日本有数の花卉農家グループで、高品質なトルコギキョウを栽培、戦略的に稼ぐ農業スタイルの探求
廣野晶彦さん
川俣町出身。あぶくまカットフラワーグループグループ員。
仙台で大学時代を過ごした後は、地元である川俣町にUターンし、一般企業に就職。
その後実家を継ぐ決意をし、企業を退職。花卉農家に転職する。
転職後は東京の花市場で研修、競り販売、生産者や小売店との折衝を通して切り花全般について学ぶ。
研修終了後、東日本大震災の発生により営農中断を余儀なくされていた川俣町へ戻りトルコギキョウ栽培を始める。1年の準備期間を経て、再開、現在トルコギキョウ栽培歴8年目。
一度就職した会社を辞めて、家業を継いだ理由はなんですか?
地元企業に就職して半年くらいのタイミングで、実家の農業の人手不足が課題になりました。自分自身、実家の力にならなくて良いのか悩み、就職先に対して「このままこの環境にいて良いのか」という想いが出てきたことも後押しして、一念発起、花卉農家として生きていくことを決めました。
どうして市場での研修を行うことにしたのですか?
就農当時、生産者として、花卉栽培に対する知識がなさすぎると感じていました。その知識と経験を埋めるために取引先の市場に研修生して受け入れてもらいました。
研修期間は廣野さんにとってどのようなものでしたか?
当初は3年で終えて帰ってくる予定でした。
しかし、その企業は「競(せり)販売」が4年目で経験できるようになる企業でして、「せっかく来たのなら競まで経験してから帰りたい」と思うようになり延長することにしました。
質ごとの適正な価格帯や、時期によって変わる花屋さんのニーズなど、競りと市場で培った感覚は生産者になった今でもすごく役に立っています。
例えば、花の栽培をすると言っても闇雲に作れば良いのではなく、この時期はこの色合いが高く多く売れる、だから多めに作ろう、という考え方をしなければならない。当たり前ですが難しい。この考え方ができないと、お金にはならないので経営はできなくなってしまいます。この経験を生産者になる前にできたのは大きかったです。
研修を終えて戻ったのは震災後とのことですが町に戻ってきてどのように感じましたか?また、廣野さん自身はどう考えていましたか?
「まだ避難しているんだ」と感じました。
避難解除後、山木屋地区に戻るか戻らないか、戻っても何をすれば良いのかという不安な声が聞こえてきました。しかし、花卉栽培は土地がないとできないし、うちのグループ(あぶくまカットフラワーグループ)の場合、山木屋地域の気候を活かした栽培方法で行っているので他の場所でやろうとしても、同じものは作れない。山木屋地区で栽培しているからこそできる品物、馴染んだ土地、がある中で、作れば売れるということも教わってきたので、戻ってやるしかないでしょうと私の場合は決意しました。
あぶくまカットフラワーグループとしては当時どうでしたか?
うちのグループの場合は、とにかく早く再開させなければ、どうしようもないという気持ちでした。「ブランド力」はすぐに忘れられてしまう、早く再開して忘れられないようにしないといけない気持ちが大きかったです。そのために早期再開するにはどうすれば良いかという話をグループ全体で話し合いました。私たちのグループはとても結束の強いグループです。営農できない期間では、他の地域の視察やグループとの交流会に行ったり、今までできなかった勉強をしていき、再開した際に今までのグループにはなかった部分を足していく準備ができました。再開に備えることができたからこそ、ある意味いい休みだったと思えています。
ーお仕事についてー
現在のお仕事や活動について教えてください
メインはトルコギキョウ栽培です。他にも水稲の栽培なども行っています。グループの中では水稲栽培を行わず、トルコギキョウのみを栽培している方もいらっしゃいます。
山木屋地区は冬場とても気温が下がり、燃料代のコストが膨大になるため、寒くなる前に出荷を終えて、冬期間はお休みするという方が多いです。種まき作業は、育苗時間が必要となるので冬の間にやります。12月から4,5月ぐらいまでの間で順次に種をまいて、植え付けする順番で作業を行います。
出荷作業は7月の中旬ぐらいから出荷が始まり、8.9月いっぱいから10月の中旬までやります。この時期になると気温が下がってくるため、出荷期間を長くしコストをかけるか、出荷期間を短くしてコストを下げるか、出荷期間は、各家庭によって自由に判断しています。
花卉栽培は作付け面積によって忙しさが決まります。
各家庭が得たい収入によってどのくらい植え付けを行うのか、を判断したり、冬場もコストを抑えて収入を得たい場合は、ほうれん草や他の野菜とかを栽培したり、自由に組み合わせを考えて実施していくスタイルをとっています。
あぶくまカットフラワーグループは方法論については自由度の高いグループです。そのため、グループ的な縛りがなく各家庭が自己責任で、さまざまな栽培にチャレンジしています。グループ全体としてどう成長していくかよりも、各家庭の利益最大化を重視しているんです。
現在のお仕事のやりがいはなんですか?
やればやれるだけ収入に直結することです。自分の頑張りがすぐに結果に結びつき、悪いところはすぐに修正できる。頑張ったら結果に繋がり、評価されるというのはすごくやりがいがあります。また、うちのグループにはこれまで積み重ねてきた「ブランド力」があります。新規参入が難しい業界ですので、新規就農の方にとってはハードルが下がるのではないでしょうか?そのブランド力を守っていくという使命ももちながら、お互いに助け合える環境があることが魅力です。
現在のお仕事で大変なことはなんですか?
忙しい時期になると植物に合わせた生活となっていくところです。
そういう時期になるとやはり自分の身体も疲れてしまう。仕事を続けられるくらいの量に作業量を調整して自分で組み立てていかなければ持ちません。終わらない作業量の中で仕事と生活の調和を保ちながら、どう休むかを考えることは大変ですね。でも平日・休日と決まっているわけではないので、自分で決めたところでしっかり休めさえすれば融通がききやすいです。
ー川俣町についてー
川俣町に暮らしてみて感じる良いところ、楽しいところはどんなところですか?
生活には困らないです。商業施設や医療機関、幹線道路など首都圏にいくにもちょうど良い距離ですし、立地的には十分です。気候もそこまで雪が積もる地域ではないので、気候的にも良いと思います。
逆に大変なところ、困るところはどんなところですか?
町に戻ろうかなと考えている人に対して、戻ってきたときに川俣町として迎え入れてくれる支援があると良いなと思います。Uターンで戻ってきた方に対して「戻ってきてくれてありがとう、これからも応援しています」というプランがない。ここは今後改善する余地があると思います。
今後川俣町で取り組みたいことはありますか?
今川俣町は、人口減少率がすごく高くなっています。今ある商業施設を現状の規模で維持していくというのは最低限ですが、これから活気を増やしていくための努力もしたいです。人が来て「住んでいいな」と思われる町になってたらいいなと思います。
また、私は実家があって、仕事場も整っていたので、川俣町に来る決断をすることができました。何もなければ、川俣町ではなかったかもしれない、とUターンをして感じました。
川俣町は移住環境としては悪くないと思います。足りないこともたくさんありますが、移住やUターンしてくる方と一緒に、川俣をよくしていきたいです。
ー読者の皆さんにメッセージー
移住検討されている方へメッセージをお願いします!
トルコギキョウの栽培の良いところは、やればやるほど結果が出やすいということです。しっかり真剣に取り組んで損することは少ない。ぜひ決意をもって一緒にチャレンジしてみましょう!
新規就農を検討されている方へメッセージをお願いします!
新規就農を始める方は高額な初期投資に対して、本当に返済していけるのかという不安があると思います。でも心配しすぎることはありません。いいものを作ることに真剣に向き合っていれば結果はついてくると個人的には思っています。
\廣野さんおすすめの川俣町の「支援」/
農業者に対する交付金「福島県原子力被災12市町村農業者支援事業補助金」を使っています。機械を揃えたりとかをしています。他にも燃油高騰にかかる暖房費への補助というのもあって、活用しています。
あぶくまカットフラワーグループは、福島県やJAふくしまとの連携もあるので、補助金情報も知りやすいです。
川俣町では地域おこし協力隊としてスタートする方に対して、初期投資の支援もあります。自力で支払う金額がかなり減るので、もし自分が新規就農するとしたら絶対に「あぶくまカットフラワーグループで企業研修型の地域おこし協力隊」としてチャレンジしたいですね笑
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