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地域おこし協力隊として、川俣の木桶作りを受け継ぐ

名前、経歴、職業等について簡単なご紹介
川俣町の地域おこし協力隊の小山加奈さん。川俣町に1軒だけ残った桶屋さんの木桶作りの技術を受け継ぎながら、時代にあった木桶作りを目指しています。もともとは箒(ほうき)づくりにも取り組んできた小山さんに、川俣町で実現したいことやなぜ地域おこし協力隊になったのか、その想いを聞きました。

地域おこし協力隊になったきっかけは?

私は福島県須賀川市の出身です。もともとは、飲料メーカーで働いていました。平日は会社に勤めて働いて、休日は遊ぶという生活をしていました。「何かしたいな」とは思っていたものの、特に趣味もなく過ごしていました。

転機となったのは、30代半ばのこと。2011年から、福島出身のカメラマンが企画したイベントに参加したことが縁でカメラマンの活動に関わるようになり、そこから約2年間、カメラを学びながら自分でも写真を撮るようになりました。写真は私にとって色々な人と出会い、コミュニケーションを広げてくれるツールであり、たくさんの人と知り合うことができました。

そこで「何でもやってみよう」と考えていたら、カメラを通して栃木県鹿沼市の鹿沼箒(かぬまほうき)と出会い、ホウキモロコシというイネ科の植物を原料にして、人の手で編んで作られていることを知りました。「楽しそうだな」と思い、当時は猪苗代湖の近くに人が集まれるようなスペースがある広い家に住みながらその家を管理していたため、ホウキモロコシを育てつつ、箒づくりのワークショップができたら面白そうだと思いました。


ホウキモロコシの農家さんに打診してみたところ、最初は「それは難しいよ」というご意見を頂いたのですが、「本気でやります」と伝えたところご快諾を頂き、福島での箒づくりがスタートしました。

川俣町とのご縁も、カメラがきっかけでした。カメラを通してつながった、福島県郡山市の酒蔵「仁井田本家」で、酒造りに木桶を使いたいので大きな桶を作りたいという話があり、そこから香川県の小豆島に木桶作りを習いに行きました。この木桶プロジェクトを進める中で、福島県川俣町で1軒だけ残る桶屋の鴫原廣(しぎはらひろし)さんに出会いました。何度かお話を聞く中で「桶づくりを手伝ってみないか」と声をかけられ、2022年に川俣町の「地域おこし協力隊」になり、川俣町に移住しました。

木桶作りのやりがいは?

写真提供=小山さん

「木桶」はもともと全国色々なところで作られていて、川俣町にもいくつか木桶を作るお店があったそうです。もともと、容器はみんな「木」で作られていました。浴槽(風呂おけ)もそうですし、「たらい」ももともとは木でした。台所周りでも、寿司桶やぬか床などいろいろなところで木桶が使われていたのです。しかし、容器がプラスチックやホーローなどにかわってしまい、木桶は次第に作られなくなってしまいました。

ただ、木桶には菌が住むことができるので、食べ物の発酵を助け、独自の味を生み出すということを知りました。木桶もどんどん少なくなっている中で、私が携わることで木桶を残したいと思いました。例えば、味噌を発酵するために使う桶など、日用品として木桶を残せるのではないかと考えています。小さくて気軽に使える桶であれば可能性があると思います。

実際に木桶づくりにチャレンジをしているのですが、もともと不器用だったこともありなかなか大変でした。香川県の小豆島で3週間木桶づくりを学んで技術を身に着けました。

とはいえ、木桶づくりはとても難しいです。例えば自分が作っている味噌桶は直径が20~30センチ。そして、中に味噌を入れるわけなので、漏れることがないようにしないといけない。桶の側面となる板は15枚あり、それをぴったりと組み合わせなければいけないので、かなりの精度が求められます。カンナなどの道具も使います。全国的にも木桶もは少なくなっているので、自分が携わることで残していきたいです。

今後取り組んでみたいことは?

これからは、川俣町で木桶作りと箒づくりの両方にチャレンジをしていきたいと思っています。使っていない畑を借りて、ホウキモロコシを育て、箒を作っていきたいと考えています。また、川俣に自分で木桶や箒を作る工房を作り、県外の方が遊びに来られる場を作っていきたいと考えています。

川俣町のいいところ・大変なところは?

川俣町の魅力は人だと思います。川俣を楽しくしようとしている人がイベントを開催し、そこに町外から移住した私も気軽にかかわることができます。例えば、町の中心部に蔵があって、そこをみんなで掃除しよう!となって、昔のものを見ることができました。色々なことをやっている方がいらっしゃるのでそこに協力隊としても関わることができます。

大変なところは今のところありません。買い物にも困りませんし。あるとしたら、気軽に行けるカフェは少ないですかね。Wi-fiがあって、そこでずっと仕事ができるような環境は少ないかなと思います。

あなたにとっての川俣町は?

木桶の街。木桶作りを教わっている鴫原さんがいる場所。ですかね。
鴫原さんは小学生の時から木桶を作ってきました。今年で70歳。50年以上桶作りに関わってきたことになります。技術と想いをとても持っている方で、「こうした方がいい」という的確なアドバイスはさすがだなと感じています。

箒づくりも、木桶づくりもそうですが、私はモノよりも、そこで出会った人に影響を受けてきました。日本の古きよきものを守り、それを守りながらも日々精進していることに共感しました。私もその文化や技術を守っていきたい。職人さんたちの「ちゃんとやるんだったら応援するよ」という言葉に導かれて、今職人としての一歩を踏み出しています。

写真提供=小山さん


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