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セブンイレブンの人質:氷河期世代昭和随想

 子供の頃を振り返って見ると、令和の今、しっかりと確立されているものたちの草創期に立ち会っていたのだという貴重な体験に気付かされ、ひとり目を見開き、「あれは……」と、呟いてしまうことが時々ある。
 例えばセブンイレブン。
 
 今でこそセブンイレブンは、全国的なコンビニエンスストアチェーンとしてどこにでもあり、いつでも誰でも利用できるようになっている。

 けれど、私が子供の頃は違った。

 我が家の近くには、確か私が小学二年生か三年生の時に、町で初めて出店されたのだけれど、当時はその名の通り、午前七時に開店し、午後十一時に営業を終える形態だった。
 もっとも、それも最初の数年だけで、すぐに二十四時間営業に切り替わったと記憶している。
 
 お菓子から飲み物、ちょっとしたおもちゃや文房具、雑誌など、こまごまとしたものが一つのお店で揃うという形式は、子供心にも斬新に映ったのを覚えている。
 おもちゃはおもちゃ屋、文房具は文房具屋、雑誌は本屋と、それぞれのものはぞれぞれの専門店に行って買うのが一般的であったのに、そういった従来の営業形態を切り崩したのだから。
 
 そのセブンイレブンができて早々に、私と二人の姉は、子供たちだけで店に入り、商品を物色し、お菓子や飲み物を籠に入れ、レジに持って行った。
 けれど、コンビニエンスストアという形式の目新しさに目が眩んでしまったのか、品物は三人の手持ちのお金の合計を越えてしまっていた。

 それならば、籠の中の品を減らせばよかったのだけれど、あの時、二人の姉は違う選択肢を採った。

 私を人質として店に置いておき、家からお金を取って来るというのだ。

 コンビニエンスストアはその名の通り、便利な場所にあるからコンビニエンスなのだ。
 だから、姉が戻って来るまでそれほど長い時間は待たなかったように思う。

 それでも、レジの横で気まずい思いに胸を満たしながら、一心に姉を待ったあの光景は脳裏から去らずにいる。

 セブンイレブンが勢いよく全国展開をしていく過程で、ある一つの店舗においてそんなほろ苦い出来事が繰り広げられたのだということを、ここに刻んでおきたい。 
 
 
 

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