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絵本で、小さな発見を積み重ねているのかもしれないな~「どろんこハリー」/「HARRY the Dirty Dog」~

 大好きだった絵本ならたくさんある。
 今も大切に持っているものが数多く。大好きだったのに手放してしまい、大人になって買い直したものもある。息子に楽しんでほしくて買ったものの、息子はそれほどでもなく、結果的に私が楽しむためだけになったものも。
 そんな風に改めて買うと、それはそれでその後手放せず本棚に並んでいる。

 多くの絵本は大人になると内容を忘れていて、読み直すと「こんな場面あったなあ」と思い出したり、どこに心動いたかよくわからず「ここが気に入っていたのかな」と想像して新鮮だったり。

 そんな中、ずーっと内容を覚えているのが「どろんこハリー」。幼少期、ニュージャージーで暮らしていた私は「HARRY the Dirty Dog」が大好きだった。45年ほど持っているものだから背表紙の色がひどくなっちゃっているのはご容赦を。

 内容を覚えているから今改めて読み返しても、衝撃を受けるほどの感動はもちろんない。ワクワクドキドキする場面もなくてどうしても「この場面がそんなに好きだったのね」と多少は拍子抜けしてしまう。
 でも幼児期なのだから、一つ一つのストーリーに触れて新鮮に感じるのが当たり前。

 お風呂が嫌いで外で遊び回るうちに薄汚れていく様に「あああ……」と心配してしまう気持ちを覚えている。
 汚れたら模様が反転してしまった様子は、子供のころの私にとっては「たしかにそんな風になるかもなー上手いこと考えるなー」って面白かった。そしてその姿が飼い主にわかってもらえないもどかしい気持ちもあった。わかってほしいハラハラするような気持ちとか。

 当時感じた、「見かけだけじゃ本当の姿はわからないんだよ」は今も生きている考え方なのではと思う。
 大げさかもしれなくても、そんなものじゃないだろうか。幼いころの「あっそうか」「こうかもしれない」といった小さな小さな発見の積み重ねは、その後自分のものとなっていく。

 だから自分の中の「あっ!」って感覚は大事にしたいのだ。先日、映画感想についてのエッセイの時にも書いたけど、発見も驚きも喜びも悲しみも悔しさも、心動く瞬間が作品と出会った面白さ。あらゆる感情が起きるのが、考えるきっかけとなる。

 「HARRY the Dirty Dog」は、お風呂が嫌いだからと、持って出たブラシが後で生かされる。当時は、伏線回収なんて言葉知らないけど、ちょっとした小気味良い感覚って幼いころから持っているのだろうな。
 家族が「ハリーだ!」と声をあげる場面も爽快な気分を味わった。最初に洗おうとするのが家族の中で女の子ってところも好きだったな。

 絵自体も好き。言葉を話せない犬が伝えようと知っている芸をして見せる場面。うまく伝わらなくてしょんぼりしちゃう表情。ブラシを口にくわえている場面。ふかふかになる場面。
 全部とっても可愛らしいのよ!



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