハックが役に立つだろうということ。同じような特性を抱えた人たちがどんな風に日々や物事に対処しているのかきっと参考になる。
 そしてもし、ある特性に完全に当てはまるとしたら、今後の生活のサポートも得られるだろう。
 
 私のHSP(highly sensitive person)について書こうとした時に、息子の発達的な特性に対してと、考え方は遠くないと気付き始めたところ。

 HSPに関しては時々書いているのだけど、公開している1000記事以上の中の20記事にも満たない。最近メディアに取り上げられるようになってから、あえてそれについて書くのもどんどんイヤになってきた。
 
 そもそもHSPについて、何時間もかけてテストをやってみて、診断名がつくかどうか、HSPのほとんどの人がやったことがないだろう。本当にそうなのかなんて専門家でもない限り本当はわからないのでは。しかもHSPにも色々分類があるとなると、もうそれぞれの個性で良いのではとも思う。

 それでも書く意味とは。
 わざわざ表記したり、自分にラベリングしてそれについて言及したりする私たちは何なのだろう。
 最近ずっと考えていた。


 HSPはそれをアピールできないからHSP。だけど、こんなことに困ってしまうんだよ、自分がイヤになっちゃうんだよ、と伝えたい相手がいる時に「HSPなので」と言ったり書いたりしたいできると気持ちがラクになるよね。
 noteでは伝えやすい環境にいるから、本当にありがたく時々書いている。
 
 HSPは5人に1人と言われているので少なくはない。友達が10人ほどいるとして、そうしたら自分以外にもう一人はいてもおかしくない。その場にいる5人に1人が必ずではないから、偶然もっといてもおかしくないし、自分だけかもしれないけど。
 HSPは、話していると「この人、HSPだろうな」と何となくわかる。あくまでも顔を合わせて同じ環境の中で。テレビとかの情報だけではわからない。「そうかもしれない」と思うけど、話している時ほどの確信はない。一面やいくつかの情報を組み合わせただけで決めたくない気持ちもある。
 
 HSPは「DOES」で表される。

「D」はdepthで、深く分析する力
「O」はoverstimulationで、過剰な刺激により、周りにすぐ圧倒される
「E」はempathyで、他者の気持ちを感じ取る
「S」はsubtletiesで、ささいなことへの気づき

心理学者エレイン・アーロン博士が提唱した概念

 全部が当てはまってHSP。一つでも強く当てはまったからと言ってHSPではない。というのが最近の解釈。神経質だから、内気だから、知覚過敏だから、考えすぎだから、気にしすぎだから=HSPではない。全部の中でどの部分が強く出るとかはあるだろうけれど。
 発達障害でもグレーゾーンてあるでしょ。白から黒に移るまでのグレーには濃淡がある。
 私は専門家ではないから私の理解している範囲でしか書けないけれど、実は専門家でもHSPかどうかを認定したり、特徴によってはASD(自閉スペクトラム症)との区別をしたりが難しいそうだ。両方持っている人もいるそうだし。
 
 今のところ、本やネットでのHSPチェック項目で、毎度9割ほど当てはまるのできっと私はそうなのだと思っている(当てはまらない部分もあるので、そこが当てはまる人に、どう見られるかはわからない)。あとは家族が「かせみのこと書いているみたい」「かせみが主人公にされた本みたい」と言うので確信を得ているけれど、じゃあ人に言いまわるのともちがう。

 大事なのは自分でわかっていること。
 
 自分を知ると、過剰に自分を追いこまない。自分を過剰に追いこむと、人によっては他罰的になったり自罰的になったりするから。
 自分を責め過ぎないために。
 自分とは違うタイプの人を責めないために。
 客観的でいる必要がある。
 軽く書けるとしたら、それは自分のnote仲間を信じているから。時々「信じて良い人ではなかった」と知って気持ちがふさぐこともあるけれど。
 軽く話せるとしたら、HSP仲間と。

 こんなことがメディアなどで話題になってからつらいのが「それを言い訳にしないで」「それを盾にしないで」「被害者ぶらないで」といった言葉の数々。

 だけど本当にHSPで苦しんでいる人が、かつてそれを言い訳にしてきたことがあっただろうか。きっと周りにアピールなんかしてこなかったはず。
 「感じすぎる自分が悪い」「気を回し過ぎて、遠慮しすぎたり、発言しなかったりなど、うまくやっていけない自分が社会に適応できていないのだ」と自分を責めてきただろう。
 盾にして逃げなければならない時に、空気を読み過ぎ、ひたすら心の中に隠して我慢してきただろう。感じやすい心だけは野ざらしになって、ヒリヒリ擦り切れているだろう。

 もしおおっぴらに言い訳にしている人がいたら、それは「HSP」の単語を利用して、自分や何かへの言い訳を語りたいだけの人。本質を知らないのだろう。

 HSPは、自分が感じすぎることを、過剰でいけないことだと思ってふさぎこみがち。
 生活の場面場面でわいてくる思いは強すぎて、いちいちしんどい。
 気持ちを消化するのに、そうではない人の何倍も時間がかかる。
 人と迎合しなくちゃと頑張ってしまうのに、けっきょくそれもできない。
 本心をそのまま言うなら「こんな部分、なければ私の人生ちがったのに。こんなに一つ一つのことに苦しまないで済むのに」。
 
 その分、喜びや楽しみが強いから良い部分だと言い聞かせて暮らしている。少しの気持ちを広げられるし深められるから、誰かが喜ぶ姿に自分の気持ちを反映させて、いっしょに喜べる。楽しめる。
 でもうれしいから、その気持ちを相手に伝えようとすると、その思いが無垢過ぎて、我に返ると恥ずかしくなる。それは気恥ずかしいレベルじゃなく、惨めに思ったり自分がキライになったりするほどの恥ずかしさ。
 誰かが喜ぶ顔を見た時も、自分も喜びに満たされるけど、そこでもまたふと我に返る。喜ぶ顔を見て喜ぶ自分が一番喜んでいるのではないか。自分がとてつもなくバカに思えて、けっきょく自重しようとがんばってしまう。そしてできないのだけどね。

 自分の主体ってどこにあるのだろう。
 
 HSPは時々主体がわからなくなるのも特徴の一つみたいだ。相手本位すぎて、日常的にそんな風に暮らしているのだろう。
 でもそれを当たり前にしていると苦しくなるから、疲れたと思ったらそこから離れたら良い。

 そこで盾の出番だ。
 盾にするなと言われても、盾って、それを言い訳にして人を攻撃したり、何かをなすりつけたりすることじゃあないでしょ。
 盾は、自分を守るためにある。
 自分は感じすぎるHSPなのだからと、自分を守りながら逃げてほしい。言い訳は自分の中で自分に向けたら良い。人にわかってもらおうとしなくて良い。

 だってわかってもらおうとしたところで、もし「甘えないで」「被害者ぶらないで」と言う人に、加害者側の意識が根底にあるとしたら?
 HSPを見下ろして攻撃してきているとしたら?

 HSPなら、誰かが見下す気持ちってすごく伝わってくるでしょ。私たちはその人の中に見下す人間性を感じる。
 だから相手の気持ちに寄り添いすぎるHSPが、そういう人たちをわかろうとし過ぎなくて良い。そういう人に自分をわかってもらわなくて良い。
 自分の気持ちをないがしろにしないでほしい。
 特性は変えようと思っても変えられない。
 もし自分の中の何かを変えようとするのなら「自分を受け入れる気持ちを大切にする」と「困った時にどう対処するか」。
 
 それは発達的な特性のある人もそうよね。彼らも変えることは、特性のない人の比較にならないほど至難の業。自分の精神状態を守るため、「自分にはこういう部分があるのだから」と、盾にして逃げることがあって良い。だけど多数派が生きる社会で、どうにか対処法を身につけていかなければならない。
 

 周りの人にお願いしたいのは、どうか「HSPってこういう人」って安易にわかったフリをしないでほしい。よくわからなかったらわからないままで良い。
 ただアナタの隣りにいる大事にしたい人がHSPだと知った時には、その人自身と共に、少しで良いからその特性を知ろうとしてくれると嬉しい。

 そして「考え過ぎは良くないから変えなよ」のメッセージを伝えないでほしい。
 だって反転させた言葉をHSPじゃない人に伝えたとして、良い気分がしないでしょ。
 「考え過ぎだって」と軽い感じで言われるのはかまわないしこちらの気分も軽くなる。でもそこを良くない部分として変えるように言われると、HSPはどうにか変えなくちゃと躍起になってしまう。そして年月かかっても変えられなくて変わらない自分に気付く度に絶望する。
 
 もういい年齢だから、若いのに苦しんでいる人たちに伝えたかった。
 変えようと努力するのではなくて、対処を覚えれば良い。それでも私もうまく対処できない部分はたくさんあるから、そんな時には自分のそういう部分を盾にして逃げたら良いって。
 そして必ずあなたをわかってくれる人がどこかにいるから、そんな自分をダメに思わないでほしい。自分の気持ちの中にふさぎこまないで、勇気を出して誰かに伝えてほしい。信頼できる誰かは見極めるのは得意でしょ? 特定の誰かに伝えるなら頑張れるはず。伝わった時の幸せな気持ちはきっと何者にも代えがたいだろうから。


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。