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【映画】「花束みたいな恋をした」 溢れ出る言葉を、いまは止められそうにない

※ネタバレを含みます。


観終わってすぐに、次に何をするかを決めた。
トイレに籠る。行きたかったし。ドアがうまく閉まらなくて震えた。初めてスーツで映画を観たけれど、トイレ入った瞬間に間違えて、パンツのホックを外す前にジャケットのボタン外し始めてしまって、笑った。
そしてこれを書く。言葉にする。時間が止まってて欲しい。クロノスタシスって、ね、知りませんでした。
言葉って陳腐かもしれない。そう思う自分も何割か居たけれど、でも伝えたいっていう芯のある素直さが言っている。
とにかく書き留める。
この思いを、一言でも逃したくない。
早足で歩いた。

これが終わったら、「映画見てよ、私達だよ」って、言ってくれた友達に電話しよう。「あって思うはずだよ、私たちなら」その答えがわかった。あの海、わたしの好きな、地元の青くて深い海。しらすを生で食べられる海。突然、もしかしたら初めてかもってくらいな電話だけど、観たよって、泣いたよって、何処が良かったかを伝えたい。
そしたら、先輩にラインしよう。『わたしの星』誘ってくれた先輩。公務員になった先輩。同じ大学で知り合った、菅田将暉に似ていなくもなくもなくもない先輩と付き合っている先輩。下ネタと学科の話が一番盛り上がって、それ以外は悔しいことに盛り上がりにかける先輩。みましたかって、みてくださいって連絡しよう。

私の、花束観ようよっていう誘いを、ゼミでラーメン食べに行くんだって断った私の彼氏には、なんて言おう。私のこと、有村架純に似てるねって、顔が丸くて可愛いねって言う彼氏。

見てほしい気がするし、別にどうでもいい気がする。私たちとはちょっと違うねって、でもちょーっとだけ似てるねって、すごく見てほしいっていう訳でもないけれど、うーん、なんだか、自分に重ねすぎるのも良くないな。ただ経験としてみといたほうがいい、菅田将暉が嫌いだとしても、と言おうかな。

本当は、映画上映が1回じゃなかったら、連続で見てた。そのくらい、ああ、これは私ねって思ったり思わなかったりする。
ずっと、浸っていたい気がする。そんな映画だった。

「泣きすぎてマスクが濡れた」って言ってた後ろの2人組より、千円札を渡す前の2人組の方が、映画を見終わった瞬間には良かったよ。


トイレットペーパー。外から見た窓。イヤホン。ワイヤレスイヤホン、から流れる音楽。珈琲。そして恋。
分け合って、そして消費していくものを、1人にひとつ。
そうして分け合ってきたものを、抱いてきたものを、それぞれ花束にして、前に前に、そんな映画だった。出てきた花は、正直きっとどうせ意味が込められているのだろうけれど、花言葉を調べるのは後にしたいと思う。別れようでも、ありがとうでも、好きでしたでも、この後のことは今後決めようでも、ましてやプロポーズでもない。別れ方は、あれしかなかったなあ。涙が溢れて、抱き合って、2人の一番幸せな瞬間を、それぞれ切り取ってそして別れた。
巷では、これをみると、別れるよって、そんな噂が立っているらしい。

これは、恋愛を描いているけれど、結局一人一人を描いているはずだった。結局、人って変わるし、変わらないし、わからない。わたしも本や音楽や絵を描くことが好きだったけれど、いつのまにか何も無くなっていた。麦くんが「仕事って責任だよ」って言った時、叫びたかったな。うわあって、わたし、これからそうなって行くのかもしれない!って。フリーランス、いいなと思った。営業、やっぱり自分には向いていないかもと思った。イベント会社、なんか違うなと思った。どちらの意見も、いまは分かるんだよな。仕事の捉え方、ナチュラルに人に紛れて行きたい自分、周りを見て、生きたい自分と、今まで通り感性第一主義で、悟り世を捨て山に篭り、どこかの星で自分のことを話し続けて痛い自分。どちらもある、からこそ、未来は不安になった。今では映画でその瞬間が変わって、レポート並みに書けるくらいに言葉が溢れ出て、止めどないけれど、いつか心が揺すられなくなる時が来るのかな。その終わりを、待ちながら心を動かし恋をして、それが全てだったわたしのような人間は、そうやって生きるしかないのだろうか。
「感性」が、わたしの人生のテーマでもある。感性が私を形作ってると思うし、アイデンティティになっている。私が最も、私の中で好きな部分。だからこそ、感性って引力があって、感性ってそのままその人自身で、だから「私、山音さんの絵好きです」って言われると、自分の人生を認められたような気がする。私が昔恋をした時には、感性で惹かれたからこそ、他のものがみえなくなって、バカになっていた。確実に人生を変えるような瞬間だったかも。ただ、その人が私のこと好きじゃないって気づいたら、そこは絶望だった。自己中心的な私は、今その人に軽蔑しかなくて。
その日からずっと、感性で、運命で人を好きになるもんじゃないって、自分に言い聞かせて生きている。

もっともっと映画の技法的なところに触れたいんだけれど、残念ながら忘れてしまいつつある。悔しいなあ。やっぱりもう一回観たい。ただ出てくるもの出てくるものが、それぞれ私の胸を刺して、そして2人の感情を、ただただ追いたいと思ったから、技法やモチーフには触れられなかったのかもしれない。

絹ちゃんと麦くんの知識量に、その感性に、正直めちゃくちゃ嫉妬したり。そして彼らの恋に、めちゃくちゃ憧れを抱いたりしてる。今の彼氏と、あんな風にはおそらくできないだろう。ただ、絹ちゃんは初めから、ああやって人生を送るのだろうし、麦くんはああなるのだろうっていうのも、なんとなーく、本当になんとなーく、わかる気がする。観客は絹ちゃんと同じで、関係が終わることが、既に分かっているのも残酷だった。2人は、似ているからこそ、互いを見て、互いに、互いの感性に映る自分自身を見て、絹ちゃんが就活してみたり、麦くんが就活してみたり、バイトしてみたり、フリーランスしてみたり、資格取ってみたり、イベント会社行ってみたり、ゲームやってみたりして。ある人への全く異なる思いを、それぞれ昇華させて、だけど寄り添おうとしてしまったり、それを無視してしまったりして、どうでも良くなる。あと、互いにおいしいハンバーグ食べたりしちゃう。
でもやっぱりガスタンクはつまらなくて、でもやっぱりミイラ展は引く。
だからこそ、じゃんけんを使ったのは良かった。パーはグーに勝つ。そんな世の中の不条理を、頑なに背けたりしないで、あの時の2人は確実に、「相手」を見ていた。

綺麗に、観覧車とか、綺麗でなくてもいい。
最後の最後まで不器用な2人が、最高に、とってもとっても愛しかったな。




就活、はじめて内定が出た。はじめ志望してた、本社勤務じゃなくて現場勤務だった。実は妥協で、綺麗に答えられなくて、それでも是非欲しいって念を押されて、なんだか鬱で、何者になりたいのかわからなくなってたけれど、悔しいことに私は善人ではなくて、芯も強いのか正直よく分からなくて、その仕事が自分にとってはかっこよくはなくて、なんだか、今日の天気雨みたいな気分だった。

天気雨みたいな日でした。

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