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細工は流々、仕上げをご覧じろ。

大工調べ

落語に
「大工調べ」
という話がある。

大工の与太郎は何をやってもダメ。家賃を滞納しつづけ、商売道具である大工道具を”カタ”として、取り上げられてしまう。

それを知った棟梁は、与太郎の家賃を立て替え、大家さんから大工道具を返してもらおうとするが、手持ちの金が足りないことをキッカケに大家さんと大げんか。
御奉行様、つまり裁判沙汰となり、最終的には大家をギャフンと言わせるという与太郎噺。

この棟梁が、こんな与太郎を見離さず呆れながらも面倒をみていたのは、与太郎の大工としての腕を、同じ大工として棟梁が誰よりも分かっていたからに他ならない。

「明日から弁当持ってこんでいい。」

中小企業の町工場に、世界レベルのエンジニアがいる、ということは「稀によくある」話。

とある車の部品メーカーの方に最近こんな話を聞いた。
その会社にも世界レベルの技術者がいて、その技術の高さは、新入社員の頃から抜きん出ていたらしい。
けれど、技術以外の”いわゆる社会人的”な部分は、色々と周囲をヒヤッとさせる場面も多かったそうだ。

ある日その技術者が、社長や上司と共に出張に行くことになった。
新幹線の駅で、出発まで余裕があり、上司は1人でトイレへ。 
上司がトイレを済ませて改札近くに戻ると、その技術者だけがポツンとそこで待っていた。
「おい、社長はどうした?」
と、尋ねると、
「ああ、社長は切符買いに行きました。」
「なんで社長に切符買わせてお前がボーッと突っ立ってるんだ!」
と、言いかけたが、
「社長はこいつを切符を買わせるための小間使いに雇っているんじゃない。こいつの技術を雇っているんだ。」
と、思い直し、じきに社長は3人分の切符を片手に何食わぬ顔で戻ってきた。 

また別の日には、その技術者と社長が技術の話で口論となり、
「お前は明日からもう弁当持ってくるな!」(会社にこなくていい)
といい、突き放された。

ところが翌日、
「今日から社長が弁当持ってこんでええ、って言うたんで、昼飯は何を食べさせてもらえるんすかね。弁当取ってくれるんですかね。」
と言いながら、その技術者はいつも以上に機嫌良く出社したと言う。

「責任者」の役割

その会社の創業者である社長もまた、天才技術者出身だった。
技術者達に世界中どこのメーカーにもない、無理難題と思える部品の開発を次々に投げかける。

技術者達が、
「いや、それは、予算が到底足りません。」
「それを作るにはうちの工作機械では無理です。」
と、答えると、
「金のことを決めるのはワシの仕事じゃ。出来るか出来んかを聞いとるんじゃ。」
「そしたらそれを作れる工作機械を探してこい!それを買うかどうかはお前らが決めることじゃない。」
と、一蹴。

一方で、何か新しいことをしようとした技術者が失敗した時、
「なんで失敗したのかが分かったのならそれでいい。同じことをするなよ。」
「やってみて失敗するのがお前らの仕事、その責任を取るのがワシの仕事じゃ。」
と、技術者達を責めることはなかったという。

件の天才若手技術者とも、しょっちゅうぶつかり合っていたのだが、その話のレベルが高すぎて、他の技術者は話についていけなかったそうだ。


「技術者」という人材

優秀な技術者が海外へ流れてしまうのは、もちろん、その技術に見合う以上の報酬を用意する企業が海外に多いということが最大の要因だろうけれど、
同時に、技術を持った人が思い切りその能力を発揮できる環境が海外の企業にはあるから、ではないだろうか、と思う。 

また、僕の知人でも、誰もが知るような大企業に新卒採用されていながら、数年で退社し、名も知らぬサプライヤー(部品メーカー)へ転職する人が何人かいる。
いわく、
「大メーカーが、自分達で油まみれになって開発することなんてほとんどない。サプライヤーに丸投げするだけで、俺らエンジニアは、会社の営業サイドとサプライヤーとの橋渡ししているだけ。」
だそうだ。

コンプライアンスや組合など、社会的な仕組みが出来上がっていき、企業も大規模化、多様化していく流れの中で、
失われていくものがあまりにも大きい気がする。

果たして本当の意味で、それらの仕組みは一人ひとりの人材を守っていることになるのだろうか。

細工は流々仕上げをご覧じろ。


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