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ジョルニコ_day25_ヨーロッパ建築旅行2018

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今日は、メルクリが設計した〈彫刻の家〉を見に行く。
バスの隣席には昨日友達になったアレックスがいる。この旅、初の同伴者ができたのだが、その話は昨晩に戻る。

昨日はコルマールからバーゼルに戻ったあと、再び電車に乗ってスイス東部の町クールへ向かった。2時間半ほど電車に揺られ到着したのは23時過ぎだった。駅から少し歩いたところにある安いホステルを予約していた。
今回のホステルは、従業員がいないホステルでメールでやりとりした暗証番号で中に入れるタイプだった。
ホステルは若干雰囲気悪そうな街区にあり、中に入ってみるとガタイのよい人たち(スキーかスノボをしに来ている風だった)がほとんどで若干ビビりつつ、ベッドに荷物を置いて一息ついた。
電車の乗り継ぎで夕飯を食べれていなかったので駅で買った夕飯を温めようと下の階にあったキッチンへ降りる。レンチンを待っていると先ほどのガタイのよい人たちではないひょろっとした青年が入ってきて目が合う。
一瞬で、アジアの人、眼鏡、同じくらいの年齢、スイスのクールという条件が頭を駆けていき、次の瞬間にはお互い声を掛けていた。

案の定お互いの予想は当たっていた。
彼の名前はアレックス(あだ名)。
台湾で建築を勉強している学部3年生でスイスに半年間留学に来ているそうだ。
夕飯を食べながら自己紹介に始まり、彼の好きな安藤忠雄の話や自分の好きな青木淳の話などで盛り上がり、このあたりの建築の情報交換をしていると、メルクリの〈彫刻の家〉の話になり明日一緒に見いこうという話になった。

と、そんな訳でふたり〈彫刻の家〉を目指す。

〈彫刻の家/La Congiunta〉はペーター・メルクリ(Peter Markli)による設計で1992年に竣工。日本での名称はもっぱら彫刻の家だが人が住んでいる家ではなくて、ハンス・ヨーゼフソンの彫刻を展示している小さな美術館である。場所はクールからさらに南下したGiornicoという山間の集落にあり、クールから距離はそれほど離れていないものの交通手段が限られており、かなり行きづらい場所にある。運行本数も限られていて、ひとつでも逃すと冬のスイスで宿まで帰れなくなることも考えられたのでなるべく乗り換えの少ないバスを選んだのだったが、運賃がとにかく高くアレックスが文句を言っていた。

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クールに到着したときは真っ暗で気づかなかったが、ジュネーヴ、バーゼルと違い、広大なアルプス山脈のなかに足を踏み入れており、急峻な山に囲まれた風景が展開する。日本と違うのは、植物が生えない岩の塊としての山が多く、かつ至近に広がっているため硬く澄んだ風景が延々と広がる。

朝の9時に宿を出てから3時間半かけて、ようやくGiornicoに到着した。
有名な話だが〈彫刻の家〉は来訪者がいない時は施錠されているので、町のカフェでカギを借り、自分で扉を開ける必要がある。日本ではなかなか考えられない運営方法だが後日、見たツムトアのローマン・シェルターも同じく鍵を借りて自分で開錠するかたちだった。スイスでは一般的、ということではないだろうが、建築がそういったかたちで町の人々の生活のなかに根を張っていることはなんだか嬉しくなる。

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カフェから、目的地を目指して小さなGiornicoの町を歩いて抜ける。
谷底の川に沿って広がる家々は石造りで、比較的新しい家は外壁に石膏を塗っていると思われる。屋根もスレートで葺いているものが半数ほど。淡い色で塗られた外壁と背後にそびえるごつごつとした岩肌がコントラストをなす。アルプスの火山活動と降雨による浸食の果てに谷が形成され、砕けた岩片を積み上げることで、この町が形成されていることが、感覚的に把握される。美しい風景だ。

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10分ほど歩くと、〈彫刻の家〉に出会う。
その佇まいから、本当にそこに建築が「いる」という感覚を覚える。
建物の入り口は、町から歩いてくる場合ぐるっと周った反対側にある。
ここで先ほどカフェで借りてきた鍵を使って中に入る。

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入り口の扉を閉めると外部への視界は完全に閉ざされ、上部に切られたトップライトから入り込む自然光だけが内部空間と彫刻にその輪郭を与える。
床から少しだけ上がった位置に開けられた「穴」が隣接した空間をつなぐ。
部屋の空間の大きさによって、明るさに差が生まれる。

そこには静かな空間が広がっている。建築からも彫刻からも意味が浮かび上がらず、ただ純粋に構築物がそこにある、という状態からくる静かさに思える。

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アレックスともお互いほとんど会話せず、思い思いに歩き回り、寸法を測ったり、写真を撮ったりして、あっという間に2時間ほど経つ。
この時まだ15時頃だったが、すでに山の向こうに太陽は隠れ、クールに戻るバスの時間も迫っていたので、見学を切り上げた。
帰り際に、アレックスとすごい建築だったねと話して、帰路に就く。

メルクリの建築を実際に見るのはこれが初めてだったが、作品集で知っている他のメルクリの建築と比べても〈彫刻の家〉はすこし変わった建築のように思える。
見ている途中から気になっていたのは、毎度のことだが「どうやって設計したのか?」ということだった。

この計画のように、コンテクストが本当に限られていると、建築の設計に関する殆どの物事は相対的にしか判断できない。
今回の場合、敷地自体もメルクリが決めたらしいという情報もあり、そういった殆ど全てのパラメータを自由に設定出来てしまう状況だったようだ。しいて言えば、彫刻作品(計画以前に収蔵する彫刻は決まっていたかもしれないし、そうでないかもしれないが)を展示するということ、だけが所与の条件だったといえる。

実際に見に行ったときの印象は、先に書いたように、「構築物だけがある」という意味を介さない建築の経験として感じられたが、実測したり図面を改めてみると、その次元ではメルクリの思考の痕跡をたどることができるように思える。

図面(出典:https://www.archiweb.cz/b/muzeum-nadace-la-congiunta)を見てみよう。

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▲平面図:上段が彫刻が展示してある1階平面、下段は倉庫と思われる半地下部分

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▲長手断面図:入口のある右側の部屋から順に中、低、高と高さの異なる部屋が連なる。

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▲短手断面図:高さの異なる凸型の断面

この図面をみると、この建築は「矩形に対して凹凸をつくる」という操作を平面図、長手断面図、短手断面図にそれぞれ適用し、統合することによってつくられていることが分かる。
平面図においては、3つに分割されたひとつの矩形に対して4部屋でひとかたまりの矩形を付加している。
長手断面図においては、一つの矩形(地下の倉庫を除いて考える)から2か所をそれぞれ異なる高さに凹ませたようにも、出っ張らせたようにも見える。
短手断面図においては、矩形断面にトップライト部分を付加し凸型としている。
また長手断面図からはさらに、低から高までトップライトの高さ一つ分づつ高さを変えていること、屋根を支える構造体のグリッドから、入り口のある部屋は奥行きが4スパンで、トップライト部分での長手断面が正方形になっていること、中央と左側の部屋は共に奥行きが10スパン分の長さで同じサイズの平面を持っていることが読み取れる。

上記のような、建築をつくる上での幾何学的なルールの設定や寸法調整の設定は、意図的に操作のパラメーターを絞っているように思える。それは所与の条件の少なさと無関係ではないように思われる。
パラメーターを絞ることで、室ごとの差異が何に起因するかを帰納的に発見できる。そういった調整を繰り返すことで計画を洗練させていったように思え、それはつまり確信を持った判断ではなく、ある程度確からしいことを恐る恐るかたちに定着していく手つきのように感じられる。

しかしながら、今のような話では捉えることができないことはいくらでもある。例えばそれは、入口と部屋をつなぐ穴およびトップライトのラインが矩形の中心から微妙にずれた位置に設定されていること、屋根はRCではなく鉄骨によってつくられていることなど。

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特に屋根はこの建築において非常に重要な意味を持っているように思われるがつかみどころがない。内部空間の情報量を限りなく減らすのであればRCで屋根まで一体でつくることも可能であったと思われるが、ここではそうはなっていない。
あえて構築的なつくりが現れる鉄骨をベースとした屋根になっており、凸部分の立ち上がりでトップライトを形成している。しかも、この屋根はかなり簡素なつくりとなっていて、ぎりぎり風雨を凌ぐシェルターとしての機能を満たしている程度だ。外観には、笠木を除いて屋根の厚みは現れない納まりとなっており(おそらく実際に屋根の厚みがほとんどない)、その納まりがゆえに雨だれのラインが外壁に現れている。

「どうやって設計したのか?」という問いについていろいろと考えてみたところ、現時点では上記のような手続きがぼんやりと推察される程度までしか至らなかった。 僕の今の力量では、ここから先はさらに深く思考を巡らしてみる他ないだろう。

ここまで、長々と書いてきた設計の話は、全くもって信憑性がないというか、無根拠だ。しかしながらこういった半ば妄想に近い思考は必ずしも無益ではないのかもしれないと思っていてそれには理由がある。
この建築が素晴らしいと思うのは、先に、「意味が浮かび上がらず、ただ純粋に構築物がそこにある、という状態からくる静かさ」と書いたが、言い換えると、「意味以前の〈建築性〉が感じられたから」ということになるだろうか。
この表現はあくまで仮説だが、坂本一成著『坂本一成 住宅ー日常の詩学』の中から『住宅の建築性』と題したテキストの一部(p.56-58)を引いて文章を終えたい。

「建築は多くを社会的な意味で成立しているのかもしれない。もしそうなら、私にとって建築自体を消さねばならぬことになるかも知れない。しかしまた、もし歴史的に成立させた文化や日常的通念から独立したアプリオリな領域が建築にあるなら、その社会的な意味を消すこと、あるいは拒否することにより、前面にその領域が現れることを期待していることになる。そのような領域が仮にあるなら、そのことを〈建築性〉と呼ぼう。そして私にとってはそのような領域があると思い望まざるを得ないし、またそう考えるなら、言葉の向こう側の世界であろうと思われてならない。だから、その向こう側の問題はこちら側にとっては〈建築性〉の内での建築言語でしか捉えられぬ〈構造性〉の発見の作業でしかあり得ぬことになる。そう考えるなら、建築の主題、そして言葉は目的ではなく、そのための手段であると理解できないか。もちろんその主題も、その言葉も、そしてその概念も消えねばならぬであろうが。」

200101@東京

ps.
PCの故障と忙しさにかまけて更新さぼっていましたが、PCも復活したので、もう実際の旅から一年以上経ってますが地道に更新します。




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